触れたいセラピストと触れられたい患者さん:ハンドリングを考えてみる。
わたくし、セミナーなどでハンドリングについて講義・実技を通じて伝えておりますが、先にゆうておきます。
ハンドリングなど徒手的技術だけで患者さん利用者さん(リハの対象者)の抱える問題は解決できません!!!(きっぱり)
あくまで対象者に触れて介入するのは1つのツールです。
しかし身につければすごく武器にはなります。
ただし誰にでも、同じ武器では通じません。ロールプレイングゲームの敵キャラでも炎系の武器は大ダメージを与えられるけど、氷系の武器ではダメージがゼロ…というように、対象者の抱える問題や、特性(キャラクター)に合わせて、武器を変える必要があります。
そのため、武器を多く扱えるに越したことはないと思うわけです。
セミナーをしていると、誰にでも効く方法はありますか?実際に臨床に出るとこの方法は難しいのでは?といったご質問・ご意見も頂きます。
誰にでも効く方法があるなら、学校でそれだけ教えるはずでしょうし、こんなに色々な治療手技や理論は生まれないはず。そんな方法がないから、より良い方法を先人も、現在のトップランナーの方々も模索しているのだろうと思います。
一度学んだ知識や技術を、目の前の対象者の反応をみながら自分なりに修正、改良し、自分だけの技術にしていってもらえたら嬉しいです。
自分で考え、工夫し続ける
ことが成長のためにはすごく大切です。
理学療法士・作業療法士・言語聴覚士・あん摩マッサージ師などは、対象者の身体に触(ふ)れ、アプローチをしていくことが多いですよね。
でもそこでちょっと考えてみてほしいんです。
皆さんは何のために患者さんに触れていますか?
触れることで何かした気になっていませんか?
患者さんも触れられることで満足していないでしょうか?
ー 内容 ー
1. セラピストの仕事は、患者さんに触れること?
2. 動作の自立がゴール?
3. 触れたいセラピストと触れられたい患者さん
4. 触れるべきか触れざるべきか?
5. 触れることの目的
6. ハンドリングについて考える
7. ハンドリングとは、セッティングである
*記事はまだ完成していません。随時追記、修正していきます。
1. セラピストの仕事は、患者さんに触れること?
もちろん、触れなくても良いです。
触れることが目的ではありません。
むしろ触れなくても患者さんの抱えている問題が解決すればそれに越したことはありません。
最終的にはセラピストが関わることなく、患者さん自身で不安ややりづらさを感じることなく、日常生活を過ごせるようになれば一番良いですよね。
日常生活に不自由を感じていたり、一人でできず他者のサポートを要していた状態から、一人でできるようになる(自立)ことはもちろん大切です。
2. 動作の自立がゴール?
今まで一人でできなかったことができるようになる。日常生活動作の自立。
リハにおいて大切なことですが、
どのように自立しているか?が大切になります。
骨折や脳卒中などで筋力低下や運動麻痺で片側の手や足が動きにくくなった場合、その部分を使わないまま、良い側の手や足を使って立ったり、歩いたりするパターンを身につければ、その時は一人でできるようになるかもしれません。
しかしそのパターンで残りどれだけの人生を過ごすのでしょうか?片脚ばかりを使って立ったり歩いたりすれば、いずれ無理がかかって歩くことができなくなるかもしれません。
麻痺した側の脚の残された力や能力を見つけ出し、それを日常生活動作に反映し、より無理の少なく、できるだけ長い間自立ができるための方法を身につけるようなパターンの提案と定着ができることが理想ですね。
3. 触れたいセラピストと触れられたい患者さん
とは言いつつ触りたくなっちゃうのがセラピストですよねー
と周りのセラピストを見ると思っちゃいます(笑)
分かりますよー。素晴らしいハンドリングテクニックを目の当たりにすると、何かカッコ良いですし。職人っぽいですし。仕事してるっぽいですし。憧れますよね。
それで触れることにこだわりすぎる、セラピストは触れてなんぼだ!ということとは違います。
ただそのようなセラピストが担当となった対象者は、セラピストに触れられることで満足感や安心感を得てしまうことがあります。セラピスト依存の始まりはじまりです。
私ではないですが、前の職場で他のセラピストが担当した方では、その方の能力に合わせた自主トレ的な運動を中心に行った際、その方から後々「あの人(セラピスト)は全然触ってくれなかった」とクレームが来たこともありました。
テレビや本などでリハビリの場面として、プラットホームに寝てマッサージやROM訓練などを見ていれば、「リハビリとは横になって体をほぐしてもらうことだ」という先入観を持っている方もいるはず。
(または平行棒で必死に歩いたり、痛いのを我慢して膝を曲げているイメージ)
でも1つの手技や理論にのめり込むことで見えてくることもあります。
触れることにこだわり続けた結果、触れることの重要性と触れないことの重要性、ハンズオフにしていくタイミングや感覚を掴むことはできるようになります。
浅く広くでもいけませんし、1つの手技しかできないことも対象者不利益を生む可能性があります。そのバランス感覚は大事です。
でもまずは色々手を出して、世界を拡げることは悪いことではないと思います。そこに対象者の改善につなげたい、という思いがあれば。
逆に普段の生活ではセラピストが接触介助することはないのだからと、手すりや平行棒にしがみついてでも、自力での(必要以上の代償運動によって)動作訓練を対象者に提供しているセラピストも目にします。
しかしその動作訓練や課題は、対象者の抱えている問題の解決や改善につながる手段と言えるのでしょうか?問題はそのままに、残った部分がその問題をかばうことで獲得されてはいませんか?そこで獲得した動作のパターンは、今後痛みなど二次的な問題は生じにくいパターンなのでしょうか?
代償が悪だとは思いません。必要な代償もあります。代償によってできる活動が増えるなどメリットもあります。
だからといって代償が出る理由を深く考えずにただ無理矢理動作訓練すれば良い訳ではありません。
介入により、現在代償している本来必要な要素を引き出し、向上することでその代償が不要になる見込みがあるのか?は見極めないといけないですね。
触れることには依存のリスクがある。
では逆に触れずに代償を強くしてでも、動作訓練を進める。
どちらが良いのでしょうか?皆さんなりの答えはあるでしょうか?
4. 触れるべきか触れざるべきか?
触れなくてもできることは沢山あります。
でも触れることでしかできないことも沢山あります。
大切なことは、対象者にとってより早く、質が高く対象者とセラピストの中で共有した目標へ到達できるかを選択できる力
だと思います。
一回の介入時間での最後に目標としているゴールにどれだけ近づいたのかが大切ですね。そこで触れずに行った介入と、ハンドリングありでの介入、またハンドリングのあり〜漸減〜なしと複合的な介入が良いのか?一回の介入の中でのバランスと、介入後の結果から判断していきます。
あくまで対象者の利益が最優先です(当たり前ですが)。
逆に、触らないことを信条としているセラピストもたまに目にします。
日常生活動作では、セラピストに触れられながら動くことはないから、訓練も絶対に触らない方が良い、というのはナンセンスです。(そして多くの場合、そのような発言をしているのは触れる介入に自信がない方・得意としていない方が多いです。)
それは例えば下肢の骨折や運動麻痺があり、立位が不安定で手すりや平行棒にしがみつかざるをえない方に、「普通は立つ時に手を使わないでしょ!手を離して立ってください!」ということと変わりがありません。
それで上手く立てるようになるなら、対象者もセラピストも苦労しませんよね。
ただ、私はそんなことされても嬉しくないし頑張ろうと言う気にもなれない。ましてや自分の大事な人を担当したらそんなことできない。
だからやらないだけです。
5. 触れることの目的
触れなければ分からないことは沢山あります。
見た目の姿勢・関節アライメントや動作時の関節運動は、必ずしも教科書的な主動作筋が働いているわけではありません。健常人であっても様々です。
例えば立位で骨盤の位置は左右対称に見えても、実はわずかに片側が下がっていたり上がっていたり、少し一側へ偏位していたり、筋肉のボリュームも左右異なっていたりします。
歩行時にも左右の筋肉を同じように使うことはなく、使う筋やその収縮のタイミングは違います。
関節運動は関節と重力・床反力の関係(外部モーメント)、そして筋の硬さや収縮・緊張(内部モーメント)の総和として生まれます。
外部モーメントに関しては姿勢の観察により、重心位置と関節の位置の関係から予測することは可能ですが、筋の緊張が関わる内部モーメントに関しては、触ってみないと、そして触ってその緊張の変化やタイミングを感じ取れなければ分かりません。
触れることのメリットは、大きく分けて2つあります。
その1つ目が、
観察だけでは捉えることのできない筋の緊張や収縮の状況をモニタリングできる
ということになります。
熟練したセラピストが観察からトップダウンで評価していく能力が高いのは、この関節運動と筋の変化の関係性を触らずともイメージできるからなんですね。
わずかな全身の関節運動やそのタイミングや順序(どこから運動が始まり、隣接関節を通じてどのように波及するか)を、手を通じて感じ取ることを繰り返した結果、触れずして実際に起こっているであろう筋の変化を予測(そしてその予測が的確)することに長けているからです。
そのためにまずは触れて筋の変化がどう起こっているのか、それが関節や全身にどう影響するか?を拾い上げるトレーニングが必要になります。
いくら教科書や文献で「これこれの動作の時には、○○筋が働く」「□□筋のトレーニングには、この課題が有効」とあっても、目の前の対象者にそれを行った際、本当にその通り働いているのか?が分からなければ効果判定もできません。
そして触れることの2つ目の目的が、
ハンドリングとなります。
6. ハンドリングについて考える
上記のような状況であれば、初めは触れながら、患側の下肢の不安定感をサポートしてもらいながら、かつどこをどう使えば良いか、セラピストのハンドリングにより一緒に探り、徐々に自己にて使える実感を得る。徐々にセラピストのサポートを減らしながら、その日の介入の最後には、自分で手を少しでも緩めて立っていられるようになれば、ハンドリングも有効と言えるのではないでしょうか?
ではここで、”ハンドリング”について考え直してみましょう。
ハンドリングー操作、操縦
勘違いしてはいけないのは徒手的に見かけ上の姿勢や運動の骨・関節運動を操作するわけではありません。
歩行時にお尻が引けるから徒手で前に出したり(誘導という名の元に)、姿勢の非対称性を修正したり…私も若い頃疑うことなくやっていましたが。
でもセラピスト強制的に姿勢や動作時の関節アライメントを変化させても、その場の変化だけで多くは持続しません。
他動的な関節運動や姿勢・動作の変化は、介入前後での感覚フィードバックの違いは認識したとしても、その違いを自身の出力で作り出すことを学習するには不十分です。
他動的に姿勢や動作を変え、「この姿勢(または動き)を覚えて!!」と言って、その場でできる人は少ないです。というかそれでできたらセラピストも対象者も困ることはないはずです。
ということは、上手なハンドリングとは、ただ他動的な誘導が上手ということではないようです。
私の考えるハンドリングは、
徒手的な介入により対象者に入力される情報を操作することによって、患者さんの体験を操作し、その体験を自ら作り出せる(出力を出す)スイッチを見つけるよう導く
というイメージです。
操作・操縦のターゲットは、
見かけ上の姿勢や動きではなく、不適切な姿勢・運動を生み出している情報
だと言えます。
7. ハンドリングとはセッティングである
私たちセラピストがいくら念じても、祈っても対象者に使って欲しい筋肉や動いて欲しい部分が勝手に動くことはありません。それで動くなら毎日お祈りしています。
そしてセラピストが使って欲しい部分というのは、対象者自身が使えていない部分。
どうやって使えば良いか分からない
使いたくても使えない(力を入れたい、動かしたいのに他の部分に力が入ったり動いてしまう)
という状態に陥っているのではと思います。
その状態の人に
「ここ(使いにくい部分)使って!」「ここ動かして!」「(他の部位に力が入ったり動いてしまえば)そうじゃない!」と言っても、
使って欲しい部分が使えなくて当然ですよね。
バク転ができる、または自転車に乗れる人が、できない人に対して「こうだよ」「こうするんだよ」の「こう」の言葉に内在する体験や解釈がそもそも違うんです。
できる人の「こう」とできない人の「こう」には大きな隔たりが存在します。
その上手くいく時の「こう」を身体を通じて体験し、自己にてその体験を再現できるルールを見つけてもらうためにハンドリングは有効だと感じています。
ハンドリングで関節運動を他動的に起こすことで運動が生まれることはありません。
ハンドリングの目的は、対象者の出力が出やすく、それを認識しやすい身体内部と外部のセッティングをすることが大切です。
ハンドリングは本人が自分の問題を解決するスイッチをセラピストと対象者で見つける作業。
最後にスイッチを押す(出力)のは本人にしかできません。
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