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山は山屋|デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場|Review

『デス・ゾーン――栗城史多のエベレスト劇場』
河野啓著、集英社、2020年

レビュー2023.02.04/書籍★★★★☆

これから書く文は、本ルポの書評なのか栗城史多の人物評なのか自分でもよくわからない。ストーリー自体はおもしろく、一気に読んだ。でも、なにかしら読後のモヤモヤ感があって書き留めざるを得ない心境なのだ。

まず栗城さんについてだが、私は栗城史多という登山家(らしくない登山家)を寡聞にして知らなかった。悪気はないけど、ちょっとインモラルな行動もしてしまう。でも、愛嬌があって憎めない。しようがないなあと思いつつ、許してしまう。だけどその許容のキャパを超えると、疎ましく思えてくる。ああ、確かにそんな人ってたまにいるよね。

ルールや定義が厳密でない登山の世界の間隙をついて、自己流の言葉の解釈あるいは思い込みで話題性をつくりあげていく。それは一度はお笑いを志した栗城さんが見つけたニッチビジネスだったのだろう。その才覚はすごかった。最初は成功するが、しかしやがて破綻する。それはなぜか? 栗城さんの提供するエンターテイメントが長尺すぎたからではないかと思う。

栗城さんが顧客にしたのは大方はネット民だ。サマライズを好み、集中力はどんどん短くなっている。「夢の共有」という舞台での主演・栗城史多の長回しのセリフに、最初は期待し称賛したネット民も、だんだんと失望し、最後には否定し罵倒する。ある意味やむを得ないだろう。

では、著者の河野啓さんはそんな栗城さんのことを好きなのか嫌いなのか。かつて好きであり、それから距離を置き、最後に好きな気持ちを取り戻したいと思った。だができなかった、というところか。

やはり番組制作で一度裏切られたという思いが尾を引いてるのではないかと思う。いや、狭量な自分ならそんな気持ちを白紙に戻せないだろうなといったほうが正確だ。ただこの場面に関しては、「栗城を自分のいいように利用するのではなく、新しい冒険の時代の幕開けを多くの若者に伝えてもらいたい」という栗城さんの「子ども」の主張のほうに正当性を感じてしまう。

著者が断りを書いているように、この本は栗城さんや彼に親しい人たちにとって伏せておいてほしかっただろう事実が赤裸々にされている。一面ではジャーナリズム精神だが、一面では報道被害未満とも受け止められなくもない。それでも最後に、栗城さんを肯定する証言を集めたこと、X師に吐露した栗城さんの弱さや諦念を聞き書きしたことは、栗城さんを悪だと言い切りたくないからだろう。なぜなら、この本も栗城さんがエベレスト劇場で演じてきたことと同じように、やはりひとつの自己実現への「しつこさ」から生まれたものだと思うから。

表現することからは痛みや偽りや見栄や強欲を完全に排除することはできないんだよという地平に、この本もまた立っているのではないだろうか。栗城さんがそうであったように。

あれっ、それってこのレビューにもきっと当てはまるね。

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