第三十四話 The rolling stones that won't stop until Go To dies.

金の問題じゃない。山崎。アレは大事な酒だったんだよ……。

オレと和さんの様子がおかしかったから?和さんの機嫌を取るためにアレを、山崎を開けちまったってのか・・。違う、機嫌が悪かったのはオレの方だったんだぜ。
アレは、山崎はあの女が買って来てくれたんだ。しょっちゅう海外に連れまわされていたのに安い給料で買って来てくれた大事な酒なんだ。でもあの女の名前が思い出せない。
いや、オレはあの女を思い出しちゃいけないんだ、捨てたんだから。

あの時、桐さんがオレの隣に立って左手を見せた時、和さんは全然気が付いていなかった。
オレにイラつきながら寿司を握っていたからだろうな。でも桐さんは催促なんかせずにじっと待っていた。その気持ちはスゲェよくわかるぜ。
和さんは巻き寿司を手早く切り終え皿に乗せオレに差しだした。
オレはさすがに桐さんが可哀想になったから言ってやったんだ。

「和さん、指輪しないんですか?」

そうしたら和さんは桐さんに目を向けるどころかあからさまな怒り顔をオレに向けてきた。だが手にした皿を引っ込めることもなかったからオレはそれを受け取った。
オレはわざとらしく覗き込む様に桐さんの左手を見た。
オレにつられて和さんも桐さんを見た。桐さんの左手には指輪がはめられていた。

「あんまり待たせていると外されちゃいますよ」

和さんは怒っていいのか、喜んでいいのかよくわからないと言った顔で、簡単に言えば驚いていた。
対する桐さんは少し照れくさそうな恥ずかしそうな顔をしていた。

「あ、ああ・・」和さんは慌てるというか何が起きているのかまだよくわかっていないようだったが、それでも首にかけた指輪を外し左手にはめた。
いや、ハマらなかった。
そりゃあそうだろうな、和さんがその指輪を用意したのは十何年前なのか、何十年前なのかは知らないが今の和さんの指に比べたらその指輪はまるで子供用だ。
肝心なところでカッコつかないなあ和さん。
和さんは必死に指輪をはめようとしていた。桐さんそれを静かに見つめていたがオレはさっさと済ませて欲しかったから言ってやったんだ。

「和さん、無理でしょ?ハマるところまででいいじゃないですか」

「ああ!?」和さんがまたちょっと怒ったような顔をオレに向けた。

「どうせ、仕事中は外すでしょ?ダイエットするまで桐さんを待たせておくんですか?」

桐さんはオレを見て、和さんに言った。

「待たせたのはこっちよね」

「彩・・」

和さんは諦めて左手を桐さんに見せたけど、指輪は第一関節で止まっていた。

「少し、痩せなきゃね」

「あ、ああ・・」

和さんはそう言ったが、むずかしいだろうなあ。まあなんにせよハッピーエンドだろ?うまくいった。
オレは満足げに巻き寿司を手に取り、醤油皿にかすらせ口に放りこんだ。

「あっ!直樹!!」和さんが慌てたように叫んだ。

え?何?そう思ったオレの口の中でパキパキといった食感の後に異様な香りと味が口中に広がった。
何だこれ?例えるならジッポオイルで作った腐ったカスタードクリーム味。
当然、オレの顎は一嚙みしたまま固まった。

「ほら!直樹!」と和さんがおしぼりを差しだしてきた。

吐け。と言うのだろう。
え?和さんオレに毒でも盛ったのか?
オレは口の中の物を少しでも動かしたくなくって、でも吐くようなこともしたくない。

「かふはん、なん……こえ」

「和くん!なにを出したの!?」

「いや、タクアン巻き・・なんだが…」

「え?タクアン?」桐さんが不思議そうな顔でオレを見る。

タクアン?これがタクアンってヤツなのか。それなら知っている、一応食い物だよな。多分だけど。いや、本当に食い物なのかこれ……。

「ほら、吐けって!」和さんが自分の考え違いを必死に正そうとしておしぼりを差し出す。

オレは手を振ってそれを拒絶し「おひゃ、おひゃくだはい」とだけ漏れ言えた。

「ああ・・」和さんが手早く濃いめの粉茶を淹れてくれオレはそれを受け取る。

だがお茶があってもまだ飲み込むには早い、あと二回は噛まないと飲み込めないだろう。
半開きのオレの口からよだれが垂れそうになる。ガソリンを混ぜた子供用の甘い歯磨き粉味のよだれが。正直これを飲み込みたくはないが、よだれを垂らすのも嫌だし、食べ物を吐き出すのはもっと嫌だ。

よだれが垂れないように上を向いて、覚悟を決めもう一度噛む。パキパキと言う食感とともに灯油の煤を贅沢にたっぷり使った蝋細工のモンブランケーキ味が広がる。そして得体の知れない食い物とは思えない味が移った唾液を粉茶で流し込む。

少し落ち着いたが、タクアン巻きとやらはまだ口の中だ。飲み込むにはもう一回は噛まなくちゃ無理だ。

オレはもう泣きそうだった。
妙に甘ったるい腐ったプラスティックの漬け物を食わされているんだからな。
でも吐き出したくはない。食い物がもったいないなんて言いたいわけじゃあない、単に吐き出すって行為がみっともないと思うからだ、だって汚らしいだろ。

自分の家でなら遠慮なく吐き出しているし、これを食わせたやつにどんな復讐をしてやるかじっくり考えているだろうけどな。
だけどここは和さんの店のカウンターだ。ここでそんなみっともなくって汚らしい真似はしたくないだろ。
まぁワサビだけは別だけどな、アレはマジで死にかける。

オレはもう一度噛んだ。食い物とは思えない何かがまたパキパキという不気味な食感を奏でる。
まだ飲み込めない。
もうオレが上を向いているのはよだれが垂れないようにってだけではなくなっている。
桐さんがそんなオレを見て咎めるように和さんに言った。

「本当にタクアンなの!?」

「あぁ、ちょっと燻しては、あるんだが……」

そりゃあそう思うだろうな、なんせ大の大人が寿司を口にして涙がこぼれないように上を向いて必死に飲み込もうとしているんだからな。でもひでえよ和さん・・・知ってるだろ?

「こいつ、漬物が食えないんだ・・」

そうだよ、知ってるだろ和さん・・。

「え?お漬物が食べられないの?アレルギーとか!?」

桐さんが驚いて心配そうにオレの顔を覗き込んだがそういうわけじゃない、アレルギーじゃないんだけど、漬物は食えないんだよ。
オレはもう諦めて下を向いて三回噛んだ。すでに多少は小さくなっているタクアンの欠片を飲み込める程度まで噛み潰した。まだ歯ごたえがあってまるで正露丸を噛みしめている気分だよ。

「いや、アレルギーとかじゃないらしいんだが。こいつ好き嫌いが多いんだよ」

桐さんがオレを見る目が少し呆れ気になったのが分かる。
オレは粉茶を口にしてヘドロで作ったほんのり甘い腐ったプラスティック片としか思えないタクアンとやらをようやく全て飲み込んだ。
下を向いたまま湯呑を和さんに差しだした。
和さんはすぐさま湯呑を受けとり粉茶をもう一杯入れてくれ、そこに水を少し足してぬるい粉茶を出してくれた。
流石和さんだよ。オレが今、一気に口の中に残った腐ったプラスティック臭を洗い流したいって思っているのがわかっている。
そこまで分かっているのに何でこんなひどいことをするんだよ・・・。

いや、分かっているよ。和さんと桐さんの間にあった触れられたくないところをオレが遠慮会釈なしにズカズカ踏み込んできたと思ったんだろ。でもそう勘違いしたとしても、オレに頼んだのは和さんだろう・・・。オレは岸に頼めって言ったのにだぜ。和さんがオレの方がいいって言ったんじゃねえか。

「え?直樹くん、お漬物ダメなの?」そう言う桐さんにオレは辛うじて頷いて粉茶を口にした。

濃いめの温い粉茶でグチュグチュとうがいをしたいぐらいだけどさすがにそんな真似はしたくない。

「キムチとかもダメなの?」そう言う桐さんにオレは(少しなら)と言う風に親指と人差し指の間にほんのわずかな隙間を空けて桐さんに向けた。

ああ、言いたいことは分かるよ。酒飲みで辛くてしょっぱいキムチが嫌いな奴はいないだろうからな。でもオレは大根のキムチならまあ一切れくらいなら食えるってところだ。漬物なんて要は生だろ?生の白菜とか食いたくない。それにキムチ鍋とか意味が分からない。漬物を煮て鍋にするとか頭がおかしいだろ?

「え、じゃあ梅干しは・・・」

言いたいことはよくわかる。日本人で酒のみで梅干しが食えない奴なんているか?
それがいるんだよ今ここに・・。

お袋はオレが子供の頃はよく梅干しを作っていた。それは、今はやりのハチミツが入ったような甘ったるいような奴じゃなくって塩と梅の実と赤紫蘇で作った昔ながらの梅干しってやつだった。みんなうまそうに食っていたしお袋もそれを見て嬉しそうだった。その気持ちはわかる。自分の作ったものを美味そうに食ってくれるってのは本当に気分が良くなる。だがオレは食えなかったんだ。お袋の梅干しを食ったことは一度もない。もちろんオレが小学校の遠足に行く時にお袋が作ってくれるお弁当に梅干しが入っていることはなかったし、おにぎりだっていつも鮭のおにぎりが二つだった。オレは昆布の佃煮もタラコも食えないからな。イクラなら食えるがイクラのおにぎりなんて気持ち悪い。

梅干しを食えないなんて日本人か?よく言われるよ。岸にさえ言われた。

でもな、よく言うだろ?日本人は炭水化物をオカズに炭水化物の米を食う異常な民族だって。中国人からみれば餃子やラーメンをオカズにしてご飯を食う日本人は異常に見えるらしいし、欧米人から見たら豆を甘く煮てご飯の塗りたくって食う「オハギ」なんてどう頑張っても食い物とは認識できないらしい。ナポリタンをパンに挟んで喰うなんて知ったらイタリア人は二重の意味で気絶するかもしれないな。

オレから見たら梅干しでご飯を食うってのが一番イカれているぜ。梅干しって梅の実だぜ?つまり果物で白飯を食っているんだぜ。頭おかしいだろ。パンに甘いイチゴジャムを塗って食うならわかるけどな。もう一つ言わせてもらえば焼きそばでご飯の食うってのも信じられないが。
ああ、そうそうオレはお好み焼きも嫌いだしタコ焼きも嫌いだ。外はカリっと中はトロりとしている?半生の溶いた小麦粉だろ?
まあ広島焼きは大好きだけどな。オレにしてみればなんでアレが「お好み焼き」を名乗ろうとすることに必死になるのかがさっぱりわからない。一緒にしないで欲しいぜ。

オレが猛烈に首を横に振ると桐さんは不思議そうなものでも見るかのような顔をオレ向けまた言った。

「え?じゃあキュウリの浅漬けとかも?」

オレはまた同じように「ちょっとなら」と言う感じのジェスチャーの指を桐さんに向けた。

「なら茄子の漬物とかは?」

オレは温めの粉茶を口に含んで口の中を洗い流しながらまた猛烈に首を振った。生の茄子なんてたっぷり脂身のついたクジラの皮みたいだ。食えるわけがない。

「えー?直樹くん、好き嫌い多いのねぇ」

そう言う桐さんはどこか楽しそうだ。

「こいつ、本当に好き嫌いが多いんだよ。山葵もダメだしな」

「ええ?山葵ダメなの?」

桐さんの言いたいことはその顔を見ればわかる。

「お寿司を食べているのに?」だろ?
オレはまたお茶を口にした。

「前にさ、俺がうっかりして山葵を入れて握っちまったことがあってな。その時はこいつ便所に駆け込んだんだけど、朝まで出てこれなかったんだよ」

「ええ?大丈夫だったの?」

オレは湯飲み茶碗に残った温い粉茶を飲み干し、やっと一息付けた。

「あの時は、脱水症状で大変でしたよ、和さん」

「悪かったよ、直樹」

そういう和さんは右の口角をあげている。それは「悪かった」って言う顔じゃないぜ。

あの時、岸のヤツがポカリを何本も持って朝まで便所の前でオレを待っていてくれていた。救急車呼ぶか?って何度か聞かれた。オレはそのたびに「大丈夫だ(たぶん)」って答えた。

脱水症状って言うと水でも飲めばいいじゃないかって思うだろ?そうじゃないんだ。身体が体内に入った毒物を1ミリグラムも残さず綺麗さっぱり洗い流そうとしているんだよ。オレは朝までに岸が買ってきてくれたポカリを四本全部飲んだ。2リットルだぜ。

それが全部出るんだ。身体は出すのに一生懸命で少しも吸収しようとしない。一本飲み干しても10分も経たずに全部出てきちまう。どこから?ってわかるだろ、吸収されないんだ。

最後は腸の中を綺麗さっぱり洗い流しましたって感じのポカリが出て来たぜ。人の身体ってもんは不思議だよな、ポカリを飲んで胃を下っていくのは分かるんだがどうやって長い腸をポカリが上っていくんだろうな。
最後はマジでウォシュレットも必要がないくらい綺麗なポカリが出て来たぜ。

岸のヤツは便所のドアを一枚隔ててその音をずーっと朝まで聞いていたんだ。何度も「救急車呼ぶか?」って言われたよ。それが「生きてるか?」って意味に変わっていったのも、最後の方は「もう救急車で病院に行こうぜ」って意味だったのも分かってた。

「でも山葵なんて見ればわかるでしょ?」

桐さんのいう事は分かる。
そんなに山葵がダメなら寿司の上に乗ったネタをちょっとめくって見ればいいって言うんだろ。でもオレはそんなことはしない。したくない。だってそんなのみっともないし、ダサいしカッコ悪いだろ。

「御馳走様でした」オレはそう言って立った。

それを見て和さんが慌てたように言う。

「直樹、今日は大丈夫だから!な?」

「いえ、もういいです」

オレはハッキリ言ってこの状況にムカついていたがそんな顔はしていないつもりだった。
だって和さんに頼まれて二人の仲を取り持ってやったのにタクアン巻きとか言うゲロを吐きたくなるような物を食わされ、その上さらに山葵を食えないことをバカにされたんだぜ。
流石にそれを察したのか和さんは「直樹、悪かった」と言って頭を下げたがオレはもうこのカウンターに座ってのんびり寿司を食うつもりはない。

「いえ、寿司はもういいです」

「直樹、悪かったよ、調子に乗りすぎたな、な?」

和さんはそう弁明するがでも桐さんはそうじゃなかった。

「直樹くん山葵ダメなのー?」そう言う桐さんを見ると、からかい口調で楽しそうだったがなにか含むところがあった。だからオレはそれに答えた。

「ええ、本当に死にかけます」

「それじゃあ、お外でお寿司を食べるのも大変じゃない」ああ、桐さんの言いたいことというか狙いが分かった。

「いえ、オレは和さんの寿司しか食わないんで」

そりゃあそうだろう。知っているか?寿司って素手で作るんだぜ。
オレはガキの頃から寿司って言うのはお袋に連れられて行く近所の寿司屋のカウンターで食うもんだった。そこはオッサンが一人で寿司を握ってバアサンが寿司桶を持って自転車で走っていた小さな店だった。

もちろんその寿司屋の板前はオレが山葵がダメだって知っていたから、オレは一々「サビ抜きでお願いします」なんて言わなくてもちゃんとサビ抜きの寿司が食えたし、オレが「大トロ」なんて言っても「子供の食うもんじゃねえ」と真っ赤なマグロの赤身が出てくるような店だった。

オレにとって寿司ってそういう食い物だった。カウンターの向こう側に立っている板前はオレが山葵が食えないことも、大トロを食っていい大人でもないことを分かっている。オレにとって寿司ってのはそういう食い物なんだ。

「好き嫌いも多いんじゃ外でご飯食べるのも大変でしょ」また桐さんが言う。もう分っているよ。

「オレは外で飯を食うのは和さんのところだけなんで」

「ええ!?そうなの!?」桐さんがわざとらしく驚いた。

そう、そうだよ。オレは和さんを信頼しているよ。オレは諦めてまたカウンターの椅子に座った。
でも今ここで寿司を食いたくないんだよ。そればっかりは桐さんには分からないだろう。

「直樹、何がいい?」和さんが嬉しそうに言うが今ここで寿司はもう食いたくないんだよ、和さんならわかるだろ?

「いや、寿司はもういいですって・・」

「直樹・・・」和さんは、お前まだ怒ってるのか?って感じだった。そうじゃないんだ。

「あのね和さん、気持ちはわかりますけどサキタンとベトコンに寿司をふるまった後にあいつらどう思っています?」オレはそう言ってかすかに店の前の道路に顔を振った。
和さんも道路を見てやっとそれを悟ってくれた。

出されたものは遠慮なく食う。食って満足したらさっさと出て行き次の客の場所を空ける。それが「彩」での暗黙の掟だ。スラブコンビは別だけどな。

あんかけ焼きそばを堪能したレズコンビはもういないしレッドもそうだ。でもまだ残っているヤツらは和さんの寿司を期待している。いつもタダ酒を持ってきてくれているエビス屋のオレと岸も別格だけど和さんの寿司となったら話は別だ。

道路にいる奴らは「いつまでカウンターにいるんだエビス屋!」って思っているだろう。さすがに和さんもオレがいかに居心地の悪い所にいるかってのを分かってくれたみたいだ。オレだって和さんの寿司を食いたいけどさ、あいつらを知らんぷりしてオレだけ和さんの寿司を楽しむってのは無理だろ。

「じゃあ、あと一貫!一貫でいい、な?直樹」そう言われては仕方がない。

「分かりました、でもオレもあいつ等に恨まれたくないですからね」一貫だけだ。

「よし!!」和さんはそう言ってオレを満足させるとっておきの寿司を作り始めた。

和さんがオレの前に出したのは軍艦だった。
黒みがかった茶色の、おそらく細切りイカが盛られた軍艦だった。オレはそれを手にした。

「ヅケみたいなもんだからな」和さんにそう言われオレはほんの少しだけ醤油にかすらせ口に運んだ。
やっぱりイカだ。醤油に浸けたイカか?裏漉しした肝も混ぜてあるのか?ねっとりとした歯ごたえで肝がコッテリとしている。うん、悪くないな。ああ、悪くはない。

「これは釣りたてのイカを醤油桶に入れて作るイカの沖墨漬けだ。死んだイカじゃ墨を吐かないだろ?釣りたての活きの良いイカでしか出来ない本当の沖漬けだ」和さんが自信満々で言う。いや、ダメじゃないんだけど・・・。

「オレ、イカはあまり好きじゃなくって・・」オレが少しだけ申し訳なさそうに言うと和さんも裏切られたかのように反論した。

「ええ!?お前・・・イカ天食うし海鮮の餡かけだって好きだろ!?」

流石に申し訳ない気がする。

「いやあ、生のイカはどうにも・・・・嫌いじゃないんですけどね」
焼いたり揚げたりしたイカは好きだけど、生のイカは好きじゃない。オレは自分が好き嫌いが多いだなんて思ったことはなかった。でも和さんの店に来るようになってそれを分からされた。それまでは自分で飯を作って、外で食う時だって自分の食いたい物だけを食っていたんだって事をな。和さんの店はメニューがない。和さんが何か料理を出すたびにオレは「アレは食えないコレも食えない」

我ながらめんどくさいヤツだとは思うよ。

「分かった!もう一貫!もう一貫食ってくれよ!」和さんも必死だった。

まるでグルメ漫画の料理バトルみたいな展開だが、それと違うのは寿司がうまければオレも和さんもハッピーになれるが、イマイチだったら2人揃って暗い気分になるだろうなってたところだ。
オレはもう一度横目で道路を見た。岸と田中さんまでこっちを見ていた。

和さんが渾身のにぎりを置いた。
少し赤い皮を残し身にやや茶色みのある握りだった。
皮目を湯引きしたキンメダイかキンキの昆布締めだろうな。
昆布の色の移り具合からすると丸一日は寝かせてありそうだ。
キンメダイとキンキの違いは、美味い方がキンメダイで、マジで美味い方がキンキだ。
これはどっちかわからないが食ってみればわかる。

オレが和さんの渾身の一貫を手にすると桐さんが横からイジワルを言ってくる。

「直樹くん、それ山葵入ってるかもしれないわよ、見なくても大丈夫?」

「えぇ、大丈夫です」オレはそっけなく答えた。悪いんだけど、今はこの握りに集中したいんだ。

そもそも、(こいつはちゃんとサビ抜きで握ったのか?)なんて心配する必要があるような板前なら、こいつはトイレに行って手を洗ったか?こいつは水虫を掻きむしったりしていないか?ってことだって気になるだろ。
だからオレはそういう心配をする必要のない、信頼している人が握った寿司しか食えないし食う気もない。
それは昔はあの近所の寿司屋の板前で、今は和さんだ。そして目の前に置かれているのは和さんが握った寿司だ。

オレは握り寿司を醤油皿にかすらせて口に入れた。和さんがすかさず熱くて濃い粉茶を置いた。
これはおそらくキンキだ。おそらくって言うのはこれはマジで美味いどころかとんでもなく美味いからだ。
ぶっちゃけっキンキって魚は柔らかく淡白でそのまま食ってもそれほど美味くはない。
だけど昆布締めにするとふんわりした柔らかい歯ごたえがプリッとした食感になり、昆布の旨味が足され抜群に美味くなる。

うーん、美味い!でも皮は残さなくても良い気がするな。
オレは下を向いて最後の瞬間までキンキの昆布締めの握りをじっくりと味わった。
そして締めに熱々の粉茶をすすった。

和さんが「どうだった!?」とばかりに身を寄せてくる。そんなにがっつかないでくれよ、食っているのはオレなんだぜ。

「いや、美味いです」オレは粉茶をもう一口飲んだ。

やっぱり寿司には濃くて熱い粉茶だよな。ビールや日本酒じゃあダメだ。寿司には粉茶。これはオレがガキの頃からの譲れない組み合わせだ。

「いや、キンキってこんなに美味くなるんですね。ビックリしましたよ」

和さんが「どうだ!」とばかりにふんぞり返る。

「でも外人連中に出すときは皮は引いた方がいいんじゃないですかね」

桐さんが少し呆れて、キミちょっと生意気なんじゃない?と言った顔をしていた。
でも和さんは「そうか?皮目が美味いんじゃないか」と真剣に意見を求める態度で、桐さんは少し驚いていた。

「たぶん、あいつらこの魚の皮は苦手ですよ、赤い見た目がね。それにあそこには皮目が美味いなんて言われてもそこまで生魚に慣れているヤツはいないでしょう?」オレはそう言ってバレない程度に顎で道路を指し示した。

「そうか、引いておくか・・」

桐さんは腑に落ちないと言った顔でオレと和さんを交互に見ていた。

しかし美味かったら二人ともハッピーなんて思っていたがとんでもなかった。そりゃあ確かにこのキンキの握りは絶品だった。その点ではオレも和さんもハッピーだ。
でも、もっと食いたくなった・・。

「じゃあ、和さん。あとは連中にどうぞ」

「ああ。そうだ!あの二人には別に用意するって言っておいてくれ」

「分かりました」

オレは後ろ髪を鷲掴みにされている気分で席を立った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?