小此木さくらは再生者

「小此木さくら」は笑っている。
教室の最前列のさらに前、黒板に最も近い教壇に肘をつき、にこにこと笑み崩れている。
教壇は教師の権威を主張するほどには高い。
背が低くて、そんなに足も長くないわたしがそんな恰好をすればここから見えない足元はきっと爪先立ちに違いない。
笑っているのは「わたし」だ。
わたしにしては納得がいかない程度には整った顔立ちをして、いつもとは違ってぱっちりした目は悪戯っぽい色っぽさを感じさせるけど、五割はわたしだ。ツインテールの髪もそうだし、顔立ちだってそうだ。ウエストと変わらないと揶揄われることが多いバストも、それなりのヒップも、発展途上の大美女の原型がそこにある。
お姉ちゃんはそうだし、わたしだって高校生になれば背も高くなって、胸もおっきくなるはず!
こほん、ともあれ目の前にいる「わたし」はそんなわたしより五割増しで美人に見えた。
納得いかない!
対するわたしはきっとあの恥ずかしいくらい派手なショッキングピンクのジャケットと、これまたわたしが着ようとも思わない、もとい着たらいろいろと揶揄(からか)われるのであんまり着ないノースリーブタイプのキャミソールのようなブルーのスーツを着ているに違いない。
背は高く、手足はすらりと長くて、バストはその体には不釣り合いなほどにたっぷりあり、きゅっとあがったヒップも豊かで大きい、そのくせウエストは細くて、うらやましい。
アニメに出てきそうなお姉さんキャラと言えばぴったりくるかも。
しかしその美しい顔立ちを際立たせる黄金の髪は絵具と泥とホコリでまだらになっているに違いない。
化粧も落ちて美人度は下がっているはず。
わたしたちはこの再生者諮問粛清委員会所属の聖銃侍騎士団三銃士の一人、星銀の粛清教師ロゼッタ・イージスを名乗るピンクの進撃お姉さんをさんざんに責め立てて、それなりに、いや十分にダメージを負わせている。
はっきり言うと立っていられるのが不思議なくらい、生きているのが間違いなくらいにはやり切った感がある。
実際にわたしは左足に感じるはずの激痛が無視できるほどに、もうろうとした意識で立っている。
わたしはそれでもわたしの利き手とは逆の左手にしっかりと拳銃が握られていることに驚いている。
拳銃はリボルバータイプでその回転式シリンダーのチャンバー(薬室)への装填弾数は最大20発。
ミリタリーマニアのともくんによれば何とかという古いタイプの拳銃らしい。そのほか、でもハンマーがオートマチックだとかなんとか。
そして最後の締めに、ともくんは今はマガジン式が安価で手に入りやすいだとかなんとかしたり顔で言っていたみたい。
「その拳銃の残弾数は3発だよ。ともくんが言うには撃ち切ってから弾倉交換した方がいいって。残弾がゼロになればベルトにある丸っこい弾を装填するスピードローダーって機械で全部交換できるって言ってる!」
わたしが左手にある拳銃に意識を向けたタイミングでラブやんからのテレパシー通信が入ってくる。
ラブやんというのはわたしの親友で恋多きオンナノコだ。
丸メガネにおさげ髪のごくごく普通の中学女子で本当に戦慄すべき突破力だけで恋を量産している猛者である。
「まさか私が戦闘経験もない中学生にここまで追い詰められるなんて思いもしなかったわ。素直に賞賛してあげる」
わたしの姿をしたピンクの暴風はそんなことを言って、微笑んだ。
思わず背筋が伸びるような、ゾッとするような、だけどどこか艶っぽい笑みだった。
(これが大人かぁ)
同じ顔、同じ姿でも、わたしが怒りを込めて微笑んだらこうはいかない。
わたしの怒りの微笑みは肉食獣とか、鬼神降臨とかがせいぜいだ。
ずるい。
何だか声まで艶っぽく聞こえる。
同じ声なのに・・・
「さくらちゃん?」
ラブやんが心配そうな心話で語り掛けてくる。
たぶんわたしのバイタルチェックをしている淀殿がわたしの精神状態の変化をラブやんに伝えたのだろう。
わたしは知らず知らずのうちに怒り狂っていたらしい。
さすがは再生者狩りの殲滅教師だ。
かけひきはお手の物というところか。
わたしは気を引き締めて、左足に力を入れる。
もうズタボロで形を保っているのが不思議な左足に力を入れないと倒れて二度と立ち上がれない。
そんな感覚がある。
もちろん、その状態を確認したさっちゃんが直哉に傷の回復を頼み、諏訪くんがわたしが痛みで倒れないように痛覚麻痺の効果を与えてくれているに違いない。
それでも痛くて泣きそうだ・・・
泣きそうだけどやるしかない。
殺るしかない!
わたしは教壇の下に位置していた左手に握った拳銃を思い切って跳ね上げる。
左足はそえるだけ、右足に重心を移しながらその勢いを利用して左腕を腹筋の力で持ちあげたのだ。
ロゼッタ・イージスの腹筋は強靭そのものでその負担に楽々耐えた。
全く筋肉質に見えないのに、その力強さをわたしはしっかりと感じている。
跳ね上げた拳銃の銃口は凄絶な笑みを浮かべたわたしを捉える。
「さくらちゃん、狙うのはお腹とか当たりやすいところだよ!」
ラブやんの声、中身はたぶんともくんの知識なのだろう。
でも今はぶっぱなすだけでいいとわたしは感じている。
もちろん拳銃をぶっ放した経験はないし、そんな技術もない。
狙っても当たるかはわからない。
何より距離が近い。
そしてまだ腰のベルトに三つも弾倉は残っているのに、慎重になるのは意味がない。
バスケットボール部部長の左手と呼ばれ、サッカー部部長の左足と呼ばれ、テニス部部長の・・・ともかく全運動部のスーパーサブエースとして全国大会を戦い抜いたわたしの勝負勘はそう言っていた。
立て続けに三発の弾丸が撃ちだされる。
撃ちだされた弾丸はロゼッタ・イージス曰く再生者殲滅用の特殊な「破滅銀の弾丸」で再生者はかすり傷を負わされるだけで塵芥となって滅びてしまうという凶弾である。
ふつうの人間に対してはふつうの威力しかないそうだが、再生者はかすっただけで一撃死の猛毒弾なのにふつうに威力があるって反則だと思う。
さすらいの狙撃手として某有名もとい、様々なMMOのハイ・ランカーであるえむえむに言わせると「問答無用で当たって即死するアイテムよりずっとまし」ということだけど。
わたしはやっぱりずるいと思う。
ずるいと思ってしまったせいではなく、わたしがわたしの体を撃つことにためらいがあったせいでもたぶんない。
わたしの体を持ったロゼッタ・イージスはわたし以上にわたしの体を使いこなしていたのだと思う。
なぜならわたしが弾丸を撃ちだす動作に入ったとき、ロゼッタ・イージスは肘で教壇机を押して、つま先で床を蹴ることによってわたしの頭上へと舞い上がっていたのだから・・・

思ったより軽い反動とともに銃声が響く。
撃ちだされた弾丸が今しがたまでロゼッタ・イージスの顔があった位置を撃ちぬき、床に弾痕を作った。
そしてその現象が完了する前にわたしの頭上を軽々と飛び越えたロゼッタ・イージスはわたしの左足にタイキックをお見舞いしてきた。
わたしの体から、廊下の手すりをも蹴り砕くことができる再生者の身体能力で放たれたタイキックだ。
しかもロゼッタ・イージスの体を使っているわたしの左足へのタイキックだから痛いなんてものじゃない。
ロゼッタ・イージスの左足はわたしたちの努力と策略によってボロボロだ。
悶絶して倒れるどころか、向かいの壁まで吹っ飛んでべしゃってなるのが当たり前と思えるレベルでぼろぼろだ。
「このっ!」
教壇机が音を立てて床に転がる中、わたしは蹴られてバナナの皮で滑って後ろへと倒れるかのように崩れる体を回転させ、右ひじでロゼッタ・イージスのこめかみに肘鉄を食らわせる。
左足が吹き飛んでも不思議ではない痛みと衝撃の中、わたしたちの攻撃を何度も防ぎ、歯ぎしりさせて悔しがらせたロゼッタ・イージスの極薄だけど鋼鉄をはるかに上回る強度と軽さを持ったカーボンなんちゃらのストッキングは見事に、タイキックによる壊滅的なダメージを大軽減してくれた。
それでも蹴られた勢いで前に行った左足は思いっきり教壇机を蹴倒して、タイキックを受けた左足は教壇机を蹴ったのと、ロゼッタ・イージスに蹴られたのの両方のせいで、痺れて感覚がなくなりそうなくらいめちゃくちゃ痛い。
ストッキングが破れてなければ無傷だったりしたんだろうなぁと思いつつ、とっさの反撃を試みたわたしはすごいと思う。
左足はめっちゃ痛い!
わたしの肘鉄を受けたロゼッタ・イージスはよろめいた。
わたしは肘鉄をお見舞いするのと同時に腰から抜き取ったごてっとした弾倉を右手につかみ、そのまま左手の拳銃を右にスゥイングして薬莢を排出、弾の交換を完了している。
左足に引きずられるように前に吹き飛んだわたしはこめかみに肘鉄を受けてよろめいているわたしの体に向かって、地面に伏せるように転がりながら銃口を向ける。
引き金はまだだ。
ここは狙って決める場面であり、乱射する場面ではない。
左足を蹴られて前に転がりながらも最高のタイミングで射撃体勢を整えることができたのは、ひとえにロゼッタ・イージスの身体能力のおかげだ。
もしかしたら再生者として強化されたわたしの体より、素早いんじゃないだろうか?
ロゼッタ・イージスとの距離は三メートルぐらい。
ただのタイキックで三メートルも吹き飛ばされたと思うとぞっとするけど、左足が痺れて頭もくらくらするけれど、今は気にしないようにしよう。
負けるかもと思ったときにすぐに頭を切り替えるのはスポーツの世界では勝つためのゴールデンルール。
負けるもんかじゃなくて、絶対勝つ!
そう思う黄金の精神が必勝への道しるべ!
わたしは床に伏せて、破滅銀の銃弾がロゼッタ・イージスの腹と頭と手足をすべて撃ちぬいたイメージを完成させてから拳銃を握る左手が反動でブレないように右手を添えると冷静に引き金を落とした。
一度撃っただけだけれど、この拳銃はライフルと同じように引き金を引く意識だと銃口がぶれてしまう傾向があるみたいだから落とす意識で静かに引き金を引いた。
成功をイメージした後はリラックスして的の中に銃弾が落ちるように引き金を引くだけだ。
その時肉体に出る直感を逃さないように心も整える。
スーパーサブエースとしてクレー射撃団体の大会に顔を出し、疑惑の大学生と言われたわたしは動く的を狙うすべを知っている。
拳銃は未体験だけど、クレー射撃用のライフルは撃ったことがある。
全国大会三位!
わたしには確かに驚きと苛立ちに舌打ちするわたしの顔がはっきりと見えた。
これは「当たる!」。
直感が確信に変わる。
この瞬間こそ、この感覚こそがわたしがあらゆる学校の部活にスーパーサブエースとして顔を出しまくっている最大の理由だ。
超気持ちいい!
しかしその感覚を越えて黒い壁が絶対当たるはずの銃弾を遮る。
わたしが伏せた姿勢から撃ちだした銃弾は六発。
黒い壁に刻まれたのは頭と胴、それに左右に手足の一を撃ち抜いているはずだったと確信させてくれる。
狙いは正確、着弾点の歪みは直感とそれに従ったわたしの射撃の腕のたまものだ。
しかしそれは長方形の黒い壁つまりはロゼッタ・イージスがわたしの体の腕力で剥ぎ落とした黒板の前に遮られた。
そして長方形の黒い壁の横からわたしが駆け出してくる。
さすがに壁を飛び越えるのは空中にいる間、自由が利かないので危険と考えただろう。
ロゼッタ・イージスが飛び出してきたのは黒板の左側、左利きになったわたしには狙いやすい位置。
黒板が倒れる音が響くがわたしの耳には聞こえない。
ロゼッタ・イージスの右手にはわたしのお気に入りのポーチのベルト部分が握られている。
わたしは呼吸を整えて――突然視界が白く陰った。
おにょれ、黒板消しか!?
おそらくロゼッタ・イージスは黒板から駆け出す前に黒板消しを黒板の上を超えるように山なりに投げていたのだろう。
一瞬の驚きが過ぎて、納得がいくと腹が立ってきた。
クラス全員で協力して、自分たちがさんざんっぱらやってきたことながら自分がやられると腹が立つなぁ、もう!
「さくらちゃん、落ち着いて!」
ラブやんの声。
わたしは痺れていない右足と右手、それに拳銃を握った左手の肘を使って床の上を転がった。
今までわたしがいた場所がベコンとへこむ。
そっか、いざというときのためにポーチを鋼鉄化してもらってたんだった。
「さんきゅー、淀殿、ありがとうラブやん!」
わたしは慌ててお礼を言って立ち上がりかけて、再び転ぶ。
左足がぁ~。
再度、鋼鉄ポーチの一撃。
「絵具行くって」
ラブやんからのテレパシー。
「足元もなんとか!」
パシャっと音がしてぬるっとした感触が頭と手に生まれる。
そして「わぁっ」という声。
どうやらロゼッタ・イージスはわたしと同じタイプのオンナノコのようだ。「往生せいやぁ!」
絵具と泥濘が来ることがわかっていた私は視界を守るために顔をかばっていた両腕を開いて拳銃を構える。
教室中の床が濡れた泥のぬめぬめになっているところを見るとごんたんはわたしのとっさの指示に全力で答えてくれたのだろう。
あとでラーメン大盛りチャーシュー八枚重ねをおごってあげないとなぁ。
そんなことを考えると同時にわたしの星銃が火を噴いた。
破滅銀の弾丸はわたしの眉間に吸い込まれるように見事な軌道を描いて命中した。

「よっしゃぁ!」
「何がいいの?」
ガッツポーズをするわたしの耳元にゾッとするような声がささやく。
その声は艶っぽく濡れていて、血の色を帯びていて、何よりわたし自身の声だった。
「ちょっ――ぐげ」
自分より頭一つ二つは低いわたしの膝蹴りを受けて、わたしは泥水の上を水切り石のように滑っていき、教室の机を巻き込みながら窓際まで吹き飛ばされた。
ノースリーブのスーツとショッキングピンクのジャケットが守ってくれたけれど、息が詰まって、体は痛い。
どうやら拳銃を撃った瞬間、わたしは片膝立ちの姿勢になっていたらしく、背の低いわたしの蹴りはわたしの無防備な頭には届かなかったようだ。
もしわたしが伏せたままだったら、もしわたしの体の背があと二十センチ高かったら、わたしの顔面は砕かれ、勝負は終わっていた。
泥水でドロドロになっている背中に冷や汗が伝うのがはっきりとわかる。
わたしの姿をしたロゼッタ・イージスは素早く間合いを詰めようとして泥濘の中にその身を沈めた。
簡単に言うと泥水に足を取られてすっころんだのだ。
さっきは一瞬でわたしの耳元に移動していたと思うんだけど・・・
何か違和感がある。
「司馬くん!」
わたしはゴロゴロと泥の中を転がりながら叫ぶ。
「司馬くんはトイレに行ってるよ」
「いや袋開けてってこと」
「ひょうは~い」
何か食べてるな、ラブやん。
そんな中、ロゼッタ・イージスはがばっと立ち上がり、周囲を見回している。
わたしは容赦なく銃を構え――
「わぅ」
すっ転んだロゼッタ・イージスの手から離れた鋼鉄の強度を持つポーチがわたしの頭があった位置に向かって飛んでくる。
意図したのではなく、全くの偶然、転んだ拍子に手を離れたのだろう。
わたしは右腕に力を込めて頭をずらす。
重い風切り音がわたしの耳元ぎりぎりを通り過ぎていく。
べちゃと泥が跳ねて顔にかかる。
乱れた長い金髪に泥が絡まり、視界に垂れる。
左側の視界が狭まってしまった。
やばいかもしれない。
ぞくりとまではいかないが背中が少し寒くなった気がする。
そのとき頭の中に声が響いた。
「さくらちゃん、司馬くんの袋は休まず攻めろって」
「休まず攻めろ」
「考えるより先に動く!」
わたしの思考を遮るようにラブやんが叫ぶ。
それでわたしは切り替えた。
泥だらけになったものの、わたしの左手はしっかりと拳銃を握っている。
わたしは拳銃を構えなおして、即座に引き金を引いた。
拳銃から飛び出した破滅銀の弾丸のうち二発が泥濘にしぶきを作ったものの、残りは転んで立ち上がるを繰り返すロゼッタ・イージスの体に命中した。
破滅銀の弾丸は接触塵芥の再生者殺しだ。
これで――
わたしがそう思ったとき、耳元でまたわたしの声がする。
「また」
わたしは声が聞こえると同時にその声に銃口を向けて、発砲する。
耳元に聞こえる声に発砲するのだから命中する確率はめちゃくちゃ高いはずだ。
わたしのもとの体は悲しいかな、身長は低く、天井に足をかけたりして逆さ吊りのホラーをやって、耳元に声を届けるような芸当はできないのだ。
発砲しながら体を滑らせる。
今度こそ――
「さくらちゃん、絵具行くよ!」
わたしは発砲しようとした拳銃と顔をかばって、腕を上げる。
ぱしゃっ。
「わっ」と言う声を聴きながらわたしは距離を取ろうと泥の上を転がる。
当たっている。
泥の中を転びまくった後で絵具に視界を奪われたロゼッタ・イージスの体は鮮やかな白色になっている。
「ラブやん、袋っ」
わたしは白い塊と化したロゼッタ・イージスに向かって発砲する。
今度は避けられた。
さすがはわたしの体、やっぱりプロの粛清教師ロゼッタ・イージスが使えば銃弾を交わすことも不可能ではないらしい。
もっとも今の発砲は雑すぎたので音に反応して動ければ当たらないというレベルだったけれど。
白かった私の体が泥濘の上を転がって泥色に戻っていく。
視界がふさがったのでとりあえず転がってみたと言ところか?
いい判断。
ん、あれ。
わたしは泥で固まった右側の金髪を書き上げて後ろへ流してふと立ち上がれることに気づいた。
左足が動く。
わたしは左足の痺れが取れると同時にぼろぼろになっていたそれがほとんど治っていることに気づいた。
そっか、体が良く動くと思ったときには治ってたのか。
これならいけるかな?
わたしは左手に持った拳銃をスゥイングしてまだ残っている破滅銀の弾丸を排出して、新しい弾倉の弾と入れ替える。
たぶんこれでいけるはずだ。
いけなければ破滅銀の弾丸が当たらない謎を解かなくてはいけなくなる。
それはめんどいし、悪謀大将軍の司馬くんが考えるなと大好きな袋秘計に書き残している以上、謎解きに頭を使うのはたぶん得策ではない。
わたしは左手に拳銃を構え、泥の上に浮かんでいる机の上を飛び走る。
ふつうなら泥水の着いた靴底のせいで滑ってしまいそうなところだが、粛清教師ロゼッタ・イージスの履いているストッキングは特別性だった。
今まで何回も壁を蹴って方向転換とかやってたから何かあるとは思ってたんんだ。
わたしは泥濘に覆われた床の上に左手をつき、かがみこんだ姿勢でこちらを見ている苦戦するロゼッタ・イージスの位置を確かめ、左手に握った銃の引き金を引く。
残念ながらわたしの履いているのはふつうの上履きで滑り止めなどついていない。
体とともに装備もすべて交換することになったロゼッタ・イージスは明らかに格落ちした装備を使いこなせずに戸惑っている。
わたしの感覚ではロゼッタ・イージスが再生者として、圧倒的に能力がアップしたわたしの体を得ても、もとの体であるこの体には及ばないように感じる。
パワーについても、スピードについても信じれれないくらい人間離れしているのは黒板をたやすく剥ぎ落とし、鋼鉄のポーチを気にもせずに走れるのを見ればわかると思うけど。
それでもわたしの体は、ロゼッタ・イージスの体には敵わない。手足の長さかもと考えるとなんだか癪に障るけれど、使い勝手としてはこちらが有利なのはたぶん、おおよそ、きっと間違いない!
そして装備についても結構強化してもらった制服とかを着ているわたしだけど、今の姿を見てわかる通り特殊なすべり止めとか、強化素材を使ったわけではないのでロゼッタ・イージスの装備に比べるとまったく話にならない貧弱さだ。
装備に関しては笑いが止まらないレベルで圧倒的!
しかし、ロゼッタ・イージスは粛清教師だ。
装備と身体能力だけで考えるのはある危険だとも思う。
わたしだっていろんな格闘技の経験はあるけれど、それはあくまで競技の範囲内でのこと。
ロゼッタ・イージスの実戦で磨かれた勘やそれに適した戦場技術はきっとわたしの想像を超えている。
無様にすっ転んで泥水をすする結果を何度か見ているけれど、油断はできない。無様にすっ転んだのもロゼッタ・イージスなら、わたしが発射した銃弾を避けたのもまた彼女なのだから。
わたしは泥濘の上に浮かんでいる机の上を渡りながら、ロゼッタ・イージスの注意を乱すために前後左右に素早くステップを踏んで見せる。
そして一気にロゼッタ・イージスの視界外へと飛ぶ。
ロゼッタ・イージスの頭上、教室の天井を足場にして、二等辺三角形の頂点の角度を描いて着地した机はロゼッタ・イージスの背後。
まず一発発砲して、それからロゼッタ・イージスの動きに合わせて銃口をするすると移動させる。
完全に出たとこ勝負のやり方だが、これはめちゃくちゃ冴えたやり方だ。
プロっぽい。
わたしの背中は躊躇なく、右手の方向へと動いた。
たぶんわたしが左手に拳銃を持っているので少しでも狙いにくい方向へと考えて進路を選んだのだと思う。
ほんの数秒、ひと呼吸でも長く生きるための選択。
わたしは左手の拳銃の引き金にかけた指をゆっくりと落とす。
二度銃声が響く。
吐き出された破滅銀の銃弾が嫌な音を立ててひん曲がる。
そしてつぶれた弾丸をお供に黒いポーチがこちらへ飛んでくる。
わたしはそれに驚きながらもさらに二射、弾丸を送り出す。
今度は泥水の上に浮かんでいる机がそれを遮る。
やってきそうな気はしてた。
銃弾が机にめり込む前にわたしは天井へと飛んでいる。
天井に足がついて、ひざを曲げた姿勢になったときに机を盾にしたわたしの体がはっきりと見える。ロゼッタ・イージスの足の長さとストッキングの汎用性に感謝だ。
天井をつかむストッキングの指先とかかとは天井に張り付くためにできているかのように今や元のわたしより身長分は重いはずのわたしの体をやすやすと支えている。
わたしは銃口の動く範囲内に入ったわたしの体に向けて、とどめとなる弾丸を発射した。

わたしの発射した弾丸がわたしの体を貫いたのを視界にとらえ瞬間、机が跳ね上がってきてわたしを天井に挟み込もうとした。
わたしはとっさに右手でそれを軽く払う。
机は重力に従い加速してわたしの体とともに泥濘の中に落ちていく。
わたしは天井を蹴って、教室の壁へと飛ぶ。
今、いたよね?
泥濘の中突き刺さった机は墓標のよう。
そしてわたしが放った銃弾が生み出した波紋を、さらに大きな波で消していく。
ロゼッタ・イージスは先に落ちた机に両手両足をついてから飛翔する。
上履きだけでは滑りやすいんだろう。
足だけではなく、両腕をも使って跳躍したわたしの手には机が握られている。
ほんとうにプロはめんどうだなぁ。
わたしは心からそう思う。
わたしはいいストッキングを履いていて、しかも足が長いのでひと滑りもなしに、教室の壁を蹴って高速移動している。
泥濘の床に落ちたロゼッタ・イージスの周りをぎゅんぎゅん回っている状態だ。
ちなみに壁を蹴って、移動するというのはロゼッタ・イージスがわたしたちが考え抜いて仕掛けた罠を一瞬でダメにしてくれた時のやり口だ。
ぼこんと何かが崩れる音がした。
崩れたのは机だった。
わたしの拳が机を貫き、崩れ砕けた机の一部が壁を渡るわたしの足に絡みつく。
壁から壁へと床に落ちない速度で移動していたわたしには横から降ってくる机の残骸のすべてを避けることはできなかった。
わたしがロゼッタ・イージスから壁渡りを学んだようにロゼッタ・イージスもわたしたちから壁渡り封じの方法を学び取っていたということだ。
わたしは泥水の中に身を躍らせながら、舌打ちした。
そしてすぐさまわたしに向かって発砲する。
一発、二発、三発、四発・・・
わたしを捕捉するために飛びかかってきたはずのロゼッタ・イージスはいつの間にか天井にぶら下がっている。
一発目は外れたが、二発目は上向きに流れ、三発目が天井にぶらさがっているわたしに着弾しようとする。
瞬時の判断で天井のわたしは手を放す。
しかし、四発目の弾丸は確かにがその眉間に飛び込んでいる。
確かな手ごたえと確信を感じながら、わたしは勢いよく右手を突き出す。
ドンっと衝撃を伴い突き出した右手が誰かに当たった。
誰かはわたしだ。
わたしは、わたしの耳元でささやいたロゼッタ・イージスに発砲した。
当たる確率はめちゃくちゃ高いどころか外すことが難しい射撃をやった。
ロゼッタ・イージスはわたしがとっさに銃を撃ちやすい場所に出現していたからだ。
左利きになったわたしが拳銃を撃ちやすい近い距離と言えば、もちろんわたしの右手側だ。
当たって当然の三射撃。
しかしわたしが発砲した銃弾はすべて外れた。
さらに連射したがヒットしなかった。
それと同じタイミングでわたしは悲鳴を上げている。
白い絵具が命中したのだ。
わたしがタイキックを受けたときにとっさに放った肘鉄も命中した。
「銃弾は命中しなくても絵具も肘鉄は当たるってこと!」
わたしは心の中で快哉の声を上げて、当たった右拳を開いてわたしの制服をつかむ。
ロゼッタ・イージスがわたしの手を振りほどこうとする前にグイっと引っ張って泥濘の床に引きずり下ろし、叩きつける。
床にたたきつけられたわたしはわたしの眼下にうつぶせに倒れこんでいる。
わたしは制服をつかんだ右手に思いっきり力を籠め、絶対に振りほどかれないように気を付けながら、今度こそ、ツインテールのわたしの頭に向かって破滅銀の弾丸を叩きこんだ。
これで終わり。
わたしがそう思った瞬間に、わたしは自分の右手の指先が灼熱する感覚に悲鳴を上げた。
確かに制服をつかんでいた右手にその感触はなく、確かに当たったはずの弾丸が砕くべきわたしの頭も消えている。
「なっ」
驚きは言葉になる前にかき消された。全身に悪寒が走り、ひざから泥水の中へと崩れ落ちていく。
ふっと世界がゆがんで、視線が落下する。
まるでインフルエンザにかかって高熱を発したときのようなどうしようもない気分の悪さ。
耳元で声がした。
そしてわたしの頭の中でも・・・
「さくらちゃん、視て! それから・・・」
もうろうとする意識の中、聞こえてきたのはラブやんの声。
すでに泥水に頭を突っ込んでいるわたしにはわたしの声は聞こえない。
ただ右ひじのあたりに何かが当たる感触をかすかに感じる。
ロゼッタ・イージス・・・
わたしの左足のふくらはぎがそこにはあった。
「さくらちゃん、しっかりして! ちゃんと視て元に戻るの!」
ラブやんの声は本気だった。
本気でわたしを心配し、叱咤激励してくれる親友モードのときの声・・・
わたしはもうろうとする意識の中、それに従おうとした。
でも意識ともども麻痺してしまったように体は動かない。
泥の中につっかえ棒のように両腕を伸ばし、フラフラと頭を上げようとしているつもりだけどまるで泥濘の床と一体化したように頭は微動だにしない。吐きそう。
この調子なら視線は上げても、映像は入ってこないに違いない。
わたしは無意識のうちに固く目をつぶっていた。
「しっかりしないと薄い本のある場所を竜馬くんにばらす・・・」
わたしは奥歯も折れよとばかりに力を振り絞り、気合の声とともに頭を動かし、目を開ける。
竜馬にあの本を知られたら姉の威厳どころか、人間としての尊厳までが粉々になる!
その恐怖がわたしを突き動かしている。
瞼は開き、視界が開けた。
ちょっとだけ横を向いたわたしの視界にはわたしのふくらはぎが見える!
「ぎぐぅうううううううううううううう!」
わたしは汚物を見るような目をして、遠ざかっていく弟の姿を追う様に全身を使って、かろうじて仰向けになる。
姿が見える。
泥水に沈みそうなわたしの目と机を振り上げたわたしの目が合った。
だけど間に合う!
わたしがそう思ったとき、わたしは教室の壁に激突していた。
めまいと頭痛がひどくなり、息が詰まる。
銀色の聖銃が放物線を描いて、わたしの左手を離れていく。
蹴られたと気づいたのは呼吸が苦しくなったのが直接的なものによって邪魔されていたから。
わたしは顔面をタイキックの勢いで蹴り飛ばされ、鼻顎を蹴り砕かれて、鼻と口腔内にあふれた血で鼻呼吸も口呼吸もできなくなっていた。
しかも教室の壁まで吹き飛ばされたとき、窓ガラスを頭で割ってしまい、顔面も血にまみれてしまっている。
割れた窓ガラスで顔が血だらけになっても、顔面を膝蹴りで蹴り砕かれても、酷いインフルエンザの百倍はつらいと確信できる状態がわたしの意識をもうろうとさせて離さない。
窓ガラスを割った反動で教室内へと頭が戻るとき左目がぞりっと削られて、ぼたぼたと血液とぬるぬるとした涙のようなものが流れていくが、のたうち回る気力はない。
ぼんやりとした視界に銀色の線が波線を描く。
それが直線を描いたと思ったとき、わたしの右手には銀色の拳銃が握られていた。
右手・・・
わたしは右足の太ももにざらざらとした感触が流れるのを感じた。
銀色の拳銃を手にしたわたしは唇を動かして勝利宣言をしてから、手早く拳銃の引き金を引いた。

引き金が落ちた音など聞こえるはずもなく、破滅銀の弾丸が放たれる射撃音もあまり気にならなかった。
だがわたしが引き金を引いた瞬間に、わたしの脳裏をよぎった光景があった。
それは姉を、消えてしまったさくらを探して泣いている弟の姿だった。
破滅銀の弾丸を受けて塵芥になったわたしを探して、竜馬は一生苦しむに違ない。
それだけは!
竜馬の姉として、そんなことになることだけは許せない!
「わたしは竜馬のお姉ちゃんなの!」
声にはならなかったかもしれない。
でもわたしはそう叫んで、残った右目を大きく振動させる。
目が合った。
瞬間、わたしはいつもの感覚にとらわれる。
時間が間延びし、光がゆがむ。
意識が小さくなり、一直線に目と目の間につながった光の回廊の中を飛翔し、虹色の瞳孔の中へと入りこんでいく。
泳ぐと飛ぶの中間の、潜ると突き破るの間の、あの感覚。
魂が引き延ばされ、捻じれて、また元に戻る感触。
その速さはわたしが撃ちだした弾丸よりも速い。
撃ちだされた弾丸が教室の壁にめり込み、窓ガラスをさらに粉々に破壊する。
わたしは利き手の右手に拳銃を構えた姿勢で立っている。
拳銃から確かに発射された破滅銀の弾丸は教室の窓際にいる血だるまになった金髪の獅子に命中してはいない。
だが金髪の獅子、ピンクの暴風、粛清教師ロゼッタ・イージスには十分にその兆しが表れている。
「うそ・・・」
わたしの目の前にいる粛清教師はその右腕の二の腕の部分までがぼろぼろと崩れようとしている。
それは人間が負傷して起こるものではない。
ロゼッタ・イージスはとっさ銀色の輝きを肩口に巻き付ける。
それは「糸」だ。
さっき拳銃を魔法みたいにわたしの手の中へと引き寄せてきた銀色の糸。
たぶん破滅銀の毒で右手が塵芥になる前に、糸を巻き付けて肩口から切り落とす気だったのだと思う。
しかし、糸を巻き付けるのと同時に肩口が白い灰になって、ぼろぼろと、あるいはさらさらとその形を失っていく。
たぶん、かすっただけで再生者を塵芥にするという破滅銀の毒の効果だと思う。
ロゼッタ・イージスも《再生者》だった。
そういうことだと思う。
わたしは金髪の獅子に向かって、破滅銀の銃弾を撃ち込む。
確認のために。
破滅銀の銃弾は確かにロゼッタ・イージスの胴体に吸い込まれ、そのまま、背後の壁に着弾する。
当たらなかったというより、当たった瞬間にロゼッタ・イージスの体が微妙にブレたように見えた。
「能力・・・」
わたしのつぶやきにロゼッタ・イージスは笑った。
少し唇の端を吊り上げる。
わたしの顔でやってみせた艶っぽい大人の微笑だ。
だがその微笑は青白く血の気の失せた左半分の顔と繋がってかろうじて形を保っていた右半分の炭灰色の顔が崩れることを早める結果となった。
再生者には驚異的な回復力がある。
しかしこうなっては助かる道はないと思う。
切り落とした腕が根っこから生え変わるなんてことはないだろし、頭の半分を失って、生きているというのはもっと無理だろう。
心臓とか肺が無事、上半身は残っていて頭が無事とか、腕だけ切り落とすくらいならワンチャンあると思うけど。
そんなことを考えているわたしの前でロゼッタ・イージスは肉体を、さらさらと白い塵芥へと変えていく。
これで・・・
そう思ったわたしの目前に銀色の輝きが閃いた。
さらさらと崩れているロゼッタ・イージスの右側の反対の左腕がタクトを振る指揮者のように動いている。
わたしはとっさに右手に持った拳銃を立てて、その糸が自分の首に巻きつくのを防ごうとした。
きゅっと糸が銃身を含めたわたしの体を締め付けようとする。
銀色に輝く「糸」が――
ぞくっと首筋が寒くなり、頭の中に危険信号が鳴り響いた。
何かおかしい。
そう思ったときにはわたしは拳銃を投げ捨てて、全身を弛緩させていた。
重力に任せて背中から泥水の中に落下する。
わたしがいた空間を締め上げるために、小さくなった銀色の円がさらに狭くなり、糸同士がきりきりと絡まる音がする。
そしてわたしが使わずに残していた弾倉つまり投擲されたスピードローダーが銀糸に切り裂かれ、そこから解放された破滅銀の弾丸が20発がすべてズタズタに切り裂かれる。
破滅銀の弾丸は破滅銀を内包した弾丸だ。
弾丸としての強度を保つためにその弾頭にだけ破滅銀が使われている。
そういう解釈をしていたが、どうやら違ったらしい。
薬莢という束縛から解放された破滅銀は雨となってわたしに降り注ぐ。
さすがにこれは避けられない。
避けても破滅銀の雨の溶けた泥水に触れれば、再生者であるわたしはたぶんピンクの暴風みたいに――
わたしは思わず、白く崩れ落ちつつあるロゼッタ・イージスを視た。
そこには自分の命を捨てても使命を果たそうと輝く粛清教師の青い目があった。
次の瞬間、わたしはわたしの体を見ていた。
わたしの体は降り注ぐ破滅銀の雨の下にはいなかった。
「また」あるいは「しぶとい」だろうか?
わたしはわたしが忌々し気に顔をゆがめるのを視た。
破滅銀の雨によって塵芥と化すはずのわたしの体はわたしの耳元に立っている。
右肩近くから先の感覚が全然ないどころか、自分の形すら明瞭ではない。
考えがまとまらない。
考えるための脳が半分崩れようとしているから。
悪寒はさらにすさまじく、でもそれを感じる力はとても弱くなっていることがわかる。
感覚が消えかけている。
生きるための、
生きていることを知るための当たり前がなくなっていく。
わたしの顔の映像が右側が消える。
今、顔の右半分が崩れて、眼球が塵芥となったということだろう。
崩れる直前まで見えているということにわたしはゾッとした。
恐怖とあきらめがせめぎあい、明晰ともうろうが格闘する。
わたしは残された視界に映るわたしをしっかりととらえて視た。
ただ本能だけが、心に根差した「能力」としての核だけが、わたしを突き動かす。
虹色の道が開かれる。
そして・・・
ロゼッタ・イージスを見たわたしは文字通り膝から崩れ落ちた。
ロゼッタ・イージスもそれに倣う様に完全に炭灰色の塵芥となって、崩壊していく。
もしかしたら最後に何かされたかもしれない。
しかし、わたしにはそれを気にかける余裕はなかった。
破滅銀を受けて崩壊する感覚というのはろくなものではなかった。
自分で自分を撃って、くらくらしたときでさえ心がへし折れそうだったのに、「また」その恐ろしい体験をしにロゼッタ・イージスの体を利用したのだから、その疲れは倍では済まない。
(本当に疲れたなぁ)
わたしはそう思いつつ、いつの間にか意識を失っていた。










#イラストストーリー部門 #創作大賞2023

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