室町は今日もハードボイルド③

皆様、こんばんは!
この清水克行先生の同タイトルの本から、自分の学びに必要そうな箇所を紹介し、ひいては榎並猿楽や室町人の価値観などを浮き彫りにする試みも残すところあと、2回···つまり折り返しに知らないうちになっていました。(今、リアルまとめノート確認したら1回目に5回の予定とか書いてたのに、実は4回までだったと気付きました。慣れって怖い······)

さ、私の阿呆は置いておき、早速本編に入っていきます。


中世人、その愛のかたち

婚姻のはなし

室町時代の中頃の備中国上原郷(岡山県総社市)という荘園は、京都の東福寺が支配していた。
そこへ代々東福寺の僧が代官として管理業務を執り行っていた。
文安元年(1444)12月、百姓たちは告発状を送りつけた。代官の名前は光心。
人々を強制的にこき使い、百姓たちの年貢滞納額を借金として貸付け利子を加えるなど公私混同を極めて私腹を肥やしていた。
更にこの男、禅僧にあるまじき、女好きな坊主で未亡人と公然の内縁関係になっていた。それ以外にも百姓の女たちに次々と手を出す代官だった。
ついには下女にまで手を出し、それを未亡人が知ったとき、彼女は光心に仕返しをするのではなく、自分の家人たちを使って下女の家にうわなり打ちを仕掛け、彼女を殺害した。

何とも現代の感覚ではショッキングな事件だが、昔はうわなり打ちはよくあったようだ。
有名なのは北条政子が、頼朝が政子の出産時に政子と正反対の性格の女性と浮気しているとバレた際に、襲撃させたことだ。女性は頼朝の部下が逃がしたから命は無事だったが、うわなり打ち(後妻打ち)は正当な権利だったようだ。
ちなみに、頼朝は政子に怒るのではなく政子の命令に従った部下を叱りつけたそうだ。

最後に、室町時代のセクハラ代官は代官契約を打ち切られクビにされるも、その後神主家の婿へと転身しているので、何とも女性の側からは釈然としないものだ。

人質のはなし

中世日本では、「成人に達した人質は人質の意味をなさない」「人質は未成年でなければならない」というルールに基づいて人質が選ばれていたようだ。
これは神に近い「人ならぬ存在」を「誓約の証し」として贈呈する供犠(いけにえ)の儀礼としての意味があったようだ。
戦国時代、松永久秀を裏切ろうとした井戸良弘の子供たちは、串刺しは免れたが牢屋で絞殺され、城近辺に串刺しで晒された。
現代なら殺した方が非難されるように思われるが、多聞院英俊という僧は日記で裏切った父親が悪い。子供は父親に殺されたようなものだ、という感覚だったことが書かれている。
これがこの時代の感覚だと踏まえた話として、荒木村重が信長を裏切ったとき、信長は高山右近という荒木の家臣が荒木に荷担しないよう説得を行なった。
その時、右近は荒木に差し出した人質が無事に帰るか悩んでいた。
ちなみにこれは人質に出した者の命を心配して悩んだ訳では無いようだ。
その証拠に信長は、右近の名誉を守ることを約束している。
つまり人質には、「誓約の証し」という点が重視され、「命の重さ」はそれよりも軽かったことがうかがえる。

切腹のはなし

中世日本は、自力救済社会だった。やられたらやり返す、のが当たり前であり、自力でやり返せない弱者は、命を賭した訴え(=自害)を行ない、その主張内容の正否にかかわらず最大限に尊重される慣習があった。
もしかすると、現代の日本の自殺率が高いのは、この慣習が根底に残っている可能性も無視できないだろう。
しかし、当時の人々のなかには、自害に対する社会意識を逆手にとって、ゆすりやたかりまがいのことをする。そのような不届き者もいたようだ。
だが、なぜ自害の中でも色々と方法があるのに切腹なのだろうか。
古来、日本人は「心」が腹の中に籠っていると考えてきた。切腹は、命と引き換えにその真に「心」を満天下に開示する手段として行われたのだ。

落書きのはなし

中世日本では、寺社への落書きはやりたい放題だった。そのため、各地で禁令が繰り返されていた。
それでも庶民は落書きをしていた。なぜなら仏神への願いと悦びの表現だったからだ。 
では、どのような内容だったのか?
美少年との同性愛を祈願した内容や珍しいものだと熟女未亡人への届かぬ思いを綴ったものや、童貞卒業を祈願した若者の落書きがある。
が、おおむね男性同士の恋愛願望に対するものだった。
なぜか理由は定かでないが、女性の落書きは残っていないので、男性の願望だけが寺社に未だに残っている。

本日のまとめ

えー、室町は今日もハードボイルドはあと1回で終わります。その次は中世日本については、荘園を紹介予定ですが、まだ勉強というか読み込みに時間がかかるので古代の大阪市のヒガシ、森ノ宮、玉造方面を中心に紹介します。

それはさておき、昔の女性は通い婚だったこともあり、夫の訪れが途切れ新しい女(後妻)に通っているとわかると男へと恨みを晴らすのではなく、新しい女へと部下を使って八つ当たりしていたのは、過激ですね。
人質も本人の名誉のために心配されるってそりゃ荒木村重、妻子殺されても生きるよなぁなどと思いました。
切腹も主への忠誠の意味だけでなく、自分が正しいのだと訴える手段として利用していたのは、未だに日本人の感覚として残っているのかもしれないと思うとこの感覚を変えることを主眼としないと解決しない話かもしれないですね。
落書きも最近、インバウンドで来た外国人の落書きに嘆く声を見かけましたが、昔の感覚だと神仏に対して今の絵馬に近い感覚だったのを外国人も似たような感覚で書いているのかもしれないと思うと文句を言いにくくなりますね。

こうして見ると昔の感覚がわかる部分やわからない部分、変わったつもりが受け継がれている感覚もある。そんな不思議な気持ちになるのではないでしょうか?

今回もお付き合いいただきありがとうございました。
次回もどうかお付き合いよろしくお願いいたします。

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