ロゼッタ・イージスは再生者粛清教師

「まさか私が戦闘経験もない中学生にここまで追い詰められるなんて思いもしなかったわ。素直に賞賛してあげる」
私は左足の激痛が消えたのを確認してから、唇を吊り上げる。
まったく大した中学生たちだと思う。
たとえ、彼らが人間ではないとしても。
私は心からの賞賛と憐れみを込めて、微笑んだ。
そして、違和感に気づく。
私が見ているのは、「私」だ。
聖銃侍教会の星銃侍団三銃士の一人にして、カリフォルニア殲滅戦のジャンヌダルクと言われている私がそこにいた。
自慢の金髪は青と緑と泥色に彩られ、化粧崩れが目立つけれど、整った容姿は確かに私のものだ。
(なぜ?)
とは考えない。
その事態を飲み込み切れないまま、私はつま先で床を蹴って飛翔している。
目の前に見えている私が勢いよく、左手を跳ね上げようとしているのが見て取れたからだ。
そうあれが私ならその左手には――
私が飛び上がった後に、三発の銃弾が惜しみなくまき散らされる。
私は天井近くまで飛び上がり、天井を蹴って――!?
天井に届くはずの足が空を切る。
私の目論見では、天井近くに飛びあがり、天井を蹴って加速してそのまま、私の顔面をロックし、首根っこを引っこ抜く勢いで床に叩きつけるつもりだったのだが、実際の私はゆっくりと放物線を描いて、私の背後に降り立つことになった。
私がとっさにローキックを放ったのは何、わかったからだ。
足が天井に届かなかった以上、何らかの理由でリーチが短くなっているのだと。
足は手より長い。
そして先ほど天井を蹴りそこなった事で足の届く範囲はつかんだ。
ごっといい音がして、私の左足が前へ吹き飛んだ。
もちろん私が見ている私の左足だ。
カーボンシールのストッキングは私の蹴撃の威力をほとんど相殺してしまった感覚があった。
しかし私の蹴りの威力はカーボンシールのストッキングに完全にはじき返されるほどには弱くはなかった。
リーチは短くなっているが威力は元の体とそう変わらないといったところだろうか。
私がそう予測したところに思わぬ衝撃が来た。
私の体の右肘が私の側頭部を捉えたのだ。
それは私の体を使う者の恐るべき技量を表している。
私はよろめきながら私を見る。
視る余裕がある。
今の私の体は私の肘打ちを側頭部にまともに受けても意識を失わず、もちろん頭も失うことがないほどの強靭さを持つという証拠だ。
岩をも砕く一撃で傷一つつかないほどの強靭さを私は持っている。
案外、今の身体感覚というのは幻覚の一種なのかもしれない。
見えている私が偽物である可能性があるということだ。
そう考えれば私の「足が短い」という認識も幻覚、意識を操作されているためなのかもしれない。
そうならばとてつもなく厄介な「能力」。
いやそう思わせるちっぽけな「能力」なのかもしれない。
再生者が宿す「能力」というのは千差万別だ。
もちろんパッと見は全くくだらないと思える「能力」もある。
だが使いようによっては信じられないほどの脅威となる。
もちろん再生者の最も大きな力はその「再生能力」だ。
どんな「能力」も「再生能力」を得たときのおまけに過ぎない。
しかしその「能力」がどんな役に立つのか、どれほど優れた効果を表すかを知っていればそのおまけをおろそかにはできない。
「能力」は使い手の判断、機転によって無限に広がっていく。
その意味では今、私の姿をしている再生者は、うまく私をはめたと言えるだろう。
わずかな差が、勇者を殺す戦場で私の意識を見事に戦闘以外のことに向けているのだから。
私は教壇机を蹴り飛ばして、前へと吹き飛びながら伏せ撃ちの姿勢へと移行している敵を見て、舌打ちする。
私ほどではないが、見事な身のこなしと言えた。
何より射撃体勢に入ってから一呼吸待って、精神と肉体を一致させるところなど舌を巻くしかない。
あれはほんとうに中学生だろうか?
まるで戦場帰りのベテラン兵士のように隙がない。
いや問題は私だ。
私は思わず舌打ちした。
つまり、イラついたわけだ。
ほんの一瞬だとしても。
私はイラつきをかみ殺して、後ろに飛ぶ。
後ろに――
私は知らず知らずのうちに驚きの表情を浮かべていた。
この私が、星銃侍騎士団最強の三銃士の一人にして、カリフォルニアのジャンヌダルクたる私が前へ行くべき状況で「後ろへ下がった」、いや「下がらせられた」のだ。
私は驚きの表情を消す暇も惜しんで腕を伸ばす。
そして手に触れた黒板の縁をつかんで思いっきり、引っこ抜いた。
私のあまりの強力に壁に張り付いている黒板は悲鳴の一つも上げずに屈服する。
私が屈服した黒板を頭上よりやや前に持ち上げたとき、確信のこもった眼をした私が破滅銀の銃弾を発砲した。
黒板を投げつけてけん制するのは無理だ。
私は舌打ちをし、後ろに下がらせられたに自分に歯噛みしながら、手を放す。
銃弾を放った私の姿が黒に消える。
ビキビキと黒板が音を立てる。
六発の銃弾が黒板に着弾し、それぞれの破壊跡がつながり音を立てたのだろう。
私は近くにあった物を素早く放り投げると黒板の右端、つまりは私を左側から襲うために走り出す。
あの中学生の少女は右利きだった。
左を取れば有利に戦える。
しかし私の目論見は完全に外れた。
黒板の裏から飛び出した私に即座に星銃アンゼロットの銃口が向けられる。
両手効き?
今まで様々な場面で、あの中学生が指揮を執っていた姿を見るかりぎ、わずかに戦った状況を分析する限り、あの中学生が左利きだと言う事は絶対にありえない。
私の磨き抜かれた戦闘感覚もそう言っている。
だがこの反射速度はあの中学生が左利きと考えるしかない。
わからないことだらけだ。
いやわからないと思わされているのか?
私は向けられた銃口を避けもせずに突進している。
星銃を構える私の体を持つ中学生の周囲に白い粉が舞いあがる。
黒板から飛び出す前にたっぷりとチョーク粉の着いた黒板消しを投擲しておいたのだ。
このまま、とも思ったが私の姿をした中学生が、瞬きほども躊躇することなく、発砲したのを見て、私は足を止める。
判断が速いというレベルの話ではない。
いくつもの修羅場、実戦経験を積んだ銃士でもこうはいかない。
そう思える思い切りの良さだ。
私の勘はもうもうたる白粉に巻かれながらも発砲した私に不用意に近づくのは危険だと言っている。
私はとっさに自分の体に意識を向ける。
元の私よりかなり足が短く、背も高くない。
しかし筋力いや筋力という常識を超えたパワーとスピード、「再生者という体質」は私に大きな力を与えている。
少なくとも私がそう感じる程度にはしっかりとした確信がある。
自身の体の感覚をサーチしていくと背中のあたりに固いものがあるのに気づいた。
固いと言ってもただ硬質な物体というわけではない。
肩がけのリュックのような丸いポーチは、重量に比べては非常識な強度を持っているように思える。
鋼の弾を撃ちだすスリング。
鋼鉄の球体で人体を粉々に砕くチェインハンマー。
ともかく、人を破壊するのに十分な破壊力が小さくなった私の背中に宿っている。
私はそれを意識した瞬間に肩がけの紐を外して、私の頭に向かって振り下ろしていた。
正しく、素早い判断だ。
少なくとも間違いではない。
悪い判断ではないという意味ではなく。
私がポーチを振り下ろすと同時に床のタイルがはじけ飛び、その基礎の部分が砕ける。
確かな感覚と視覚を駆使すれば、それが本当に現実であるように思える。
もし、これがすべて幻覚だとすれば、すでに状況は私の対応できる領域を超えいると言ってしまっていいだろう。
厄介な状況だった。
だが打つ手はない。
今まで、この中学生が指揮に徹して前に出てこなかったのは、このあまりにも強力な幻覚を完成させるための下準備だったのかもしれないとさえ、思える。
私はそんな考えに脳の領域の一部を支配されながらも、動いている。
私は床を砕いたポーチを素早く引き寄せ、遠心力を利用して下から上へと回転させる。
風車のように勢いよく、黒ポーチが絵具と泥で汚れた金髪の上を狙って落ちていく。
そして、その下にある頭蓋骨をスイカのように砕く――
はずだった。
だがそれは実現しない、。
なぜなら私の視界は粘性のある液体に遮られ、足元から床の堅さと摩擦が消え去ってしまったのだ。
もし私の足を支えているのが、カーボンシールのストッキングならこんなことにはなっていないだろう。
カーボンシールのストッキングには磨き抜かれた鉄板の上に滑りやすい油をぶちまけられていたとしても、足場を失わないほどの、しかし動きにくくならないという滑り止めと移動しやすさの両立を、驚くべきバランスでの成し遂げているのだ。
だが今私が履いている靴の底はカーボンシールのストッキングに比べてあまりにも滑りやすく、貧弱だった。
「わぁっ」
視界を遮られ、寄って立つ大地から嫌われた私は天高く、足をけり上げるような形で後ろに倒れた。
完全な不意打ちだったがとっさに両手足を縮めて背中で受け身を取り、その勢いを利用して後転の要領で体を私の方へと戻す。
「往生せいやぁ!」
聖銃の銃口から破滅銀の弾丸が放たれるのが見えた。
私の全身が氷像になったかのように凍てつき、心臓が激しい音を立てて跳ね上がる。
私の心臓どころか全身をわしづかみにした根源的な恐怖の源は破滅銀だ。
再生者に触れただけで、その存在を塵芥と化してしまう絶対的な神の祝福たる絶対致死の死毒物質。
それが近づいてくる気配だけで私は恐怖に縛られる。
ぞむっ。
そんな感覚音が私の全身を刺激した。
耐えがたい死の恐怖だけが奏でるその音に私の全身は震えあがる。
実際に激しく振動していた。
その震えはあまりにも激しく、やがて無意識の領域で力に変わっていく。
額に灼熱にも似た感覚が押し付けられる。
破滅銀が接近してきたとき、いつも感じるあの感触だ。
ぶるぶると震える体は激しい衝動によってとどまるところを知らず、無意識の領域を震わせた力がこの世界へと顔を出す。
溢れた力が世界を染めていく。
ゆっくりと、
だが現実の時間に縛られない、
無意識の領域とこの世界をつなぐ奇妙な絆が私の意識を導いていた。

「よっしぁ!」という声が聞こえた。
拳を握って声を上げたかと思える声は、破滅銀の銃弾を放った姿勢のまま、叫ばれていた。
「あれ」が起こったのだ。
「何がいいの?」
私は私に声をかけると同時に上半身のバネだけを使う特殊な膝蹴りをお見舞いする。
キックを含めたあらゆる足技は基本的に軸足の利用が欠かせない。
軸足の利かない状況のキックは本来の威力の半分以下になってしまう。
もちろん上半身を使って、伝わる力を円滑に伝える技術は重要だが、もとは足元にある大地の力だ。
今、私が寄っている大地は泥と水の中に食い込んでいる鋼鉄のポーチだ。
幸いなことにポーチが落ちたのは私の体の右側、私が引き寄せられた場所にあった。
私はそれを利用して、足元を固め、東洋の身体操作法「捻転」を使ったこのキックは私のとっておきだ。
ベアークラッシュ。
私の身体能力も手伝って、熊のあばらをも蹴り砕く膝蹴りだ。
しかし、私の膝にはあばらを砕く感触は響かなかった。
やはり足場が悪いせいで、威力を集中しきれていないのだろう。
それでも、骨の一本や二本は簡単に砕けそうなものだが、手ごたえはかなり薄い。
ここまで手ごたえがないのは初めてだ。
それでも私の体は水の上を滑るように何度もバウンドして吹き飛んでいく。
あの吹き飛び方を考えるとどう考えてもあばらは粉々に砕けていないとおかしいというのに・・・
私は戸惑いを持ったまま、私の体を持つ中学生との間合いを詰めようと動き――足を滑らせてぬかるんだ泥の中に頭から突っ込んでしまった。
まずい。
今の状態は完全に狙いたい放題の無防備だ。
そして吹き飛んだ私の体が無事ならばすぐに立ち上がり、銃弾を撃ち込んでくるに違いない。
あの中学生は、油断ならない戦士でもある。
少なくとも私が経験の差を盾に、油断していい相手ではない。
私が両手でどろりとした泥をつかみ、勢いよく顔を上げた。
(どこに?)
私は泥水から顔を上げるとすぐに周囲を見回した。
油断ならないあの中学生。
彼女はベテランの職業軍人に似た判断力と行動力がある。
吹き飛ばされた場所にそのまま、いるとは限らないと思った方が良い。
顔を持ち上げると正面に銃口が揺れている。
私は手探りでポーチの位置を探ると派手な動きで立ち上がると同時に背中から天井へとポーチを跳ね上げた。
揺れていた銃口が定まった。
私が立ち上がったことで、跳ね飛ばされた低い姿勢のまま、私に狙いをつけた中学生の構えた聖銃の銃口は下から私の胴を狙っている。
犬のような声が上がる。
私が投げたポーチが放物線を描いて、天井付近をかすり、私の体の頭の上に落ちたからだ。
ダメージは少なかっただろが、壁際まで吹き飛ぶほどの膝蹴りを受けて、すぐに銃口を上げるというのは並々ならぬ集中力がいる。
ベアクラッシュを受けて、ダメージがないことに混乱もしている状態で、天井をかすめて落ちてくるポーチを視認することは難しい。
私でも、そうだろう。
そして精神的混乱と衝撃を受ければ、手が止まる。
ポーチは最高の結果である私の体を持つ中学生の頭を砕くことどころか、最低限のダメージを与えることさえできなかった。
しかし、成果としては十分だ。
慌てて発砲された破滅銀の銃弾はポーチを意識させないために、わざと勢いよく立ち上がった私が再び泥水に足を取られて、転んだすぐそばに着弾する。
二発。
黒板に六発、走り出したところに眉間に一発、合わせて九発が失われたことになる。
残るは弾丸は十一発。
もっとも私は泥水の足を取られて、転倒している。
先ほどのポーチを意識させないための威嚇的起き上がりの時転んだのは仕方がない。
しかし、立ち上がろうとした私は再び転んでしまう。
「また」
といったとき、あの感覚が全身を激震させ、気づくと私は私の体の右側に立っていた。
私が青ざめる間もなく、破滅銀の弾丸が発砲される。
ぞむっという感覚音がして、私は私から十数センチの距離から放たれた弾丸を無効化した。
私の「能力」は破滅銀に触れないというものだ。
私以外の人間にも、機械にも感知できない方法で行われる自動回避の詳細は私にもわからない。
ただ破滅銀に触れそうなとき、あの感覚とぞむっという感覚音がして、私は無事に存在している。
もちろん今起こっているように距離を跳躍するような現象は初めてだ。
私は三メートルは離れていた私の体を使っている中学生の右側に二度転移している。
いや今ので三度目だ。
しかし三度目は転移したということがわからなかった。
私の体を使っている中学生のところまでは転移して、その近くでは転移を意識できないと言う事は、私の「能力」は私の肉体に依存して発生する現象能力なのかもしれない。
そうなると私の肉体は見た目通りに、相手に奪われたということになる。
体と意識を入れ替えられる。
それがあの中学生の「能力」か?
少なくとも幻覚催眠よりは肉体と意識の交換の方が理屈に合っていることになる。
そんなことに意識を先ながらも私は私に向けられる銃口も視界に入れている。
距離は至近。
私はとっさに手を伸ばそうとする。
蹴りを繰り出すには足場が悪いことは体験済みだ。
私の目に映っている私が顔をかばうように腕を動かす。
瞬間、私の視界は粘性のある液体によって奪われる。
私はとっさに泥水の中を転がった。
至近距離では左から撃ちにくい、左方向へと飛び込むように、倒れこむ。
ごろごろと転がるというより、浅瀬を泳ぐような感覚だ。
発砲音と着弾音がする。
着水音というべきかもしれない。
さすがに泥水の中を転がりながら、発砲数を数えることはできない。
泥水の中を転がってから、その必要がなかったことに気づいた。
私の体は破滅銀を受け付けず、必ず私の体と入れ替わった中学生の右側に位置することを思い出したからだ。
よく考えればあのまま手を伸ばしていた方が良かった。
だが離れてしまった以上、悔むのは意味がない。
そもそもそのことに気づいたのはつい先ほどで、即座に活用するには時間がなさ過ぎたと思うことで後悔を振り切る。
あの破滅銀を自動回避する「能力」が発動するときの感覚は進んで味わいたいものでもない。
(だから正しい。これでいい!)
私は自分の後悔をねじ伏せると左手をついて、姿勢を整える。
伏した猫のように見えるかもしれない。
あるいは泥水に、いやあの中学生に苦戦する哀れなロゼッタ・イージスか?
私は次に発砲音を聞いたら、「能力」の発動に身を任せて、あの中学生のそばに行き、勝負を決めようと考えている。
こうやって発砲を受けてもかわしやすい体勢を作って見せることには大きな意味がある。
とにかく発砲させることだ。
しかし、私の体を使っている中学生は破滅銀の弾丸を撃ち込んでは来ない。発砲できないのではなく、しなかった。
私の体を使っている中学生は滑りやすい泥水を避け、手近な机を足場にして跳躍を始める。
机から机へ、そして見る見るうちに速度を上げ、壁から壁へと移動角度を変えていく。
それは破滅銀の弾丸を受けて転移するという行動を期している私にとっては戸惑いを生む行動だった。
破滅銀を受けて、私は私の体のそばに転移する。
普段なら問題はない。
だが高速で壁を飛び回る私のそばにとなると問題がある。
私は破滅銀を自動回避する「能力」を持っている。
しかしそれ以外を自動回避することはできない。
例えば教室の壁、天井、机などだ。
しかも私は私の「能力」について完全に把握しているわけではない。
私が私自身の体において、それが使われる分には問題はないように思える。
私が恐れるのは、もし私の片田の右側が壁であり、そこにめり込む形で転移する羽目になった場合のことだ。
転移の予兆が振動である以上、不吉な予感はぬぐえない。
もしこの自動回避が「テレポート」的な要素を持っているとしたら、そうなったとき自他ともに大きな被害を被るだろう。
消滅、同化、エネルギー暴走。
全く予想がつかない。
私の自動回避「能力」はある種不可思議な現象だ。
たとえば無から有を生み出すようなことができる「能力」の特徴を備えているといえばわかりやすいかもしれない。
条件はあっても縛りはない物理法則を超えた現象。
だから予測がつきにくい。
私のように全くコントロールできない「自動発動」型となればなおさらだ。
しかも今は「能力」を発揮する私の意識と「能力」の基となる肉体が別々な状態だ。
私は戸惑い、混乱するしかない。
もしこれを計算して壁を渡っているのだとしたら、あの中学生は戦いにおいて「天賦の才」を持っているといえるだろう。
正直、逃げ出したいとさえ思う。
(まさか中学生相手にここまで追い詰められるなんてね)
私は「再生能力」によってズタズタになった左足が戦うのに充分なていど回復したときに、この言葉をからかいの意味で放ったことを思い出す。
日本の原始信仰に言霊信仰というのがあるらしいが、まさにそれかもしれない。
私は追いつめられている。
追いつめられていると思った瞬間に、それを振り切るために軽く頭を振る。
頭を振った先に私の姿がある。
つまり壁を走り飛んでいた私の体が小さく左右に移動していると言う事だ。
そして私の体は私の視界から消える。
上と思うべきだろう。
今まで壁を渡り、横の動きに慣れさせておいて、上下の動きに切り替えるというのはまさに戦理にかなっている。
実際に私は私の体を使っている中学生の姿を見失っている。
発砲音が響く前に、私は右へと体を動かしている。
私の体を使っている中学生が天井に張り付いて発砲していたとしても、壁に張り付いて発砲する形になっていてたとしてもこれを受けるわけにはいかない。
下手に転移すれば壁の中だ。
泥水の中を泳ぐように這いずりながら、私は右へと動いた。
そして泥水の中を探る。
そこには「あれ」が落ちているはずだ。
私はそれを拾うと発砲音が聞こえる前に振り向きもせず、黒いポーチを後ろへと投げ、そのままの勢いで泥水の上に浮かんでいる机をつかみ、背中に背負う。
四度発砲音が鳴った。
もちろん当たることはないが私の体のいる場所がわからない以上、受けるわけにはいかない。
二つは鈍くつぶれるような音、二つは木を穿つようなやや高い音だ。
跡の着弾は私が背負うようにした机に破滅銀の銃弾が命中した音だ。
机の脚を持つ手に、響きとともに伝わってきた振動がそれを教えてくれる。
私はそのまま机を蹴り上げる。
机で視界が遮られるのが嫌だったからだ。
私は私の体を使っている中学生が背後にいると考えている。
先ほど、位置を移動せずに発砲してきたので今度もそうだと判断したのだ。
しかし私の予測は外れていた。
私が四つん這いの姿勢から、足首の力だけでどうにか机を蹴り上げた瞬間、頭上から「嫌な灼熱感覚」が迫っているのがわかった。
私が「わかる」ということは「当たった」はずの弾丸と言う事だ。

一瞬、ひやりとしたが私の体の右側は壁でも天井でもなかった。
私は自分が蹴り上げた机が天井に到達するのを待つこともなく、天井から落下しようとしていた。
私の存在にはじかれるように私の体を持った中学生が天井を蹴り、壁へと移動する。
天井付近に移動した私の足元には先ほど蹴り上げた机が迫っている。
私は天井に手を伸ばしてみたが届かない。
私は机とともに再び泥濘の中に落下する。
泥水の上に破滅銀の銃弾が生んだ波紋を打ち消すように、私と机の落下によって水しぶきとともに生まれた波紋が広がる。
私の体を持った中学生は私の周囲を飛翔旋回している。
壁を蹴って横回転するように移動する「あの」移動術だ。
私は直線移動の速度を上げるためにそれを使ったが、私の体を持つ中学生は包囲の形を作るためのあれを使っている。
(ほんとうに大したものね)
私はため息をつきそうになり、それをかみ殺して、タイミングを合わせて机を振りかぶるとその勢いを利用して前に飛び出せるように体を机の投擲の動きに合わせて移動させる。
机を投げるときに手を放すタイミングをずらして、机の移動力に体を乗せることで私の体を持つ中学生に向かって飛んだといえばわかりやすいだろう。どんな場面においても包囲されるというのは好ましくない。
机の重さと勢いは私を飛翔させるだけのパワーを持っていた。
もちろんそのまま移動しても横回転移動を続ける私に迫ることはできない。
私の飛翔はあくまで机の移動力の余波に過ぎない。
私はその余波でわずかな距離を飛翔した。
そう、泥水の中に浮かんでいるもう一つの机の上に飛び乗る程度の距離だ。私はその机に足をつくと同時に投げた机に拳を叩きこむ。
再生者の「再生能力」に付与される余技に過ぎないが、一面ではその特徴ともいえる「筋力」を超えたパワーが爆発した。
机は粉々に砕け、その破片が壁に向かって吹き飛んでいく。
スマートなやり方ではないが、包囲する横回転を遮るのには良いやり方だ。
もっともこのやり方はあの中学生たちが私の移動力を削ぐために発明して実行した方法だが・・・
壁を蹴りながらの包囲横回転は、壁を蹴る脚力を利用した止まれない移動術だ。
破片を意識しただけでも速度は鈍り、破片をよけようとすれば移動のための足場を変えなければならない。
足場を変えて同じ軌道を描くのは困難だ。
そして私の体を使っている中学生は私ほどこの技術に慣れてはいない。
私の体が泥水の中へと落ちる。
私は足元の机を蹴って上へと飛んだ。
泥水の中へ落ちた私の左手がこちらへ向いていたからだ。
発砲音が響く。
私の攻撃を警戒してのことなのだろう。
泥水の中に落ちるか落ちないかというタイミングでの発砲だ。
(戦い慣れしすぎてない?)
私はまたしても驚きながら、気持ちを揺さぶられていることに舌打ちしそうになる。
とっさに飛んだので天井にぶつかりそうになる。
私は呼気とともに手刀をひらめかせて天井を貫き、一瞬ぶら下がる。
そしてすぐにその手を離す。
泥水の中に落ちた私は憎たらしくなるような冷静さで私を追っていた。
とっさに放たれたに違いない銃弾を示す発砲音、いや銃口が私を追って上に上がっていき、天井にぶら下がっていては確実に命中するタイミングにまで成り上がってきている。
正直、発砲された弾丸の数を数える余裕はない。
そしてまたしても私の眉間にあの「灼熱感覚」が生まれた。
「銃弾は当たらなくても絵具も肘鉄も当たるってこと!」
快哉にも似た言葉と共に私の襟元がグイっと引っ張られる。
私の頭はそのまま泥水の中へと押し込まれる。
完全に先行されている。
動きを読まれた。
私はとっさのことに力負けしてしまった。
ぶざまなことに悲鳴まで上げてしまった。
泥水の中に頭を押さえつけられるまでまったく反応できなかったのだ。
そして気づいたときには、私の体の右側に立っていた。
絶叫にも近い悲鳴が響き渡る。
悲鳴を上げてのけぞったのは私の体だった。
私の体を使っている中学生が右手を握りしめるようにしての背中をそらし、その勢いを抱え込むように膝から崩れ落ちる。
「自分で自分を撃ったの!?」
私は驚きのあまり声を上げ、それどころか不用意に私の体へと歩み寄ってしまっている。
左足のふくらはぎに私の体の腕が当たった。
その腕を見て私はゾッとした。
右手首のあたりまでが白く崩れ始めている。
それは人間の遂げるべき崩壊ではない。
私は思わず机を振り上げている。
どこで拾ったのかもわからない。
再生者粛清教師として再生者を滅ぼすたびに感じてきた言いようのない嫌悪感と恐怖が入り混じった悪寒にも似た何かが私を動かしていた。
「ぎぐぅうううううううううううううう!」
破滅銀を受けた苦痛だけではない絶叫が私の体から発せられる。
目と目が合った。
瞬間、私は机を振り下ろすことをやめてその目を砕くようにタイキックを繰り出していた。
銀色の星の力を宿す、星銃にして聖なる武器である聖銃が美しい放物線を描いて私の左手を離れる。
私はそれが泥水に落ちる前に右手を動かし、「糸」を伸ばして聖銃を捉えると軌道を変えて、それをキャッチする。
私の体はその顔面を赤に染めながら、窓側の壁に激突している。
割れにくいガラスの割れる、軋るような音が響く。
窓ガラスを割った体が壁の向こうへ消えることはなかった。
私の体の右手はざらざらと崩れ、その形の半分を失っている。
私の体を使っている中学生が頭を上げる。
左目が瞼とともに尖ったガラスによって裂けるのが見えた。
私は私が手放した聖銃を拾う。
そして冷静に、冷静でいられるように一つ呼吸をしてから私に向かって語り掛ける。
「体を失った魂がどうなるのかはわからないけれどやれるだけやるから、安心して逝って」
自分の体を滅ぼすというのは私としても恐ろしい。
だが再生者を滅ぼす聖銃侍騎士団の銃士にして粛清教師である私にはその覚悟と使命がある。
命に代えてもやり遂げるだけの意味があるのだ。
私は引き金を引き、私の心臓に向かって破滅銀の銃弾を発射した。

ぞむっ!
私の体の心臓を貫くはずの破滅銀の銃弾は私を避けるように壁にして、命中していた。
正確には私の体が命中したはずの弾丸を避けたのだ。
自動回避「能力」!
私は破滅銀に触れそうになったときにいつも感じる「灼熱感覚」の数十いや百倍はある悪寒に漏れそうになる苦鳴をかみ殺し、襟元に左手を持っていく。
そこには「糸」が仕込んである。
さっきわたしがわたしの体を蹴ったときに奪い取った「糸」は肩口に仕込まれていたもので、この類の武器は粛清教師の持ち物にはいくつも仕込まれている。
私の「糸」は重量が2tもあるトラックをやすやすと吊るしあげ、鋼鉄をも断ち切る特別性の武器だ。
私は手早くそれを右腕の肩口に巻き付けると片方を歯で噛みしめてから思いっきり引っ張る。
ぎりぎりと嫌な音がする。
痛みも激しいが迷っている暇はない。
私は全力を持って右腕を切断した。
ジンジンと痺れるような感覚が肩口の切断面を激しく叩き、同時に腕を切断することを即決させた悪寒が去っていく。
私にはそう思えた。
パン!
乾いた音が聞こえた。
私を追い詰め、再生者の破滅の悪寒まで感じさせた中学生が発砲したのだ。
破滅銀の弾丸はもちろん私に命中して、その事実を捻じ曲げる。
私に命中したはずの弾丸が背後で爆ぜる。
その音を聞いて、私は思う。
まだ、使命を終えていないと――。
私は左手を閃かせ、「糸」を鞭のように激しく、撓らせた。
「糸」は私の体を使っていた中学生に、いや中学生に戻った中学生の首に巻きつこうとする。
中学生の少女はとっさに聖銃を「糸」と首との間に挟み、すぐにその全身から力を抜く。
落下するように崩れ落ちた少女の頭上で糸が絡まり、そこに投擲していたスピードローダーを裁断する。
そう私は私の体を使っている中学生が放った銃弾の数を数えていた。
そしてまだ弾倉が残っていることを知っていた。
私は「糸」を放つと同時に腰にある弾倉を投擲している。
それを切り裂いた。
弾倉の中には弾丸、弾丸の中には炸薬とともに破滅銀の液が詰まっている。
それを切り裂けば、破滅銀の雨が降る。
私の最初の意図は少女の自由を奪い、スピードローダーで打撃し、破滅銀の雨をぶちまけることだった。
中学生の少女はその糸の大半を打ち砕いたと言える。
もっとも泥水の中に倒れこんでしまっては素早く逃げることはできない。
どんなに早く逃げても飛び散る破滅銀の雨からは逃げられない。
私は勝利を確信した。
右腕を失ってしまったが、殲滅教師として再生者と対峙する使命を全うしていれば五体満足でいられる方が希少なことなのだ。
もっとも破滅銀でできた高級な義手をつけることにはならないだろうけれど。
私がそう思ったのは崩れ行く右腕を遠くに見たからだ。
私の足元に崩れた白い腕の残滓が遠くに――
すさまじい悪寒が全身を貫いた。
まるで炎が落ちてくるような「灼熱感覚」が上から襲ってくる。
いくつものことが同時に起こって感情が混乱する。
その感情はあまりにも大きく嚙み砕くには、とらえどころがなさ過ぎた。
私は腕を切り落としたにもかかわらず、白く崩れていく私の体を視ながら、顔を引きつらせることしかできない。
ぞむっ。
私の体は転移していた。
中学生の少女である私の体は・・・
見るだけで滅びを実感させる私が私を視るためにわずかに頭を動かした。
それだけで白く固く硬直した肉体ではなくなった肉体が、ぼろりと欠けた。
右腕を切り落として、破滅銀のもたらす毒から生き延びる。
そんな考えをした自分が可笑しい。
破滅銀は絶死の毒。
だからこそ、粛清教師の、星銃侍騎士団銃士に再生者殲滅武器として託されているのではなかったか?
その意味と威力を自分の崩れ行く姿を見て実感するとは。
私は声になったけれど、たぶん意味のない言葉を発した。
そしてたぶん私自身に戻ったのだ。
私はふと思いつき、左手の指を動かして左足の裂けたストッキングからのぞているふくらはぎに「糸」を突き立てる。
「糸」がわずかに赤く染まる。
破滅銀が再生者を滅ぼすメカニズムはわかっていない。
しかし、滅びかけている再生者の血液に影響がないとも思えない。
私はふらふらと安定しない「糸」に付着した血を中学生の少女の唇に含ませる。
もはや「糸」で少女を切り裂くだけの力はない。
この行動に意味があるのかはわからない。
だが再生者粛清諮問委員会に属する聖銃侍騎士団として敗北に淫するわけにはいかない。
聖銃侍教会は再生者の存在を許さない。
神だけに許された不死へと至る可能性を伺わせてしまう未知を認めるわけにはいかない。
世界をつくり給うた神は人間にそれを望まない。
世界と信仰を守るために私は――

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