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イヴ・サンローラン展行ってきた!

初っ端めっちゃ関係ないけど、最近、大学の部長を務めている劇団で、相手を末代まで呪いたいほど恨めしい出来事が起こった。詳しいことは書かないし、ここでその文句を書くとネチっこい。人に言えないことと言わないことってあるじゃない?
それでもとりあえずどこか、どんなに少なくてももいいから人の目に触れる場所に残しておきたいくらいには恨めしかった。

くそやろう!!!!!!!!!!!!

男ながら、聖母になろうとしていたけど無理だった。

国立新美術館をはじめ、TBSやソニーミュージックエンターテインメントなどが主催する「イヴ・サンローラン展」
ご縁あってチケットを頂き、六本木にある国立新美術館に行った。
先述の出来事が煮え切らず、どうも違うことを考えないとやっていけなそうだったので、今日は完全に家で休むモードだったが、飛ばすように腰を上げ行ってきた。

イヴ・サンローラン展

ディオールの死後、遺志を継いで21歳でデビューしたイヴ・サンローラン。
デビュー後自身のブランドを立ち上げ、約半世紀に渡りファッション界を牽引したという。「モードの帝王」と呼ばれた彼は、当時の紳士服を女性用に改良し、パンツスーツやトレンチコートなどの、今でこそ当たり前となった女性のファッションを多数生み出してきた。また、舞台や美術作品にも数多く影響を受け、それをファッションに取り入れることで、独自のブランドを確立させた。

服飾には明るくないけど、それでも彼とそのチームが作り出した展示の数々は、素人目から見ても圧倒された。そして少し考えが変わった。

ブランドに対する見かた➀

当時はオートクチュールのメゾンだったブランドも、昨今その価値に縋り付いて自分の欲望を満たすために馴れ合いのセックスしかできないカスどもにとって光り輝くものだと思っていた。つまりそいつらがいるおかげで、「高級ブランド」くだらねえと思って受け入れることができなかった。しっかしながら、その価値ーー女性のファッションシーンを広げ彼女らの存在を宣言した、現代にも通ずる価値ーーを創ったという結果を見てみると、自分の考えがどれほど浅はかだったかと恥ずかしくなってくる。
どういうことかというと、おれは本質を見ようとしていなかったのだ!

モノづくりについて

人と関わって何かモノを創る際には最低限、感謝と謝罪の言葉・気持ちはまず何よりも伝えたいと考えている、いや普通に人として当たり前だけど。おれが演劇をやっていなくても、服飾をやっていてもきっと同じマインド。これってすごく大事なんだけど、でもできてない人が多すぎるんだよぉ、うんざりする。
イヴ・サンローランが結果的にこういった価値を生んだことは、上記のことをチーム全員が当たり前にできていて、それでいて向かう道を全員が見れて生まれたからだと思う。だから彼、およびそのチームには純粋な情熱があったと思うし、得てして純粋な情熱っちゅうのは魅力的に思える。ただの憶測だけど。
自分が!自分が!ハァハァ!ってなるのも否定はしない。ただし、それには仲間への思いやりは絶対に忘れちゃいけない。できなければきたねえモノ待ったなし、だと思っている。
その点において、イヴ・サンローランの服たちはどれもきれいだった!

ブランドに対する見かた➁

考えが変わったのは、言い換えればブランドに対する自分の懐疑的な目線が変わったということだ。
今でこそブランドを虎にする狐のようなやつばかりが目立ちおれは辟易するわけだが、本を正せば、イヴ・サンローランが生み出してきたものの数々は、当時今よりも女性の立場が弱かった時代に女性をファッションすることで彼女らの自信を後押しするものだった。だから、現代においてそういった人々がいるのも、それはそれでとても喜ばしいことなのだ。ブランドが好きでも、それで自信が出るならいいじゃない。自信持ってる方が綺麗だもん。

お気に入り

個人的に花嫁たち、舞台芸術のブースがよかった。

花嫁たちのブースに入ったとき、右手に、花で装飾された恥部を隠すだけのウェディングガウンが見えた。綺麗だったが、結婚式でこれが出てきたら面白いなと思いつつ反対側に目をやった。すると、今度は頭の先から足の先まで、出雲大社のしめ縄ばりに厚手の生地でできたウェディングガウンがおかれていた。ギャップがありすぎて、中間のやつないんかいと思ったがちゃんとあった。

舞台芸術の衣装も作っていたみたいで突飛なものが多かった。
例えば、孔雀がモチーフの衣装。半径1メートル以内には誰も近づけないだろうと思うほどでかかった。ここのブースは他よりもいっそう芸術芸術していて楽しかった。
見たかったなーと思ったのは、「シラノ・ド・ベルジュラック」の衣装だった。先日たまたま「エドモン~『シラノ・ド・ベルジュラック』を書いた男~」という舞台を観ており、イヴ・サンローランが「シラノ~」の衣装に携わっていることを知ったとき、歴史のつながりに感動した。でも現物は拝めなくて残念だった。

最後に

価値観が変わるなんてなんと流動的だと思ったが、変わってよかったと思う。おとといよりも寛容になれた。怒りはしばらく収束しそうにないが、幾分かは収まったキラキラ

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