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音楽劇「逃げろ!」を通して考える、逃げるという選択(観劇)

これは二人の「天才」の物語。
やばくなったら、「逃げろ!」


突然何を言い出すんだ、と思いますよね。笑
こんばんは。初めましての方は初めまして。ナンヤテ❗️❓と申します。変な名前ですね。
今回のnoteは、先日千穐楽を無事迎えた音楽劇「逃げろ!」の感想を、私の経験談と交えて書こうと思っています。
演劇の話ですが、演劇を見ない方にも伝えたいメッセージがたくさん詰まった文章なので、よかったら読んでいってください。🫶

🚨注意🚨
私個人の考察や見解が含まれますので、苦手な方は回れ右してくださいね。また、2500文字以上書いているので、長文嫌だよ!本題だけ読みたい!という場合は、「逃げる」という選択肢の項目まで飛んで頂けると。🙆‍♀️

「逃げろ!」どんな話?

軽やかで世渡り上手、売れてお金になるオペラを作ることや役職を持つことがモットーで、自分の音楽性や個性にはこだわりがないダポンテが、売れることよりも音楽の持つ意味思想や己の感性を大切にし、変わり者で、神童とも呼ばれた天才・モーツァルトとオペラを作ることになり、相反する性格の二人がドタバタしながらも、それぞれの歯車が噛み合って生まれた『フィガロの結婚』、『ドン・ジョヴァンニ』、『コジ・ファン・トゥッテ』など様々な名曲とともに進んでいく、彼らの楽曲制作と対話。
ダポンテの「逃げる」人生を描いた物語。

ダポンテとモーツァルト

ダポンテを演じられていたA.B.C-Zの橋本良亮さんは、私自身は今回の作品が初見だったのですが、歌に安定感があって、さすがジャニーズの方だなという印象。また、ゲネプロ映像よりもパワーアップされていたようにも感じて「なんて人なの…」と勝手に感動しておりました。笑
ダポンテの「真の天才とは違うけど、器用でうまく生き抜く性格」がしっかり役に落とし込まれていて、モーツァルトとの対比にもなっていて素敵な役者さんだなと感じました。


そして、推しさん演じるモーツァルト。「真の天才」と呼ばれるモーツァルトを演じると聞いたときは、推しさん本人の、普段の「佐藤流司」に近しいキャラクターかと勝手にイメージしていたんですが、いい意味で全然違いました。
近寄り難い存在感を放っているわけではなく、とてもコミカルでポップな雰囲気を持ち合わせている、ナチュラルボーンな天才。だけどどこかズレていて、音楽センス以外の感性が人より欠落しているような、そんな人。
とても魅力的なキャラクターでした。

彼は日替わりシーンでずっとお尻の話をしていて「新幹線で座りっぱなしだったのが相当お尻にきてるんだな🤔」などと考えていましたが、どうやらモーツァルトは下品な言葉が好きな人だったそうで、
作り込まれたアドリブシーンに後から気づいて、ウッッとなったのは言うまでもないです。笑
終盤のモーツァルトの姿は、天才佐藤流司と重なるところも多くて、あまりの儚さに心が震えました。
言語化が難しいですね。

素敵なダポンテとモーツァルトをありがとう、はっしーさん、流司さん。
ここからは作品の話をしていきたいと思います。

内容について


ダポンテの「逃げる」人生を描く。

今作では、ただロレンツォ・ダポンテという人物に焦点を当てるのではなく、ダポンテの「逃げる」人生に物語の重心を置いており、この物語のポイントはまさにここにあると感じました。
ダポンテの作ったオペラは酷評を受けたり反感を買ったり、また話の終盤ではウィーンにはいられなくなりロンドンへ逃げることになったり。きっと誰から見ても、順風満帆とはいえない人生です。
そして、ダポンテは作中でも様々な「逃げる」という選択肢を取ります。
人々の声から逃げる、世間から逃げる。場所を点々とし、逃げるダポンテ。
社会がじわじわとダポンテやモーツァルトを追い詰めていくさまが丁寧に描かれていて、どんどん物語に魅了されていきました。

「逃げる」という選択肢

音楽劇「逃げろ!」のキーとなる、逃げるという行為。
この、「逃げる」という選択肢を取ることは必ずしも悪いことでしょうか。

私は、ダポンテやモーツァルトらが活躍していたのは約200年以上前の時代だけれど、現代を生きる私たちにも通ずるものがある、と感じました。

私は、生きていく中で、みんなそれぞれ様々な力を受けながら過ごしていると考えていて、そのというのは、「責任」や「人から言われた言葉」など、人によって違い、数え出したらキリがない、多くの力だと思います。
人には限界があり、かかっている負荷(力)が自分の容量ギリギリだったり、超えていたりすると、精神や健康が損なわれて、つらくなってしまうのです。
そうならないために、私たちはこの負荷を消化していく必要があり、その方法のひとつが、「逃げる」という選択肢だと考えています。
「負荷になっている事柄を解決する(もしくは軽くする)」という方法と「負荷になっている事柄を捨てる」という方法。
前者を選択できるのが一番いいのかも知れません。ですが、もう、どうしようもないときだってあると思います。

そんなとき、もし、貴方が逃げることができる状況であったのなら。
私は逃げてもいいんじゃないかと思うのです。ダポンテのように。


私は中学生の時に、学校にいくのがしんどくなり、いわゆる「不登校」になった時期がありました。

学校から「逃げる」という選択肢を取ったんです。

受験勉強もできる状態ではなく、通信制高校に入学。

受験や勉強からも「逃げる」という選択肢を取りました。

自分が嫌いで、自分からも逃げて、友達と会うのも怖くて、友達からも逃げて。多分、ダポンテと同じくらい、様々なことから逃げました。


私やダポンテのこの選択を、否定する方もいるかもしれないですね。


でも、私は、自分を守るために、「逃げる」という選択肢をしたこと、後悔はしていません。
先述しましたが、逃げずになんとかできるのなら、逃げない方がいいのかもしれません。だけど、逃げた先でまた新しく頑張ることだってできると思うんです。

ダポンテは、ウィーンから去ったあと、人気を失い様々な土地を渡ったのちにコロンビア大学最初のイタリア文学教授に就任し、イタリア語およびイタリア文学の教育に献身したとされています。
その後は最初のオペラ劇場の設立に失敗したり、批評されたりもした彼ですが、約200年以上経った今でも楽曲や記録が残っています。
私自身も、新しい場所でたくさんの面白い人々に刺激をもらったり、普通校の学生の学校生活とは少し違うかもしれないけど、充実した日々を送ることができています。

きっとダポンテもそうだったんじゃないでしょうか。

最後に

ダポンテの逃げる人生とともに移り変わっていく、ダポンテの周りの環境や時代。
彼の人生と自分を重ねて観た、不思議な作品でした。言わずもがな、私にとって大切な観劇の思い出となっています。
都合で一度しか観劇できなかったのがとても残念ですが、この一回の公演のことをずっと覚えていたいです。

長くなりましたが、今回のnoteはここまで。


やばくなったら、「逃げろ!」

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