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岡田暁生『音楽の聴き方-聴く型と趣味を語る言葉』【基礎教養部】

書評は上のサイトを参照。

また、同じコミュニティのメンバーの蜆一朗さんとあんまんさんも同じ本でNote記事を書いてくださった:

アマチュアにとっての音楽の楽しみ方-音楽は「上手・下手」ではなくて「音楽をしている・していない」

コロナ禍になって家で過ごす時間が増加したことやストリートピアノの普及、You Tubeなどのメディアの影響により、趣味としてピアノなどの楽器を始める人が最近増えているそうだ。私もそのうちの1人であり、最近本格的にピアノを再開した。我々アマチュアはどのようにして音楽を楽しみ、音楽に向き合えばよいだろうか?この記事では、プロではなくアマチュアが音楽を楽しむために大切にしたいことについて述べる。プロにはない、アマチュアならではの楽しみ方というものが存在するはずである。

本書の第2章「音楽を語る言葉を探す」において、著者は次のように述べている:

比喩とは言えないかもしれないが、もう一つの印象的な例を挙げておこう。クラシック音楽における「地元の人(ヨーロッパの愛好家たち)」が極めて頻繁に使う、「彼はきちんと音楽をしていた」/「あれは音楽じゃない」という表現である。例えば有名演奏家の、極めてブリリアントではあるものの、これみよがしで技術が空回りしているような演奏について、彼らはよく「あれは音楽じゃない(ドイツ語で言えばDas ist keine Musik.)」という言い方をする(例えばいつか知人がムーティのモーツァルトを聴いて、一拍一拍を金槌で叩き込むようにして振るその様子を、「あれは樵だ、あんなの音楽じゃない」と形容していた)。逆に、非常に不器用だが、音を大事にして、何かを伝えようとするような弾き方に対しては、「彼はちゃんと音楽をしている(Er macht Musik.)」という賞賛が贈られる。

岡田暁生『音楽の聴き方-聴く型と趣味を語る言葉』第2章 音楽を語る言葉を探す p71

私は、アマチュア音楽家にとって最も重要なことは、「ちゃんと音楽をしている」こと、「音を大事にして、何かを伝えようとするような弾き方」をすることだと思う(もちろんプロにとっても重要なことだと思う)。

コンピュータに楽譜に書かれた音を打ちこんで奏でる演奏は確かに正確で間違いがないが、決して人を感動させることができない。それに対して、人間がする演奏には、一音たりとも間違えないような完璧な演奏というものは存在しないが、時として、人々の胸を打つ演奏というものが存在する。人を感動させる演奏かどうかは技術的な正確さとは関係ないのである。

もちろん、いくら「音楽をする」ことが大切だと言っても、技術や知識を全く持っていなければそれを実現することはできない。自分のやりたい音楽を「する」ためにはそれを支える技術と知識が不可欠である。ただし、その技術や知識が最も重要なことだとは私は思わない。優先順位として最も高い位置に「自分のやりたい音楽」というものがあり、それを実現するために技術や曲の背景などの知識を身につけるのだと考える。

アマチュア音楽家は、プロと比べるとどうしても技術的な面ではどうしても劣ってしまう。ただ、「自分のやりたい音楽」を考えるという点ではアマチュアもプロも同じである。自分が今持っている技術と知識をフル活用して、できるだけ「自分のやりたい音楽」に近づけるということが大切なのだ。そして、コツコツ練習して「自分のやりたい音楽」を実現できた瞬間こそがアマチュア音楽家にとっての至福の時である。

特に日本では、音楽は「上手・下手」で語られがちである。それはコンクールなどで順位をつけられるということなどが影響しているのだろう。確かにプロを目指す人にとってはコンクールで順位をつけるというのはそれなりに意味があることだろうが、アマチュアの世界においてもそうだろうか?プロの世界では、音楽で食べていけるようにするにはコンクールなどで入賞して世間の評判を高めることは大切だろう。しかし、アマチュア音楽家は決して音楽で食べていこうとは思ってはおらず、趣味として音楽を楽しもうと思っているだけであり、そのようなアマチュアの世界で音楽を「上手・下手」の軸だけで捉えるのはとても愚かなことである。

最近、You Tubeの広告でピアノ初心者用の練習用アプリをよく目にするのだが、私はそのアプリに何か違和感を感じてしまう。そのアプリは、表示される楽譜通りにピアノで弾き、弾いた音をアプリが認識して、もし間違った音だったら正しい音を出すまで前に進めない、というものである。

このアプリを使用している人は果たして「音楽をしている」と言えるだろうか?私は決してそうは言えないと思う。このアプリではあくまで機械が音の正確性(のみ)を認識しており、また、ピアノはどのようなタッチの仕方でも正しい鍵盤を押しさえすればその音が鳴るという仕組みになっていることもあり、このアプリを用いて音楽的表現を身につけることはできない。むしろ音楽的表現を身につけるという意味では逆効果であり、機械がする演奏に近づくだろう。このアプリはピアノ学習のためのアプリというよりは音ゲーに近いと言える。

ピアノというのは音ゲーではない。音ゲーの目指すところはミスが全くない機械的な演奏であるが、ミスをせずに演奏する技術は自分の音楽を実現するための1つの要素に過ぎない。

人間がする演奏というのは毎回違うものである。そして毎回演奏が違うからこそ価値がある。演奏する場所やその時の気持ちなどによって間の取り方や抑揚のつけ方などが変化する。時には人前で演奏するときなどで緊張して普段しないような技術的なミスをすることがあるかもしれない。しかし、技術的なミスというのは音楽の1つの要素に過ぎない。ミスも含めての音楽なのである。

終わりに

私は主にクラシック音楽をやっているのだが、私の周りの友達にクラシック音楽を聴かせても、皆「クラシック音楽は分からない」と言う。それは本書で言うところのクラシック音楽に関する「聴く型」を彼らが持っていないからである。

クラシック音楽は敬遠されがちであるが、テレビなどで普段耳にすることが多くあり案外身近なものである。そしてそれらの中には「いいな」と思うものがいくつかあるはずである。その「いいな」と思ったものを中心に色々調べてみて「聴く型」を身につけてほしい。そうすると音楽の世界が一気に広がるだろう。

「聴く型」は、実際に生演奏を聴いたり実際に自分で音楽をやってみたりすることでより身につけることができる。最近ではYou Tubeなどで簡単に音楽を聴くことができるが、その音楽はデジタル信号に変えられた後の音楽であり、やはり生演奏とは大きく異なる。そしてコンサートホールといった演奏の場も含めての生演奏を楽しむことで様々な「聴く型」についての刺激が得られる。また、実際に自分で曲を演奏してみるとその曲に対する解像度が格段にあがる。実際、私も曲を演奏してみた後にその曲を聴いてみると今まで気づいていなかったようなことも多く気づいたりしてよりその曲を楽しむことができた、という経験を何度もしている。

以上はクラシック音楽についての話をしたが、それらはクラシック音楽に限らず様々なジャンルの音楽にも当てはまると思う。どのような種類の音楽でも、実際に生演奏を聴いてみたり自分で演奏したりすることで、より「型」を身につけることができるだろう。そして、実際に自分で演奏してみる際に大切にしたいことは、「音楽をしている」かどうかである。

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