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旧聞#5 続・俺はインディオだ!|Essay

メキシコのチアパス州を歩いたのは4年前だったか。ペルーの日本大使館を占拠したゲリラ集団が影響を受けたとされるサパティスタの活動舞台がこの地である。サパティスタは先住民インディオの生活向上をめぐって、今も政治闘争を続けている。

しっとりとした高原の都市に宿をおき、周辺の村々をバスやヒッチハイクで訪ねた。日本のある人類学者がかつて調査した村もそれに含まれていた。事件はその村で起こった。

モルタルの白い教会の前で乗合のワゴン車はとまった。その静謐なたたずまいは、500年に及ぶインディオの迫害された歴史を象徴しているようでもあり、癒しているようでもあった。念のために向かいの村役場にいた民族衣装の男に断って、教会の写真をとった。

村の中央の道を歩いていくと土壁の家はやがて途絶え、標高2000㍍の涼風に揺れるトウモロコシ畑が現れた。そこから望む村の景色が印象的で、写真をとった後もしばらく眺めていた。すると二人の少年が近づいて、僕に話しかけた。一人はすぐにいなくなったが、一人は僕が行こうとするのをひきとめてまで会話を続けた。そうこうしていると、さっきの少年を伴った数名の男たちが威風堂々とやって来て、こう告げた。

「君は写真をとっただろ。一緒に来てくれ」

さながら強制連行のようだな、と状況をほくそえむ余裕があったのは途中までで、役場に着いてからのものものしい雰囲気に僕はビビった。村では写真をとるのは禁じられていると言う。教会で写真撮影の許可を得たと抗議すると、教会の写真はいい、だけど村のはダメだと強弁した。500ペソ支払うか、でなければカメラを没収する。数十分の押し問答の末、そんな高額な要求はのめない、ネガを渡せばいいだろと幕を引いて、役場を出た。

今になって考える。都市部の混血メキシコ人による政治と経済の支配にさらされる彼らにとって、村落空間はインディオであるための聖域だった。旅行者の好奇のまなざしはそこでは風景の搾取として否定される。少年の策略も民族衣装の男の二枚舌も、近代化から村やインディオとしての自分を守るためのささやかな闘争だったのかもしれない、と。

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