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餅作り

下準備(前日)

餅つき機を使用して、自分で餅を作る事にした。
本来であれば年末が訪れる前に餅を作り、正月を迎える前にきちんと鏡餅を神棚や仏壇などへ供えておき、新年を迎える。
自分が子供の頃や親が健在していた時は、そういう流れで「餅つき」を手伝った記憶がある。

しかし、餅米を入手したのが大晦日。
もう店も閉めようかという夕方前に、大好物のパン耳の半額値下げと共に購入できた。
帰宅後、その他やる事があったので少々バタバタ。
夜になり、明日「餅作り」に取り掛かれる時間を逆算しながら餅米を水に浸けた。

下準備(当日)

元旦。
朝から、区の出事があった。今年1年小分けの区内ではなく、区全体の年番となり、元旦早々に区の神社の清掃等をするため神社へ。
天気も良く、何だか清々しい気持ちになった。普段区内の神社へ足を運ぶことが集会以外にないので、掃除をしながらも境内を堪能する。

掃除と諸々の準備後は、区内の参拝者と一緒に参拝。その後は直会タイム。
と言っても、自分は呑めないし車だし年番で片付けもある。
だからと言って常にお世話する様な急かしさは全くなく、一緒に談笑もできた。
昔ながらの何から何までお世話をするスタイルではなく、コロナ後は感染症等の考慮もあり年番としての作業も短略化していった。

湯呑みやお猪口を準備するのではなく、終了後は廃棄する形の紙コップへ。おそらく、昔は盛大に食事等も準備したであろう形をツマミ程度のお菓子へ変更。
これだけでも準備や片付けは大幅に時間短縮できたと思うし、年番の負担も減って良い改善だと自分は思った。
何よりも、昔の様に大人数集まることも減り、皆仕事や何かしらの用事で忙しく行事参加もままならない中、年番という事で集まりの最後まで見届けるのは結構大変な事だと感じた。

核家族化も進み、昔の様に誰かしら参加のできる家族がいるわけでもない現在。
逆に高齢の親が参加できないので、市外などから子供がそのために帰省し参加する事は多々ある。
そんな中、何もかも廃止するのではなく、短縮できる事や省くことができる物事については現状に合わせ皆の意見を取り入れ、変化させていく事は重要だと感じる。
昔ながらを守りたい、貫きたい方もいるが、それが可能かどうかは次世代が主になり考え今後の事を考慮し決めていく必要がある。

呑めないから飲み会が嫌いとかではなく、むしろ自分は好きな方だ。どちらかと言うと、お茶やジュースでハイテンションになれる部類であり、酒好きの方からしたら信じられんと思うかもしれない。
でも、人とのおしゃべりや知らない話を聞く事・知る事は楽しいと思う。そして、そんな場での人間観察も。
ただ、強制であってはならない。そう考える。
特に自分は“強制“という言葉が嫌いで、選択肢がない事に不満を感じていた。
“強制”という縛りさえなければ、予定が許せばもっと気持ちよく参加できるのに…そう思っていたので、コロナでのこういった変化は自分にとっては良かったと思っている一つだ。

話がズレ過ぎてしまったので、戻します。

昼前帰宅後、何やかんや他に作業をしたので、昼に一旦餅米の水を差し替え。
来客等もあり、取り掛かったのが15時頃から。
餅米の水切りをし、汚しても大丈夫な様に下にシートを敷いたり、その他材料(餅とり粉、すり黒胡麻、抹茶粉、あんこ)や道具(手水、お手拭き、しゃもじ等)を準備。

餅米を蒸す・搗く

いざ、開始。

まず開始するのは、餅米を蒸す作業。(餅つき機が行う)
蒸す為に餅米を投入する際、少々失敗あり。隙間に餅米落とし込んだり、餅米全投入した後に「あ、胡麻や抹茶入れるから分けて蒸した方がいいかな?」と思い、釜を抜き始めた時点で下穴から餅米が底へ。

あわわわわ、となりすぐに釜を元に戻す。
そうか、入れた餅米は上から取るしかないか。底へ落ちた餅米は、搗き終わった後に取るしかなかった。
そして、半分程餅米を釜から取り出し、やっとこ蒸し作業へ。(餅つき機が)

今年頑張ってくれた、餅つき機(洗浄・清掃後の乾燥中の画像)

蒸しが完了すると、音でお知らせ。
今度は蓋を開けたまま、差し水をしながらの餅つき作業。(餅つき機がね)
むす・こねるボタンを押す。
差し水は、自分で様子を見ながらちょびちょび足していった。
何が正解とかどのくらいが正しいとか分からんが、そこは感覚。昔の手伝った際の親や親戚の動作を思い出しながら、何となくで差し水をした。

3度ほど、ピーピーと音が鳴る。
(8分後 → 搗き頃、11分後 → 搗き過ぎお知らせ、12分後 → 自動停止)
自分は、1回目はスルーし2回目のブザー音で停止ボタンを押した。
搗きが完了した。

これまでは「餅つき機」が作業をこなしてくれた。
見た目は問題なさそうな餅感。

さて、ここからが本番だ!

丸餅作り

専属ののし板に餅とり粉を敷き、釜から餅を取り出す。
実家片付け時に発見した木製のもろぶたは、もう隙間だらけで使えそうにないので処分した。プラスチック製のもろぶたもあったが、使うかどうか分からん物を置いておくのもと思い、甥っ子家族へあげた。
そんな大量に作るわけでもなし、わざわざ購入する必要もないかと思った。
ただ、少しでも広い場所があった方が釜から餅を取り出した際には作業しやすいかな。

いよいよ、搗きたての餅を千切り、丸めるといった作業に突入だ。
何度かイメージトレーニングをしていたが、いざやってみるとやはり簡単にはうまく進まない))
専属のし板もそんなに広いわけではないので、すぐに千切った餅でいっぱいになった。本当は、一気に小分けし、その後一気に丸める作業をする予定だったが変更。
急遽ラップを敷いた大きなお盆を準備し、千切り終わった餅を丸めていきお盆へ置いていった。

今まで、よく田舎にある多数の丸い大きなお盆の使い道がないまま、数枚?保管しておいたが役に立った。大いに役立った。
そんなこんなで、途切れ途切れの千切り作業と丸め作業を繰り返しながら、白餅は鏡餅用と雑煮用であんこなしに。
すり黒胡麻と抹茶に関しては、蒸し作業は一緒に行い完了後に分量を分け、つく・こねる作業時にそれぞれ胡麻と抹茶粉を投入した。

すり黒胡麻と抹茶は、足りる限りこしあんを入れて餅を仕上げた。(こしあん派)
もうとにかく手際良く作業を進めていかないと、寒いので餅が乾燥していき丸めるのもあんこを包むのも大変になる。
(こりゃ、1人じゃ結構大変な作業だな、、、)と思いつつも、3kgの餅米を全て使い果たした。

手順が何となく理解できたので、次からはもう少し段取り良く作業しよう。
そう思ったし、そう思えた。

完成

そんな何時間も取り組んだわけではなかったと思うが、初作業は何にしても疲れる。終了後、結構ぐったりきた。

それでも、初完成の餅たちに少々感動

鏡餅は、我ながら見事な出来栄えだと感心。(タイトル画像)
みかんはなかったけどいただいた“花柚子”を置き、神棚と仏壇へ供えた。問題ないよね、気持ちだもんね。

そして、いつからか供える時に“自分への願い事”は言わなくなった。
ご先祖にも神棚にも、現状の感謝。願うとすれば、自分以外のこと。

雑煮

ひと段落もふた段落もして、ようやく夕飯。
この日はまともに食を取っていなかったので、餅は見えないが味噌汁に白餅。
胸焼けするので、白菜の浅漬け。そして、デザートにこしあん入りすり黒胡麻と抹茶のお餅。(あんこが綺麗に中央に包めれていない、が良しとする)

そして、お腹は空いていたし美味しかったけど、いつもの様に落ち着いた食事時間ではなかった。

やっぱり…

餅作りから数日後。
餅は好きだけど、胸焼けする。

おにぎりと味噌汁、そして漬物。 シンプルでいい。
心身共に何だか喜んでいる。
落ち着く味。 やっぱり自分には「米」なんだな、と実感。

三が日は何かと忙しかった気がする。
いつも年末年始は体調を崩していたが、昨年末の大晦日は問題なく過ごせた。

餅つき機

実家の片付けの際に、購入時の箱に入っていて綺麗な状態で発見。
この時は「餅作り」よりも「パン生地作り」に使用できると思い、箱から出し本体から細部まで要確認し綺麗に拭き上げ、洗浄できる物は洗った。
そして、また箱へ直し込めば2度と日の目を見ないと考え、箱から出しいつでも使用できる様整えておいた。

それから程なくして、2023年の鏡餅用に2022年の12月下旬も年末間近、餅作りをしようと実施。
しかし、故障をしている様でアラーム音のみで作動せず。
製造元へ連絡(TEL)するも、年末ともあり既に年末年始の休み中。

餅米は準備してしまったので、この時は仕方なく蒸し作業は炊飯器で行い、後の作業はどうにかこうにか手作業で行った。けど、そりゃ酷く疲れたし出来も到底餅とは言えない状態で完了。
その後、年末中だったか?年明け早々だったか?お問い合わせフォームへメールで問い合わせをしておいた。

年が明けた2023年1月中旬、状態や使用回数など細かな確認等のやり取りを行い修理をしてもらえる運びとなった。
が、2度と箱へ戻すまい!と思い箱を廃棄していたので送るための箱がなく、すぐには修理先へ送れなかった。

時は過ぎ、2023年11月下旬。
良き箱を見つけ「まだ修理の件、有効ですか?」から始まり、11月末とんとん拍子で発送まで完了。

色んな仕事の経験から梱包には自信があったので、綺麗に箱詰め完了

箱のサイズも本当にいい具合だった。スッポリ入るが、周りに少し隙間が空くのでその隙間と上下に段ボールや緩衝材で隙間埋め。より衝撃にも耐えられる様梱包できたと思う。(自画自賛)

年末まで間に合えばいいなと思っていたら、12月中旬には↑画像の箱が本来の「餅つき機」(おそらく後継新型)の綺麗な箱に入った状態で修理を終え届いた。
点検・修理・検査完了書なるものも同梱されており、部品の交換のみで修理完了した様子。
本当に、有難い事だった。

お陰で今年は無事、綺麗なお餅を作り上げることができた。
感謝しかない。

思い

餅作りの途中で知った、石川県の地震。
途中で作業を中断するわけにもいかず、ラジオをつけ聞きながら作業をした。
携帯を見た時に連続した大きな地震の通知があった事に、只事ではないという思いと恐怖がきた。
どんなに離れた場所であっても、他人事ではないと感じた。いつどこで地震が起きても不思議ではないからだ。

被災された方の無事を祈るも、通常生活を送る自分に罪悪感があった。
何とも言えない気持ちと恐怖を感じながら、餅作り作業をする自分に落ち込み、それでもお腹が空き食事を取る自分を客観視した。
色んな感情が湧き上がり、1人で考えても何も結論は出なかった。
とにかく事態を見守る事しかできないが、通常生活を放棄する事が良い事だとは思えなかった。

支援は、被災者の迷惑にならない様できる時にできる形でする。
そして、自分は今を生きること。

現状は思い祈る事しかできませんが。

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