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はじめまして。

しがないラーメン屋店員です。

とはいえフルタイムの正職員ではなく、ただのアルバイトである。
本職は大学生で、昨年9月からロンドンで交換留学をしている。

今思い返すと恥ずかしいことに、日本では家庭教師やチューターなど、かなり割りの良いアルバイトしか経験したことがなかった。
学びながらお金を稼げるのは、効率的な時間の使い方だ。ロンドンでは、関心の深い人権の領域で有給のインターンをしよう、などと軽く考えていた。

しかし、ロンドンに来て、その見込みは大変甘かったと思い知ることになる。
有給でかつ関心のあるインターンを2ヶ月かけて必死に探したが、なかなか見つからない。かろうじて手に入れたチャンスも、全部振るわなかった。

このままでは、どこにも受け入れてもらえない。そんな焦りから、飲食店でのアルバイトを視野に入れた。20社くらいにCV(履歴書)を送りまくった結果、遂に雇ってもらったのが現在働いているラーメン屋だ。


私は生まれて初めて、【選択をできない】という環境に陥ったように思われる。いくら探し求めても、自分が欲し、また相手も自分が持ち合わせたものに魅力を感じ、受け入れてくれる場所に出逢えなかった。

ラーメン屋で働くことを選ばざるを得ないという事実は、重く私の肩にのしかかった。決してラーメン屋で働くことを軽蔑したくはないが、正直なところ、当時の私には、肉体労働で得られる学びなど高が知れているだろう、という本当に本当に失礼な考えがあった。
勤務を経てこの考えに変化があったことも、後々触れていきたいと思う。

環境や力量を理由に、自らの意思で選択できないことが何を意味するかを、私は知っていたつもりだった。高校の時にセブ島の貧困地区で出会った人々の多くは、そのために夢を諦めていた。

「私の夢は先生になることだった。でもお金がなくて12歳でメイドになったの。だから息子には同じ道を歩んでほしくない。学校を卒業して夢を叶えてほしいんだ」

先生になるという道を選択できなかった彼女の言葉が、心の奥で反芻された。状況や深刻性は全く違うにせよ、【選べない】とはどういうことかを、彼女の言葉がまざまざと突きつける。

【選べない】ことは自分に選ぶ価値がないように感じさせる。
だから、【選べない】ことは辛い。

それなのに私は今、自分の状況に満足している。 と、思う。
ただ時折、「今が最善の状態であると信じ込むことで、自分を納得させて満足だと錯覚させる」という心理が作用した結果なのかと疑ってしまう。

貧困地区で話を聞いてまわったあの日、人々は口々にこう言った。
「幸せだよ。家族と一緒に暮らせて、みんなが元気で、これ以上望むことなんて何もないじゃないか。」

あの時は、彼らがなぜ、不衛生な環境で歯が全部抜けてしまっても、お腹いっぱいご飯が食べられなくても、幸せと言えるのか分からなかった。
でも、今の自分の状況に照らすと、彼らの気持ちを想像できるように感じられる。

【選べない】ことは辛い。
でも、【選べない】環境で自分を満足させることで、人は幸せであろうとする。


このNoteに、ラーメン屋というロンドンの片隅で、社会に触れて感じることを書き留めようと思う。日々の体験を言葉にすることで、自分と社会との新たな接点を描けるような感覚がある。

初回となる本Noteでは、ラーメン屋でのバイトを始めることになった経緯と、その時に感じた【選べない】という感覚について記録した。私がバイトを始める前に持っていた偏見や失礼な気持ち、フィリピンの方への気持ちも素直なまま書き留めた。不快な気持ちになった方、本当にごめんなさい。

次回は、ラーメン屋から見たワーキング・プアの問題について綴ろうと思う。それでは、また。



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