たけねこさん

昭和63年 早稲田大学卒業。広告業界を経て、現在、エンタテインメント&教育業界で活動中。

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昭和63年 早稲田大学卒業。広告業界を経て、現在、エンタテインメント&教育業界で活動中。

最近の記事

22歳の地図(あとがき)

あとがき (28年間年間、34歳のに書いたあとがきをそのまま載せます) 「時代と差し違えたい」 そんな気持ちがあのころにありました。 今もその気持ちは変わっていません。 だから文字にしました。 僕は今、34歳です。 12年前の日記をパラパラとめくりながら、 22歳の僕に戻ってペンを走らせました。 僕は企業で働いています。立派に!? 実は3つ目の会社ですが、もう10年になります。 こんな人間を辛抱強く育ててくれたことに感謝しています。 (22歳のときは、ひとつめの会社にいまし

    • 22歳の地図④(September 1984〜)

      September 1984 横浜駅のホームで高校の同級生とばったり出会った。 デパートの経理部で働いているという。 彼女はこんな話をした。 「私はお茶を入れるのが好きなの。  自分の仕事が忙しいとよけいに意地になって  お茶を入れちゃうの」 「なぜ?」と僕。 「お茶を飲んでる人を見るとうれしくなるから」 世のため人のためになるような仕事をしたいと思っても その目的を果たすまでの過程には 多かれ少なかれ 不純な行為を犯さねばならないことが予想される。 一人前の社会人って

      • 22歳の地図③(August 1984〜)

        開き直ったときの僕の見解 ⚫︎現代社会に自由はありえない ⚫︎忍耐は幸福の基本 ⚫︎手かせ足かせは人間の弱さゆえに最低限必要な束縛 管理されているが、保護もされている。 それが社会。 たとえば戸籍。 婚姻で性関係が管理されたとしても それにより社会保障や数々の恩恵が得られる。 会社のサラリーマンも同じ。 管理と保護。 飼い犬は安泰だな。———————————————————————— 「言葉」が金のため、処世のために流通する。 真実を語る言葉はお金を稼がない。 表にでてこ

        • 1983年 22歳の地図② (June 1984〜)

          June 1984 “ギブ・アンド・テイク”、 これが社会の原則らしい。 いつのまにか、 友人に対してもギブ・アンド・テイクを求めるようになる。 例えば、相互にとり有用な情報の交換、といった具合に。 もらうもの無ければ与えない。 与えなければもらえない。 だから、ギブ・アンド・テイクできない相手とは付き合わない。 もらうものが無さそうな人には近づかない。 それが当たり前らしい。 良い意味でも「利用し合う」のが人付き合いか。 やっぱり「ひとり」だ。 ギブ・アンド・テイク、

        22歳の地図(あとがき)

          1984年 22歳の地図①

          March 1984 僕の周りにいる人々の 僕に対する忠告は たいていの忠告がそうであるように 最もリスクの少ない生き方を 奨励するものだった。 僕はそのいくつかの忠告に 少なからず影響を受け 今日の僕があり 明日からの人生がある。 「何もできないうちに卒業するなんて 18歳のときには想像していなかった」 ———————————————————————— 卒業式。語学のクラスの友だちと 原宿の「キーウエストクラブ」に行く。 水着ディスコパーティーで16年間の学生生活を

          1984年 22歳の地図①

          1984年 まえがき 22歳の地図 

          22歳 大学卒業から新入社員時代の記録を34歳のとき「22歳の地図」というエッセイにしたことがありました。今、62歳になり「1984年 22歳の地図」として、少し整理、リライトして書いてみます。 30年前の気持ちは、あえてそのまま生かします。^ ^ 乞うご期待くださいませ。

          1984年 まえがき 22歳の地図