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早いもので一年が経ちました。。。

橋本です。

今日はプライベートな話を久しぶりに書きます。毎日のブログも仕事だけでなく、プライベートと混在しているので、その違い、曖昧かもしれませんが、今日は100%?!プライベートな話です。

そう、昨年のこの時期、私にとって、そう、橋本の家にとって、大きな出来事がありました。そう、家族の柱の一人であります、「かーはん」こと母親が永眠しました。

忘れもしません、夏の暑さが少し落ち着いた、2019年8月19日 です。

(昨年、自分なりのその時の気持ちをまとめたのがこちら↓↓↓)

そこから怒涛の一週間、お葬式、保険・銀行手続き、父親の今後のこと等、色々と話し合い、対応。とはいえ、ほとんどのことを兄に任せる形で、その後、関東に戻ってきました。

それから早いもので1年が経ちました。

その間も、四十九日などの法事もあり、何度か帰省し、年末年始も実家で過ごすなど、一人になった父をできる範囲で各兄弟がバックアップ(ほとんど兄貴にお願いする形で申し訳ないのですが。。。)し、私も、事あるごとに実家に帰っていました。

ただそれを一変させる出来事が?!

そう「コロナウイルス」です。

私は関東に住んでおり、兄も大阪に住んでいるため、お互い高齢の父親に感染をさせないように、実家への帰省を自粛することになりました。特に私は今年の2月、親戚一同で慰労を兼ねた大阪での旅行以来、関西に帰省することが出来なくなりました。

そして、この夏も、非常事態宣言が明けたとはいえ、関東での高い感染者数を鑑みますと、やはり帰省や父親に会うのはどうかと思い、悩んだ末、帰省するのを断念しました。

その間、非常事態宣言が明けた後、今は兄が色々と父に会ったり、そのフォロー、そして、かーはんの命日、一周忌の対応(お寺さんにて)をしてくれました。ほんと兄には任せっきりで申し訳なく、感謝しかありません。

あと父が、私や兄となかなか戻れず、また寂しい思いをしているのですが、それを言わず、たまに用事もないのですが(一応用事はありますがそんな大した内容ではないのですが)電話がかかって、逆に心配されたり、励まされたりしています。私も、できる限り毎日メールを送り、気遣いはしていますが、そんな寂しい思いを父にさせている私、個人的には、父が不憫で、また、それを何もできない自分に憤りを感じることもあります。

あと憤りでは、ほんとは、かーはんの命日、一周忌に出れないこと。なので、墓参りだけでも、この夏、日帰りでも帰省しようとも考えましたが、父に会えない、また父も実際一周忌、命日も自宅で待機し、行けない状況、また父と一緒に行けない墓参りを、私一人だけ行って意味があるのか?家族、特に父親を連れて行けない墓参りは個人的にどうなんだろうか?と思い、父と相談し、もう少し落ち着いた秋口(落ち着いていたらいいのですが)に一緒に行くことにしました。

そんなこんな、この一年過ぎましたが。。。

この一年、仕事が忙しく、それで自分自身の気持ちも紛れていた事もありますが、それでも時間が経つにつれて、かーはんがいなくなった現実、ようやく自分の中で、現実のものとして理解できたというか、浸透してきたというか。。。そう本当にいなくなったんだ。と感じています。

これまで、親戚、祖父母も亡くなっており、その時も人は死ぬということは当然頭の中で理解はしているのですが、どこか、自分の家族だけは別の話、まだ少しだけ未来の話と思っている、甘い自分がいました。

でも、現実として、かーはんが闘病の末、昨年亡くなったことから、人の死というもの、特に私もあと1年ちょっとで50歳になることから若くないですし、知っている人もみんな高齢になり、こういった死といった事が現実にあること、かーはんが亡くなったことで改めて認識しました。

そう人の命には限りがあること。。。

なので、自分自身も、悔いのないように一生懸命生きよう、失敗や挫折、落ち込むこと辛い事、これからもいっぱいいっぱいあると思いますが、それもひっくるめて精一杯生きようと今は思っています。

かーはんは闘病中、父親の為に、「まだ死ねない、少なくとも5年は生きたい」とよく言っていました。

また、かーはんから、「私は幸せ」「これまでも幸せだった」と言っていたのを聞いたことがあります。たぶんかーはん自身の人生としては、悔いはないと思いますが、残される父の事だけは心配しており、できるだけ長生きしたいと思っていたようです、その願いだけは叶わず、亡くなりました。

私は、かーはんが亡くなったことで、自分の生きたいという意志とは関係なく、人には生の期限がある。それがいつ来るかわからない。。。期限がある以上その中で精いっぱい生きないと、生んでくれた両親に申し訳がない。そう、これからも精一杯着て一日一日をやり切りたいと思っています。

でも、かーはんが亡くなってから、道でふと見かける家族の様子や母の日とイベント、何気ない風景をみて、かーはんがいたらなぁ、もっとこうしてあげたのに?!とか、そんな風景が、自分の思い出と重なったとき、そう、そこにいたかーはんがもういないんだぁ、と急に寂しくなり、胸が苦しいくなります。

ほんとは、もっと話したかったし、親孝行してあげたかった、

今もいなくなって、やっぱり「寂しい」です。

一年たっても女々しい内容の書き込みになって申し訳ないのですが、それほど私にとって家族、特に父親、母親の存在は大きく、かけがえのないものです。

この一年がたって、改めて振り返ってもそれは変わらないし、今後も変わらないです。その気持ちを、今の気持ちを書き留めたいと思い、今日この文章を書き込みました。なぐり書きの文章で申し訳ないですが、ご容赦頂けましたらと思います。

そして明日は、かーはんの命日。

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実家には帰れませんが、母の写真の前に、母の好きな和菓子とお寿司をお供えし、静かに明日を過ごしたいと思います。

ではでは、これからも精一杯頑張ります!!

橋本

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