論22.ことばの壁

〇信用してみることの壁

最近、こういう注意をすることがあります。

「トレーナーがわかりやすく説明してすぐに実感させられるのがよいとは限りません。説明しないことも、ことばにできないこともあります。」

質問されたらトレーナーは答えますが、それは、説明であってマニュアルのやりとりにしかならないことが、ほとんどです。

レッスンではトレーナーを判断したり、その内容を考えるのでなく、ご自分の声やその変化をじっくりと感じることに集中してください。ことばややり方ばかりにとらわれているのは、よくありません。

自分なりに理解して考え、自分なりにやってみて、次回のレッスンでトレーナーに「こうやってみました」「こうなりました」「この2つで迷っています」などと問うてください。ことばでなく、実際の声や体で問うのです。そこから、あなたのレッスンが始まるのです。

〇自己判断の壁

歌やせりふは、ことばだけでなく人に声で働きかけるものです。だからこそ、多くの人はここにいらしたと思います。

自分が判断する(そんなことはあたりまえのことですが)、それでどうなろうと自己責任という人もいますが、一緒にやっている以上、無駄に不利益を被られるのは、トレーナーにも迷惑なことです。何のためにアドバイスをしているのかわかりません。

トレーナーの判断は少なくとも、多くの人の自己判断よりも客観性があります。レッスンは、その客観性を元に行うのです。ですから、ご自分の感覚を一時、保留する必要があります。

〇聞くことの壁

一から手とり足とり、わからないから、どうすればよいと、すぐに聞くのもあまりよくありません。自分なりに工夫して、ことばでなく声や自分の考えたやり方をみせて、トレーナーに問うてください。

たとえば「脱力できません、どうすればよいのですか」聞くのはかまいません。聞いたらやってみてください。  「どうして、そうすれば脱力できるといえるのですか」と聞く人もいるのですが、何でも説明できる理由があるわけでないのです。

「脱力」できなければ、次回まで工夫してみるのです。そこで気づいて変わってこそ、学べていくのです。

〇答えることの壁

レッスンの中での応答で、疑問が解消されたらよいのではありません。そこで実感できたからといって、完結するのではありません。ことばの説明だけの疑問解消や納得、さらに自分本位の実感や効果の感覚に全て頼ることほどレッスンをムダにすることはありません。

もちろん、本当に実績があり、トレーナーを上回る判断をする人がごく稀にいます。かなりハイレベルの感覚をもつ人たちですが、そういう人でも歌や声でそういうことはほとんどありません。

自ら失敗しないと学べないことと思うので、これ以上は同じことを同じレベルでは、述べません。これまで失敗したことがあったら、それをよく考えたら、早く気づけるかも知れません。レッスンが悪い意味で同じ繰り返しにならないようにしましょう。

〇配線の追加と修正

レッスンを最大に活かすには、これまでの思考回路と違うとりくみが必要です。白紙にして臨んでみることです。

ことばのやりとりで、その場で納得、満足させることを求めると、そこをトレーナーも目的としてしまうことになります。それは決してよいことではないのです。形だけになります。レッスンが本当の意味で成り立ちません。

レッスンは共に創っていくものです。おたがいに1、2回でチェックしようとするような使い方はよくありません。

説明されなかったことや聞きたかったことは書きとめておいてください。どうすれば身につけるかは、体験です。これは、毎回、常に進展があるとは限りません。

〇納得や実感の虚

「それは、何のためにやる」「どこに効いている」「いつどういう効果がある」というのを納得しないと始められないという人もいます。どんなことも理由を聞かないと、聞いて納得しないと始められないという人もいます。 それは、トレーナーを信用していないということです。

何でも説明したらよい、そうしないとできないというようにコンプライアンスということを誤解しているのでしょう。

〇試行錯誤

トレーナーは理由を求められると説明をします。それはマニュアルかその応用としてです。

トレーナーもそのときのあなたの状態だけですべて把握するのではありません。まして初回なら、なおさらです。

間違っていることは直せますが、これから創っていくことは時間をかけて試行錯誤を交えながら、修正しつつ、進めていくのです。1~2回で間違ったレッスンもムダなレッスンもありません。

自分で合わないと思っても、その判断はとても難しいものです。継続を前提としているレッスンでは、そのときだけで判断してよいものではありません。

〇説明の虚

ここには、本を読んでいらっしゃる人も多いのですが、正しくできていないと思うのでいらっしゃいます。正しくできないのでなく、大体は正しいといえるほどやっていないだけですから、正誤を問うまえに充分にやること、つまり、スタートすることが大切なのです。

喉に支障がでる人は、マニュアルの使用での間違いも多いです。頭に体の感覚がついていっていないのです。 そういう人に限って、さらなるマニュアルを求めます。1ページが使えないのに、それを何ページにもしては、もっと、よくありません。

〇パラダイム

「一声が使えずに一曲歌えない」というのが、ここの方針です。しかし声を充分に使えなくとも、誰でも何十曲も歌っています。マニュアルなしでも、相当にうまく歌っている人がたくさんいます。どんな声でも、「声さえでれば歌は何とでもなる」のも、確かなのです。

その上での問題なのか、そこまでもいかないことでの問題なのか、そこまでいっていないことを本人がわかっているのか、わかっていないのかでは、問題の質が違うのです。☆

となると、本やマニュアルで支障がでた人は、そこのパラダイムを変えなくては、逆効果になります。

〇トータルの感覚と体現

私は昔、合気道をやりました。ひたすら型を繰り返します。いちいちその型は何にどう役立つのかは聞きません。いろんな理屈で解説している人もいます。教則本もでています。科学的にも生理的にも、今はいろんな解釈がされています。

しかし、まともな師匠なら、「だまってやりなさい」といいます。それは、暗黙知、経験知として、継承されています。

トータルとして身につけるものだからです。部分をとりあげ、どこが正しいというのはありません。

立ち方一つ流派によって違います。その理由を聞いて、他の流派のはすべて間違いとしますか。立ち方一つでも、自分のものとするには、生涯の問いとなるわけです。

どこでも基本を繰り返し、そのなかで自ら創意工夫した人が力をつけてなっていきます。人とでなく自らの体、感覚と対話していくのです。学者と違い、実践して、自ら体得体現することにしか意味はありません。

〇材料の使い方

理論、方法、メニュは、役立つように使うのです。どれがよいとか悪いとかでなく、材料にすぎません。型もメニュですから同じです。もしそこに説明を求めるなら、「他のメニュでもよいけれど、これがよいと思うよ」とか、「よいと自分は思った」としかいえません。すべてを試すこともできないから、目のまえのものを使うのです。

説明はあとづけです。確証はありません。なぜなら、その型やメニュで、どうしてもうまくいかない人もいるからです。別のやり方でもっと早くとかもっとうまくいくこともあるはずだからです。

トレーナーやレッスンは身になるように使うことです。質疑応答は答えを聞くのでなく、自分でやってみたことで問うのです。

〇自分の質問とトレーナーの質問

「初回のレッスンは皆、質問だけになるはずでしょう」という人がいました。ここでは、本やレクチャーを経てから、レッスンを入れているので、質問はそれほどありません。そう思う人は自分のなかで考えることが、必ずしも世の中と同じでないことから知ることがよいでしょう。少なくてもここでは通じないことの一例です。

もちろん、他の人と考えが違うのはかまいません。ただ、質問が多いのがよいのではありません。

内容によっては、よいことですが、知識のやりとりではレッスンではないからです。

初回はトレーナーからの質問は、若干多くなることもあります。トレーナーがその人と距離を感じているときでは尚更です。

その日のレッスンを確実に自主レッスンに取り込むことができるにも、何ヶ月も要します。形だけはまねられますが、実まで本当にできたら、問題は解決しているということです。 それがわかるために、型=メニュはあるのです。

〇自分の考え

成長が無意味に遅くなったり、無意味なムリやムダを被むらないためにトレーナーがいて、レッスンがあるのです。レッスンをわざわざ活かしにくくしている人もいます。それはあまりよくはありません。ここにこられる前と変わらないならもったいないことです。

他の分野での実績からの自信で自己肯定してくる人もいますが、本当に自信のある人は己を無にして新たなことにとりくみます。だから多くを早く得られるのです。

発声や歌に関しては、これまで、できていないのに、気づくことはよいのです。しかし、あとは根拠のない主張となっていることが少なくありません。「自分の考えでは」という、あまりにあたりまえのことは、いくら主張しても何も言っていないに等しいのです。声で問うてください。

〇試行錯誤

質疑だけで、レッスンに入っていかない人もいます。そういう人には、「一度、トレーナーの言うとおりに進めてみてください」とアドバイスします。

あなたのために、すでに選別したトレーナーなのです。初回、うまくいかなくとも二回目は、一回目のレッスンを元に修正して対応しています。それでまた考えたらよいのです。

トレーナーに指導でなく、その解説者、コメンテーターを求めているような人もいます。トレーナーと同じ考え、意見だから自分もすぐれていると安心したり、自信をもつ人も少なくありません。それは違います。

〇頭を切る

私はレッスンが始まったら、本は必要ないと言っています。

レッスンが受けられない人に、わずかばかりのことを本で伝えているつもりです。

レッスンでは、本や理論は一時おいてください。

レッスンはトレーナーの指導の元、進められます。その指示に従って進めてください。

質問は終わってからトレーナーへのレポートにまとめてメールするとよいでしょう。それをふまえて次のレッスンが行われます。

レッスン時間はどう使ってもよいのですが、話だけでおわるのはもったいないです。

トレーナーは出す声からの改善を導くのです。発声や実践にレッスンの時間をかけてください。

〇受け入れてみる

他の人と違うから、よくないというのではありません。学んで変えようとしてきたのに、自分の感覚だけを元にして判断し、自分だけのよしとする方向に進みたいのは、おかしなことです。進もうとして、足踏みして踏み出せないままになりかねません。

その判断も自分だけが第一というのなら、よい結果にならないでしょう。

声については、ふつうは、トレーナーがあなたのことわかるほどにあなたがトレーナーのことをわかることはないのです。わかるとはイメージですが、それを最初は、わからない、納得できない、合わないと思うかもしれません。しかし、頭から否定するなら、信頼しないとしかいっていないに等しいのです。

今の力でできない、合わない、向かないものであっても、必要なら、時間をかけて身につけていけばよいのです。

〇必要を満たす

 あなたは欲しているものを求めにきたと思います。しかし、それは、人生で手に入るかわかりません。私たちは、あなたに必要と思うものを与えたく思ってやっています。

そこでいらないというのなら、やめるというのも選択の自由です。

そういう可能性や限界がみえないから、人生はおもしろいし、自由だという考えの人もいます。私もそう思います。

トレーナーはあなたよりも、あなたの可能性、限界がみえます。いえ、レッスンでみよう、変えようとしています。それは、多くの経験と直感からきています。しかし、いつも簡単に適切なことばにできるものではありません。

レッスンやトレーニングで変えていけることは、しっかりやると、必ず変わっていきます。そこを私は、おもしろく自由なものと思います。ですから、必要なものを与えたいと思います。

〇欲しいものを離してみる

変わらない人の多くは、自分の考え方、判断にとらわれすぎているのです。それが正しければうまくいっているのに、いっていないから学びにきた、なのに、そこに執着するのはよいことでしょうか。

欲しいものに捉われすぎると必要なものがみえないのです。欲しいもので手に入れられるものなら与えてもよいと思うのですが、すべての人がそれを得られるわけではないのです。得ても使えないものなら、目的、目標から考えることも必要です。

〇レッスンとカウンセリング

頭で考えてばかりで感じることが疎かになっている人が多くなりました。説明しないのも、説明できないのも、トレーナーの能力でなく判断と思うのです。何も言わないのも、とりあわないのも、悩んだり迷った末の判断です。返答があるのがあたりまえ、返答がくるのが、親切、サービスと思っているのなら、残念なことです。

私はトレーナーを性別や年齢では分けていません。その人の伸びるために必要な要素をより多くもっていたり、与えられる可能性で選びます。直感的に、です。正直にいうと、そこで必ずしも充分な説明はできるとは限りません。

具体的なこと、方法ややり方で選ぶだけではないからです。

納得させたり説明するのは、レッスンの目的ではありません。そこは、特別に必要なケースではカウンセリングという形で行っています。

体で身につけていくものに説明ということばでの説得は、必ずしもうまく使えるものではありません。使ったところで、よくないことが多いです。何が正しいのかというのは、不毛な議論となります。

〇サービスの受け手

その場ですぐ、提示したり、体感させられるトレーナーは有能なのか、器用なのかはすぐにわかりません。でも、この頃はそういうトレーナーやサービスばかりが求められます。

そうした方法が、その人のために本当によいかは、簡単に判断できることではありません。よしあしの判断でさえ、しばらく様子をみていかないと何ともいえないことは普通のことです。

形だけをもち帰って、家でやって、それでうまくいくのなら、本でもDVDでもすみます。レッスンの意味はないとはいいませんが、その方が便利でしょう。レッスンでは、それ以上のことが成り立つように思います。

〇究極の目的

プロもまた、ここのトレーナーから多くを長年かけて学んでいます。

自らの作品をよくしたくて、自分のもつ条件を変えにきたのなら、その環境を最大限活かすことを考えることです。自分の条件だけを主張しているのでは、ただのお客さんです。もちろん、ワンポイントレッスンや専属のトレーナーの補助として使うのは自由です。

私は、ここにくる人は変わりたくて、いらっしゃると思っています。

自分の正しさ(学び方や考え方も含めて)を主張しにくる人もたまにいます。そういう人はご自身のお客さんのまえでそれを問えばよいと思っています。それで成り立てばそれでよいということです。

あるいは、レッスン受講生でなく、あなたをお客さんとして扱う方がよいのかと本人に問うこともあります。

トレーナーをお客さんから自分のファンとするというなら、究極の目的として是非、のぞんでほしいことです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?