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3:『Coda あいのうた』2022年1月日本公開/アメリカ・フランス・カナダ製作映画

監督・脚本 シアン・へダー
原作 『エール!』(2014年フランス映画)
出演 エミリア・ジョーンズ、トロイ・コッツァー、マーリー・マトリン
   ダニエル・デュラント、フェルディア・ウォルシュ=ピーロ

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※ ネタバレ感想ありなので、問題ない方のみ ↓ 進んでください。
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とても興味があり観たかった映画。
金ローでTV放送があると知り、その日時にすべきことを終わらせスタンバイ。
どうやらカットも多かった様だが、この作品はオリジナル音声で視聴する事ができたためその点では楽しめた。
唯一TV放送で楽しめないのは、ラストのラスト、エンドロールなし。
余韻にたっぷり浸りたい自分にとっては、かなり楽しさ半減はするものの…これは、仕方ないとしよう。

『coda』とは…
CODA(Children of Deaf Adults)
耳が聴こえない、もしくは聴こえにくい親の元で育つ聴こえる子供のことをいい、映画の様に両親共に聴こえない場合もあれば、どちらか一方が聴こえない場合も該当するそう。
そして、程度についても“聴こえにくい”〜“ほぼ聴こえない”まで幅があるとのこと。

恥ずかしながら、自分は『coda』(コーダ)を主人公または主要人物の名前だと思っていた。
しかし、映画関連情報を見ればすぐに違うと判明。

聴こえない・聴こえにくい兄弟を持つ場合は、
SODA(ソーダ:Sibiling of a Deaf Adult)というそう。
色んな呼び方や呼び分けがあることに驚き、勉強になった。

::感想::

面白かったし、感動もしたし、発見もあり楽しめた。
面白かった点は、家族のキャラ設定と主人公ルビーとの関係性。
そして、ルビーが主に関わる合唱クラブ顧問のV先生ことベルナルドと同級生のマイルズとの絡み。

父親フランクは、頑固者というより出来ないことを頑張るよりも出来ることに全力で力を注ぎ、今を楽しんで生きているといった印象を受けた。
母親ジャッキーは、家庭内家族間では父同様陽気で明るい性格の様に見えたが、一歩外へ出るとフランクや娘のルビーの存在無くしては他との交流が苦手である事が分かった。
兄レオは、一見ルビーと仲が悪いのかと思いきや、家族で1番ルビーの事を思い心配し後押しをし続けた、1番自立出来ていてヤル気もあるかっこいい存在だった。
V先生ことベルナルドは、良き恩師そのもの。父親フランクとの初対面でのやり取りは最高w

そして発表会でデュエットする相手となったマイルズは、いい存在だった。家族より出過ぎることもなく他の役を喰うこともなく、いい感じでルビーの相手役となり、ルビーの感情へ起伏や変化を与え、ストーリーや演出に味を出す良い役だった。
ルビー宅初訪問での出来事を友達に話してしまった事は、理解できた。

ルビーは初めからマイルズに気がある演出をされていたが、対するマイルズはそうでもなく、おそらく初訪問時もマイルズの気持ちに然程変化はなかったと思う。
だからこそ、悪気もなく男子高校生として“同級生の親のおもしろ話”として友達に話してしまい、それを友達も同じ様に?もしくはコーダの親と違う面白がり方でからかって周りに話た(話してしまった)。

そして、ルビーが激怒。
ルビーが怒るのは当たり前だが、マイルズは許しを得るのにかなり時間を費やす。
ルビーの機嫌を直すことも目的だが発表会の練習もしたいマイルズにとって、無視され続けた期間でルビーへの感情への変化があったのだと推測。
許されるタイミングとその許し方というか方法も良かった。青春挟んでくる。

::好きなシーン::

(ストーリー順ではありません。好きな順です。)

1、発表会終了後、家へ帰宅し父親フランクとルビーが2人で語るシーン。
車の荷台に2人で座り、軽く静かに、でも深く語り合う2人。
そして父フランクの要望で、歌い始めるルビー。
フランクの『娘の声が、歌声が、聴きたい…感じたい…触れたい。』
という感情がヒシヒシと伝わり、感動したシーン。

2、ルビーが自分のしたい事・今までの気持ちを家族へぶち撒けたシーン。
家族のため、大好きな両親のため、生活のため、、、等と思う暇もなく、気が付いたら家族と周りとの通訳となっていたルビー。
それが普通だと当たり前だと思い過ごしていたが、成長するにつれ周りとの違いに気付き自身の自由も欲しくなり、遂に大爆発。
とても感情のこもった表情と手話、家族とのやり取りに感情が揺さぶられた。

3、部屋に母ジャッキーが入ってきて、ルビーへ産後の気持ちを話すシーン。
耳の聴こえる子を望んでいると勝手に思っていた1視聴者の自分は、母ジャッキーの
『ろうの子であります様に』と産後の聴覚検査時に祈ったと語り、驚いた。
そして、冷静に『なぜ?』と聞き返したルビーにも。
しかし、その後のジャッキーの返答に理解ができた。
抱き合い、久々に母の膝で横になるであろうルビーと、久し振りに娘を膝に迎えるジャッキー。
それまでの2人の言い争いや怒りや不安のこもった会話とは違い、淡々と静かに互いが話しを聞く状況を受け入れ会話がスタートし終わったシーン。

4、すったもんだあり、漁・学校・歌のレッスン・と朝から晩までハードスケジュールをこなすルビーの日常を映像と音楽のみで表現したシーン。
流れる音楽と歌詞がカッコ良かった!!
イギリスのロックバンド【ザ・クラッシュ】曲名『I fought the law』(1979年発表)
アメリカのバンド【ザ・クリケッツ】のカヴァー曲
こういう演出も粋で物語のテンポを変えつつ、かつ飽きさせないカッコいい音楽と映像作りに関わった人達の熱を感じる。

5、大学の試験時のV先生の登場と、家族に手話で歌詞を伝えるルビー他。
朝を迎えたシーンから、分かってはいても胸熱展開。
マイルズの「先生はさっき帰った」〜の楽譜忘れ〜の、V先生の助太刀演奏とわざと演出でルビーの再歌唱チャンスを作った先生。
そして、これも分かっていたけど勝手に試験会場に入り込んで鑑賞している家族へ向けたルビーの歌詞通訳しながらの歌唱。
他(それを分かった上で、試験続行させてくれた審査員)

6、ルビーの送り出しと、、、
フランクの『GO!』という声掛け。
そして、車中からの手話『I really love you』。
母ジャッキーが他の漁師の奥様方と楽しく作業する様子や、兄レオが以前からかわれて殴り合いになった相手と仲良くする様子等、そんな一コマも好きなシーン。

::気付きのシーン::

鑑賞中「!!」と気付かされたシーンがある。

発表会でルビーとマイルズがデュエットをしている時に、全ての音がなくなったシーン。

消えてすぐ(あ、ちょ、良い所だったのに、、、)と思ったが、すぐに気付く。
これは、父フランクや母ジャッキーそして兄レオが鑑賞している状況だ、と。
周りの反応を見ながらルビーの歌声の良し悪しを判断し、歌の終了を知る。
全く聴こえないとは、こういう事かと知らされ気付かされる。
そして、どうしてこの場面でルビーが手話で歌詞を伝えなかったのか。
この疑問もラストで回収された。

自分は以前カエル画像のまとめ投稿をした際に、“カエルの鳴き声”について色々と持論を展開し、結論『カエルや生き物の“声”がなくなることは、怖い』と綴った。
この事を、この映画の無音シーンで思い出した。
そして、何て自分目線で狭い視野な発言(記事投稿)をしたんだろう…と思い、反省した。
が、またしばらくして、思ったことがある。
(いや、自分の考えや想像しての思いというだけで、反省すべき内容だろうか?)と。
聴こえているモノが聴こえなくなる事や、見えていたモノが見えなくなる事、持ち合わせている感覚に変化が起こる事=未知の世界・知らない世界。
それを『怖い』と思うのは、普通の感覚では?と、思い直した。
自分の中で、“気付いた”事と疑問に思った事を違う内容であり別物として考えるべきモノを混同していた。

無音シーンで気付けた事は、もちろん監督等の意図でありその為の演出だったと理解している。
そして、その感覚を少しでも知れた事で、また違う気付きに行き着く。
聴こえない方がどういうリアクションを取り、どう音を味わい、知ろうとするのか。

::手話::

映画を観ていて【手話】をカッコいいと思った。
昔、職場の子がろうの彼氏さんと手話で会話をしている時も、同じ事を思った。
でも、習うまではいかなかった。
自分には、必要ないと思ったから。(苗字は習ったし、覚えているつもり)
でも、英語や他言語の様に覚えて習得するのもいいなと思い直した。
実際に、生活する上でも話せない場面や声を出してはいけない場面等はあるかと思う。(多くはないかもしれんけど)
そんな時、手話は大活躍ではなかろうか。
もちろん、覚えていればろうの方とのコミュニケーションもスムーズにできる。

監督のシアン・へダー氏は、とてつもなく細部にまで拘って作品を作り上げている。
監督に限らす、音楽や衣装・撮影等のスタッフも皆。

ルビーの家族(父・母・兄)は皆本当に聴こえない俳優を起用。
監督自身も手話の勉強に熱心で、船上での会話では手話が重宝したとのこと。
手話の専門家にも協力してもらい詳細の設定を話し合い、俳優との手話の通訳はなしとか。
主演のエミリア・ジョーンズも実際にろうの方達と会い交流をし色んな事を学んだそう。
もちろん手話を習い習得したのは言うまでもなく、その後も勉強中とのこと。

そして、今回の映画の手話は“アメリカ式手話”を使用しているそう。
ということは、“日本式”とか“〜〜式“など言語の数だけ沢山の種類の手話が存在するんだろうか?
調べたら、どうやら世界中で400種類以上もの手話が存在するらしい…
簡単に思ってしまう「世界共通の手話はないのか?」
ないといえば、ない。
言語が違えば表現方法も違ってくる、そのせいもあり?
けど、一応、あると言えば、ある。
『国際手話』
国際交流を行う場所に用いるために作られた公式手話なるものがあるらしい。

手話1つ覚えれば世界中のろうの人たちと会話ができると思っていたが、単純にそうでもない様子。
口だろうと手だろうと、言葉は言葉。
国の数だけ、地域の数だけ、言葉があるのと一緒ということ。
これもまた、気付かされる。

::ちょっと一言::

映画をオススメする前に、ちょっと一言だけ。
自分は “健常者”  “障害者” という言葉が好きではない。
もちろん、制度上や症状別などで何らかの区別というか分ける必要があるのは理解する。
けど、思うこともある。
「健常とは?」「障害とは?」と。

::オススメ映画::

『Coda〜あいのうた〜』ももちろんオススメだが、他にもご紹介。
おそらくこの映画を検索等された方であれば、下記作品に引っかかったかと。

『愛は静けさの中に』(1987年日本公開)アメリカ映画
母ジャッキー役のマーリー・マトリン主演の恋愛映画であり、ろうの演者として初のアカデミー賞受賞と最年少受賞者でもある。
が、こちらはどこでもオススメされているので、あえて違う作品を。

『ギルバート・グレイプ』(1994年日本公開)アメリカ映画

監督:ラッセ・ハルストレム
脚本:ピーター・ヘッジズ
出演:ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオ、ジュリエット・ルイス

〜あらすじ〜

片田舎に住むギルバート(ジョニデ)は働きながら、過食症で家から出れない(出ない)母親と知的障害を持つ弟(ディカプリオ)を2人の姉妹と支え合いながら生活をしていた。
自由になれず日々ストレスも溜まる中、ベッキー(ジュリルイ)という女性と知り合い少しずつ生活に変化が現れ始める。
そして、弟の誕生日パーティーを境に・・・

豪華キャストの若々しくフレッシュな演技と、演者としての演技力。
ラストは自分の中では腑に落ちたし、キレイな締め方だと感じた作品。
ギルバートと弟アーニーの関係ややり取りが、物悲しくもあり頼もしくもあり、観ているこちらも心揺さぶられる描写が多数。
自分は個性的なジュリエット・ルイスが好きでしたね。

是非、機会があればご覧あれ!

それでは、また〜

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