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コントラクトブリッジの歴史をまとめてみた②<ホイストの派生ゲーム〜コントラクトブリッジの誕生>

コントラクトブリッジの歴史を振り返る「コントラクトブリッジの歴史をまとめてみた」シリーズの2回目です。前回は、ブリッジの祖先に当たるゲーム「ホイスト」の発生を流行を中心にご紹介しましたが、今回は19世紀末ごろからコントラクトブリッジが誕生するまでを見ていきます。それでは行ってみましょうー。
(前回の記事はこちら↓)

デュプリケート形式のホイスト

前回の記事の通り、ホイストは17世紀ごろに流行してから19世紀末までに長い間遊ばれたゲームでしたが、主に社交界で流行したこともあり、厳格なルールを持った「競技」としても行われていました。
現代のコントラクトブリッジでは、多数のペアやチームが集まって「競技会」を行う場合には、ランダムにカードを配るのではなく、参加者が同じ手札の組み合わせでゲームをしてその成績を比較する「デュプリケート」という形式でゲームをしています。これは「複製」という意味の「duplicate」から名付けられています。
このデュプリケート形式は19世紀に出現し、ホイストの時代から行われていたことがわかっています。

また、手札を「複製」するためにコントラクトブリッジの競技会で使用されている「ボード」というブリッジ用具がありますが、これの原型は1891年に発明されました。(詳しくは以下の過去記事を参照ください↓)

余談ですが、ホイストの競技会を指す「whist drive」という言葉があります。教会などのような地域のコミュニティで社交のイベントとして行われていたのだとか。数ゲームごとに対戦相手を変えて、様々な人たちとゲームを行います。

以下は『How to Play and Win at Bridge』という書籍で紹介されている「whist drive」の様子の写真を引用します。紳士淑女の社交の様子が見て取れますね。

『How to Play and Win at Bridge』p.22

ホイストの派生ゲームとオークションブリッジ

前回の記事でも書きましたが、19世紀になると様々なホイストの派生ゲームが作られました。当時のゲーム解説書には十数種類もの派生ゲームが記録されているそうですが、1896年の「ブリッジ・ホイスト」は特に人気になりました。しかしながら、「ブリッジ・ホイスト」はルールが地方によってルールがまちまちだったため、それをまとめて発展させる形で「オークションブリッジ」が誕生します。
オークションブリッジの特色は、現在のコントラクトブリッジでお馴染みの「ビッド(オークション)」「ノートランプ(切り札なし)」「ダミー」「ダブル、リダブル」といった制度ができたことです。
今となっては「これらの制度がなければブリッジじゃない!」と思ってしまうほどですが、ホイストとブリッジの境目はまさにこの辺りなのかもしれません。

コントラクトブリッジの誕生

1910年に成立したオークションブリッジでしたが、その歴史は長く続きませんでした。1925年、アメリカの鉄道王ハロルド・バンダービルトによってオークションブリッジのスコアリングを改良した「コントラクトブリッジ」が考案されました。バンダービルトは大富豪の一族に生まれ、元々はオークションブリッジの愛好者でした。
オークションブリッジの複雑なスコアリングが簡素化され、ゲームの戦略性も上がったため、瞬く間にオークションブリッジの人気を奪い、コントラクトブリッジが普及していくことになるのです。

というわけで、今回はホイストからコントラクトブリッジに発展していくまでについてまとめてみました。今回の内容は英語版Wikipediaの記事の他、過去の記事でもご紹介している『トランプゲーム大百科』『トランプのたのしみ』の2冊を大いに参照させていただきました。詳しい歴史を知りたい方はこれらをご覧いただくと面白いと思います。(古い本なので、公共図書館や古書店で探してみて下さい。)

次回からはやっとコントラクトブリッジの歴史に入ることができそうです…コントラクトブリッジが一世を風靡する20世紀前半編をお楽しみにーではー。

サポートはコントラクトブリッジに関する記事執筆のための調査費用、コーヒー代として活用させていただきますー。