見出し画像

僕の思う絵の才能について



2023年現在、ネットを含めて世の中には様々な絵の上達法があふれています。

それを参考にして練習することで皆さん一定の成果がでていることだと思います。

僕も色々なサイトや動画を見たりして、なるほどなぁと思ったりしています。

ただ一つ思うことは、なんというか、情報を発信している人の初期レベル値以下の練習法は、アドバイスできないんじゃないか、ということです。

教えてくれている方々は、皆さん、狭き門を潜り抜けた才能あふれた方です。

初期レベル値高めです。

例えば、初期レベル10の人は、レベル10以下の練習法を教えることができません。

その人にとってレベル10以下の技術は、呼吸をするように当たり前の能力として、生まれつき、もしくは生活環境の中で、自然と身に着けた技術だからです。

これは練習過程を経ずに身についていた、いわゆるギフト(才能)というものです。

例えば、生まれつき足の速い子供に、どうして走るのが速いのか?と聞いても、そのメカニズムも、速く走るための理屈も説明することができないと思います。

その後、陸上競技などをして、さらに速くなった場合は、その上達法を説明することができるのでしょうが、それでも、初めから足が速かった理屈は説明できないと思います。

もっと補足するなら、50mを6秒台で走る人、7秒台で走る人、8秒台で走る人、9秒台で走る人、10秒台で走る人がいるとします。

9秒台で走る人は、10秒台で走る人に9秒台で、走る方法を説明することできるか?というと、おそらくできないと思います。

8秒台で走る人も、9秒台で走る人に、8秒台で走る方法を説明することができないと思います。

6秒台で走る人も、7秒台で走る人も然りです。

その人にとって、生まれつき持っている能力の習得法を説明するというのはとてつもなく難しいものだと思います。

これは、自分の体験談ですが、絵を描き始めて1年が過ぎた頃、僕は当時の自分を遥かに超える、圧倒的な絵の才能の持ち主に出会いました。

その方(A君)は、当時の僕の数十倍のスピードで絵を描き、消しゴムを全くといっていいほど使わず、その上でさまざまな絵を苦もなく、さらさらと一発描きで紙の上に描きおこしていました。

僕はすぐさま、どうすればそんな風に絵を描けるようになるのか?と聞きました。

ですが、かえってきた答えは「いや、普通に描いてるだけだから分からない。」でした。

詳しく聞いてみると、A君は、はじめから特に努力をすることもなく、気づいた時には、すでそのように描くことができる状態だったみたいでした。

というわけでA君は、初期レベル値が恐ろしく高かったのです。

A君にとっては、なんてことのない、はじめから持ち合わせていて当然の能力だったようですが、僕にとっては遥かな高みの技術に思えました。

A君にとってはレベル1だと感じているものが、僕にはレベル100以上のもののに感じられたという感覚です。


どんな分野でも、上にのぼり詰められるような人は、基本的に初期レベルが高いものだと思います。

いわゆる才能があるというものですね。

才能がある人は、本人が一から丁寧に技術論を説明しているつもりでも、レベル1の状態で、すでに他より抜きんでているため、はじめから身についていた能力にあたる部分の説明ができません。


他で例えるなら、言語が分かりやすいかもしれません。

僕たちは当たり前のように日本語をしゃべっています。

何の技術論も、努力の積み重ねもなく、ごく普通に当たり前のように日本語を話せています。

間違いなく、日本人の日本語の初期レベル値はとてつもなく高いはずです。

ですが、その理屈を誰にでも分かりやすく説明することは、まずできません。

というわけで才能の言語化というものは本当にむずかしいものだと思います。


これらをふまえて、A君が持っていた才能について言語化していきたいと思います。

A君の実力を見て、こんな風になりたいと思った僕は、彼の才能の原理を
解き明かすために、彼の絵を描いている様子を観察することにしました。

そして分かったことは以下の通りです。

紙からペンを離す回数が極端に少ない

あらゆる角度の線をひと繋ぎで描く(顔の輪郭を一回で描ききる。手を一回で描ききるetc.)

動きに無駄がない

他にもあったような気がしますが、とりあえずこんな感じです。


これらの情報をさらに分析して、僕が出した答えは、A君の絵を描く技術の土台となっているのは、ペンをあやつる技術の高さ、そして、それを可能にするためのずば抜けた指の筋力、これが初期ステータスの状態で、すでにぶっとんでいたんだと結論付けました。

そして、このことから絵を描く技術論とスポーツの技術論は、ほぼ同じものであるという答えにたどり着きました。


どういうことかというと、まずはスポーツについて、バスケットボールを例に出して説明していきたいと思います。

まずは、基礎となる身体能力(肉体)。そしてボールコントロール技術(道具)。最後はコート上でのパフォーマンス力(総合力)です。

バスケットボールは、この3つが分類化され、それぞれの練習法が確立されています。

絵を描く技術をこの理論に落とし込みます。

まず、指の筋力(肉体)。そして、ペンコントロール(道具)。最後は、絵を描く技術(総合力)です。

僕が調べた範囲では、世の中に広まっているのは、絵を描く技術(総合力)がほぼ全てで、指の筋力(肉体)を鍛える方法論も、ペン(道具)を扱う技術を高めるための技術論も、まったくと言っていいほど無いように思えます。

バスケットボールに例えれば、はっきり分かると思います。

体を鍛えることをしないで、ボールコントロールの技術も追及しない。

そして、ただただ試合形式の練習を繰り返すだけ。

果たして、これでどれだけ上達ができるのでしょうか?

これでプロクラスになれる人は、間違いなく選ばれた人です。



指の筋力とペンを扱う技術は、絵を描く力の基礎の土台にあたると思います。

これが高ければ高いほど、絵を描く際に優れたパフォーマンスを発揮することができるのではないでしょうか。

どんなスポーツ選手も、高い身体能力を持ち、かつ優れた技術力(道具を扱う技術)という基礎の土台があるからこそ、試合の場で人々を魅了するようなスーパープレーを、連発することができるのだと思います。

 


なぜ基礎がそこまで必要なのでしょうか?

それについて説明していきたいと思います。

まずは、バスケットボールのボールコントロール、ドリブルの技術から、説明していきたいと思います。

ドリブルの技術が拙いうちは、手元を視界に入れたり、意識の大半をボールに集中しないとまともに動けません。

これが上達すると、手元に意識を向けなくても自然にドリブルができるようになります。

そうなると、今度は意識をボール以外に向けることができるようになります。

つまり周りを見ながらドリブルができるようになるということです。

ですが、試合の場で処理しなければならない情報は、膨大です。

それに集中すればするほど、手元がおろそかになり、ドリブルパフォーマンスは低下します。

頭を使わなければ、その分ドリブルに集中することができますが、それではかけひきや戦術を組み立てることができず、ただ力任せなプレーしかできません。

理想は、頭で全ての情報を処理しながら、最高のドリブルパフォーマンスを維持しつつ、そのうえで、あたかもボールを持っていないかのような動きがごく自然にできるようになることです。

つまりボールを体の一部のように扱うことができるようになるまで技術を高めるということですね。

これがバスケットボールにおける、ボールコントロールの基礎の理論だと思います。

これのドリブルの部分をペンに変えれば、絵の方もなんとなく分かるのではないでしょうか。



次は絵を描く技術の基礎についてです。

最初は、指の筋力が低く、ペンを扱う技術も拙いです。

そのため、手元、ペン先に意識の全てを集中しないと絵が描けません。

ペン先と紙の接地面、つまり今描いている線の最先端に全神経を研ぎ澄ませているため、他のすべてが全く見えていない状態だと言えます。

そのため、今描いている線が、絵の構成要素として正しく機能しているか機能していないか、線を描き終えるまで分かりません。

つまり、線を描きながら、リアルタイムで形を修正、構築していくことができないのです。

だから何度も描き直すし、手も遅いです。

対策としては、1つの線を1回で描かず、小刻みに刻んで少しずつ形を整えていくことが一般的です。

ただこの描き方が手に染みつくと、たいした成長が見込めないと思います。

その上、絵が完成するまで、おそろしく時間が掛かります。

1つの線にかける時間が、1回で描ける人の数倍、もしくは10倍以上かかるのが主な原因です。

もし、紙からペンを離している間の時間、つまり息継ぎの間が長ければ長いほど、さらにその差は広がります。

結果として、描いた絵の数、つまり経験値が時間と共にどんどん開いていき、上達速度に差が出ます。

スピードガン無視のクオリティ勝負なら、場合によっては完成絵だけは上回れるのでしょうが、おそらくとてもつらい作業になると思います。

そして、最初からそうして絵を描くことが、当たり前の方は、たぶんそのことに気づきもしないのではないのでしょうか?


次の段階は、指が一定水準以上鍛えられ、ある程度思い通りに線を描くことができるようになった状態です。

パーツ単位なら、ほぼ思い通りに絵を描くことができます。

1つ1つのパーツが整っているため、多少絵の全体像に矛盾があっても、

ある程度のクオリティをもった絵として成立させることができます。

もうここまでくれば、あとは描けば描いた分だけ、絵は上達していくと思います。



次の段階は、ペンを体の一部と同じものとして扱いながら、絵が描ける状態です。

ここは推測も混じっているので注意してください。

ここまでくると絵を描いていても、もはや手にペンの感触を感じることがありません。

言ってみれば、ペンというレイヤーがとっぱらわれて、絵に対する感覚がその分、より研ぎ澄まされた状態だと思います。

脳→体(指)→ペン→紙、というプロセスを経てアウトプットされる流れから、どうしても発生する情報の劣化が、ペンというレイヤーが減ることで、抑えられるからだと考えられます。

絵描きなら、目指したい高みですよね。




これが僕の考える絵の才能についての考察です。

単に指の筋力と、ペンを扱う技術に関しての話でしたが、これこそが一番大事なものだと僕は思います。

これをおろそかにしては、そもそも絵の才能もクソもないです。

デジタルが普及して、ある程度カバーできるようになったというのもあると思います。

ですが、満足に思い通りの線を、自由自在に描くことができないのに、プロと遜色のない絵を描こうとしていることに、無理があると考えたほうがいいです。

ぶっちゃけ無理をして、物凄い時間をかけて、物凄いしんどいおもいをすれば、ある程度のクオリィティには届くと思います。

ただ、そんなことに時間と労力を割いているなら、もっと指を鍛えることと、ペンを扱う技術の追求に時間を使ったほうがいいと思います。

どんなスポーツでも、毎日の筋トレと、体力づくりと、基礎トレは欠かさないはずです。

というか強い選手ほど、実戦でのパフォーマンスより、フィジカルと道具を、より上手に使いこなすことに比重を置いているのではないでしょうか?

といっても、あくまで僕は楽しく描ければそれでいいと思うんで、自分で楽しいと思うことを、思う存分、自由にやるのが一番だと思います。




気が向いたら、指の鍛え方や、ペンの扱い方の上達法も、記事にしようと思います。


ちなみに体を鍛えるということは、おそろしく時間が掛かります。

プロのスポーツ選手の方たちを見れば、分かると思いますが、彼らは幼い頃からプロになった後も延々と体を鍛え続けています。

間違いなく、十年どころか二十年以上の歳月をかけて肉体を作り上げています。

ということで、指を鍛えはじめたからといっても、すぐに効果がでてくるものとは思わないほうがいいです。

気長にやってください。


というわけで以上です。

失礼しました。



※追記

続きはこの記事です。


この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?