第三十六話 誰が佐河を殺したの?

「関本さーん、鑑識呼びますよぉ?」
「いや、待ってくれ」
「自殺でしょう?」
「木下、もう一度大家に話を聞いてきてくれるか?」
「またですかあ!?もう三回も聞いてるじゃないですかぁ、すげえイラついてますよ大家さん。さっさと鑑識呼びましょうよぉ」
「いいから聞いてこい!全部だぞ!」
木下と呼ばれた刑事は舌打ちをして部屋を出て行った。

何かあるはずだ。
関本はきつい便臭のする老人の死体から距離を取りつつ、もう二度と動くことの無くなった老人の死体を観察した。ハンカチで鼻を覆ってはいるがあまり意味はなかった。
浴室のドアの取っ手に引っ掛けた細い紐が老人の首に絡まっている。死因は窒息死の可能性が高い。
だが本当に自殺なのか?少し立ち上がるだけで助かるのに?
何かあるはずだ、何も見落とすな。関本は自分に言い聞かせる。
ここが正念場だぞ。鑑識よりも先に見つけるんだ、何かを。
テーブルの上には中身の無い錠剤の入れ物。八錠分のパッケージのうち六錠が無くなっている。この老人が飲んだのか?いや飲まされたのか?何者に?
何かあるはずだ!いや、あって欲しい。

関本の背後でドアが開いた。関本は振り返らずにもう一度命令を下す。
「木下!大家に話を聞いてこいって言っているんだ!」
「俺に言っているのか?」背後から返事がした。
「お前以外に誰が!」関本がイラつきながら振り返るとそこにいたのは木下刑事ではなかった。
「八つ面・・の?」
「ああ?なんだ?俺の事か?」
「いや、あの渡部警部補・・・なぜここに?」
「なぜって仕事だろうが。飯でも食いに来たとでも思ったのか?」
渡部は関本を見ずに部屋の中を見渡していた。

渡部警部補だ!ノンキャリなのに捜査一課のエース、八つ面の渡部さんだ。なぜ一課のエースがここに?
いや、やはり何かあるんだ!これはただの自殺じゃない!
渡部は鼻も隠さずに捜査用の白い手袋をはめるときつい臭気を放つ老人の死体へと近寄って行った。
さすが渡部さんだ!この匂いをものともしない!
渡部が老人の死体に向かって手を合わせてから、顎に手を当て顔を覗き込んだ。続けて死体の手の指を触った。
そしてフンッと鼻で笑ってから振り向きもせずに言った。
「で?」
それが自分に向けられているものだともわからずに関本はじっと渡部の背中を見つめていた。
しびれを切らした渡部が関本に振り返り「聞こえないのか?」と言う。
「は?はいっ!?」
「このジジイだよ」渡部が老人の死体を顎で示した。
「死んでますね」
渡部はまた死体に向き直り小さく頷く。
「で、どうなんだ?」
「浴室のドアに紐をかけての首つり自殺と言ったところでしょうか」
渡部が再び関本へと振り返った、怪訝そうな表情で。
「うん、で?」

あの表情!やはりなにかある!捜査一課のエースが俺に意見を求めている!見つけろ!見つけるんだ!
「浴室の中なのでこの後の処理は楽そうです」
「他には?」
「そうですね、テーブルに錠剤のゴミがあります」
渡部がテーブルを一瞥しまた関本を睨む。
「それが?」
「八錠分ありました」
「で?」
「六錠は無くなっています!」
渡部はフーム・・と考え込む様に目を逸らした。
「どう思う?」
「この老人が飲んだ可能性もありますが、飲まされた可能性も否定できません!」
うん。とばかりに渡部が頷いた。
やっぱりだ!俺の推理に納得している!
渡部が立ち上がりテーブルの上の錠剤のゴミを手にし、すぐに放った。
「お前はどう思う?」
間違いない!渡部警部補は俺に期待している!ここで上手く立ち回れば捜査一課への抜擢も夢じゃない!そうとなれば次の昇進試験も!俺も晴れて警部様だ!いつも生意気な口を聞いてくる木下も悔しがるだろう!
「殺し・・・じゃないですか」
捜査一課のエースが出張ってきているんだ、ただの老人の自殺なわけがない。これは殺しだ!
殺しとなれば刑事課の役目は終わりだ、捜査一課の出番だ。だがここで俺が捜査一課のエースの渡部警部補も唸るような推理をぶつければどうなる?
「殺しか・・」渡部警部補がもう一度死体に目を向けた。
「ええ!少し立てば助かるのにこれで自殺とは」
「うーむ・・」
八つ面の渡部警部補が俺の推理に驚いている!

渡部は深く息を吐いた。
疲れるな。
俺はもう、こういった若い連中の相手をするような年じゃない。30そこそこでいっぱしの刑事気取りの餓鬼の相手をするのはな・・。
心底そう思う。Z世代とでも言えばいいのか。一回り前なら氷河期世代、二回り前ならゆとり世代ってところか。大昔前ならなんて言ったか・・。いつの時代にもこういう奴はいる。
例えるなら、俺は今日の天気を聞いた。それに対するこいつの答えは雨は降っていないとか自分には雲は見えないだとか太陽がまぶしいですとか言っている。
「晴れている」と一言いえば済む話だ。気の利いた奴なら「天気予報では午後から雨になると言っていました」とでも言うだろう。田中のヤツなら気温から湿度、いや、風の強さと向きまで足してくるかもしれないな。もちろんそれが必要である時だけだ、しかも簡潔に。

テーブルに残された錠剤のゴミ。ブリスターパックだ。それにははっきりとトリアゾラム錠と書かれている。ベンゾジアゼピン系のおそらくもっとも一般的な睡眠薬だ。ハルシオンと言ったほうが聞こえがいいか。もしこの老人が何者かによってこの錠剤を無理やりに飲まされたのならなぜ、その何者かはこのブリスターパックを敢えてテーブルに残していったのか。検視の結果、体内から睡眠薬が検出された時の為?その時に空のブリスターパックが無くてはどうやって薬物を飲んだのかに疑念がもたれるだろう。
もちろんその可能性はゼロではない。だがそこまで頭の回る奴がなぜこんな殺し方をするって言うんだ?
疲れるな。

「第一発見者は?」
「このビルの大家です!」
「そうか、さっき言っていた大家の話って言うのは?お前は聞いたのか?」
「はい!もちろんです!」
また無駄な沈黙が始まる。
渡部は手袋で触れないように手首で自分の右目を揉んだ。
「で、どうなんだ?」
渡部が振り向くとどこか嬉しそうにする関本が話し始めた。
「はい!大家が第一発見者でしたので、まず私が大家に話を聞きました!」
これ以上無駄な時間を使いたくない渡部は諦めて関本に向き直った。
「それから」
「大家はガイシャが部屋から出てこないことを不審に思い、部屋に来て死体を発見したそうです!」
「大家はなぜ不審と思ったんだ?」
「はい!ガイシャは毎日、パチンコ屋に出かけていたのに出てこないことに不審を持ったと言っていました」
「大家はこの老人がなぜ出てきていないとわかったんだ?」
「はい!エレベーターの音がしなかったからだと言っていました!」
「なるほど」
また沈黙が横たわる。
「それで?」
「はい、昨晩はパーティーがあったそうです」
「パーティー?」渡部は部屋を見渡した。そんな形跡は見当たらないが・・。死ぬ前に綺麗にしたって言うのか?
「はい、結婚パーティだそうです」
「結婚パーティー?誰のだ?まさかこのジジイじゃないだろ?」
「ええ、常連の客だそうです」
「常連の・・客?」
「はい、店の客の白人女性とベトナム人男性の・・・」

普通の奴に1から10まで数えろと言ったら「1・2・3・4・・」と数えるだろう。
だがこいつは「1」と言ったきりだ。
俺が「次は?」と言うまで「2」と言わない。
コイツが「2」と言えば、またオレが「次は?」と言うまで「3」と言わない。
そうだ、昔はこういう奴らをこう言った。
新人類。
ただ単に考え方の違い、世代格差って言うならいいんだけどな。コイツが本当に刑事なのか?刑事課とはいえ、こんな奴らばかりでは・・・。
渡部はすっかり諦めて数字を一つずつ数える関本に「次は?」「次は?」と聞いていった。
渡部が話を促すたびにコイツは実に嬉しそうな顔をする。打てば響くとばかりに答えているつもりなのだろう。
どうやらパーティーとやらはここで行われたのではなく、一階の居酒屋での事のようだ。
「メモを見せてくれるか?」
「はい?」
「メモだよ、大家に話を聞いたんだろう?」
しかし関本は自信ありげに右手の人差し指で自身のこめかみを突いた。
あとは自分で聞いた方が良さそうだ。渡部がエレベーターに乗ろうとすると関本も後ろをついてきた。
「お前はここにいろ」それだけ言って渡部はエレベーターに乗り一階へと降りた。

なるほど、エレベーターは道路に面しているが建物の裏のシャッターの中にカウンターが据えられ居酒屋として機能しているようだ。カウンターの中で大柄な板前がこれまた若造と話し込んでいる。板前は実に不機嫌そうだ。この若造が木下と言う刑事なのだ。
「おい」渡部は木下に声をかけた。
木下は怪訝そうに振り返り渡部を見ると「あ、八つ面・・」とこぼした。
なあ、普通そう言うのは頭の中にとどめておくものだろう?なんでこいつらは思ったことをそのまま口に出すんだ。
「あとはいい、鑑識は呼んだのか?」
「いえ、まだです。関本刑事が・・・」
「さっさと呼べ」
「はい」
木下と言う刑事は慌てるそぶりも見せずに道路へと歩いて行った。
渡部は板前に歩み寄った。
板前はそれを感じ取ってはいても調理に没頭し直すかのように視線を上げることなかった。渡部はポケットからメモ帳とペンを取り出し出来るだけにこやかな表情を作り板前に声をかけた。
「大変でしたね」
「ええ」板前は顔を上げることもなくぶっきらぼうに答えた。
「すみませんが、もう一度話をお伺いしたのですが・・」渡部はいかにも申し訳ないと言った声色で言った。板前は作業を止めて両手をまな板に付いた。
「もう三回は話していますが。彼らに聞いたらどうです?」
「誠に申し訳ない、これで最後ですんで・・」
「あなたは?彼らの上役ですか?」
「いえ、課が違いますんで、上司ではないです」
板前が深いため息をつく。
「アレは刑事課ですが、私は捜査一課です」渡部がそう言うと板前は僅かに顔色を変え反応した。
理解が早くて助かる。
板前の年齢は自分と同じくらいだろう。体格も似たようなもんだ。オレを上にも横にも二回りくらい大きくした感じか。逆に店はこじんまりとしていて実に小さい。あまり儲けは出なそうだがこのビルの大家と言うのだから、まあ趣味の店と言ったところか。そしてこの板前は俺の言った「捜査一課」と言う言葉に眉をひそめ僅かに反応した。
「自殺した老人。佐河って言うんですけどね」
「ええ、知っていますよ。ここに住んでいたんですから」
住んでいた、か。切り替えの早いことだ。
「アレは、元ヤクザの組長でしてねぇ」渡部はメモ帳とペンを手にそう言って板前の反応を伺った。
板前は「知っていますよ」とばかりに顔をそむけた。
「だから一課のあなたが?」
「そうです、念のためにと言うところです」

たかが老人一人の自殺に捜査一課が出張ることなんてない。孤独な老人の自殺。そんなものは日常茶飯事だ。だからあの鑑識も呼ばないポンコツ二人に任されたのだろう。
だがその自殺した老人がかつての武闘派ヤクザの組長とわかれば話は別だ、見過ごすことは出来ない。
しかしそれも十年以上も前の話だ。だから念のため俺がよこされたというところだ。
捜査一課で八つ面とあだ名されあんなポンコツ刑事にまで名が知られていても結局はこういう役回りだ。
面倒な役回り。一言で言えば雑用係だ。

「ですので、すいませんがもう一度・・パーティーがあったとか?そこで佐河は何を?」そう言って渡部はメモとペンを手に板前に話を促した。
こういう時にメモを取るという事はとても重要だ。あとから見返せるというのは当然だが、話を聞こうとする相手にあえてこういう姿勢を見せることで聞き出せる情報の質は格段に上がる。人は質問をされ、それに答えた時に相手が熱心にメモを取っている姿を見ると、自分が話している情報が特別重要なものだと感じるのだ。そうなるともっと役に立てないかと思うようになり、必死に記憶をめぐらし実に細かいことまで話すようになる。もちろんそうなると憶測のような勝手な意見が混ざってくることもある。そう言った余計な情報と、確実な事実を区別するためにもメモを取ることは絶対に必要だ。今じゃこういう当たり前の事すら教えていないのか?いや、こんなことはいちいち教えるようなことではない。こんな当たり前の事すらあのポンコツ連中には手取り足取り教えないといけないということなのだ。
関本。木下。もちろん知っている。あんなポンコツでも準キャリで俺と同じ警部補だ。だがそれでもすぐに縦線が増えて俺を追い抜いていくんだ。あんな刑事が増えているのって言うのに日本の犯罪件数は右肩下がりだ。
バブルの時期に比べたら日本は実に平和になった。立ち退きに応じないと解体業者の代わりにヤクザがダンプで突っ込んでくるようなことも無くなった。ヤクザは減り特に佐河組のような武闘派ヤクザは絶滅したと言っていい。
これは暴対法などの警察機構の努力の賜物ではないし、間違ってもポンコツ刑事どものおかげではない。単に日本が貧しくなってきたからだ。犯罪を犯してまで奪える金が少なくなってきたからだ。一億の金がかかっていたら拳銃片手に走る下っ端もいるだろうが、百万の金のために懲役を覚悟するやつはいない。それに暴対法がある今、下手したら組長が塀の向こうに送り込まれる羽目になる。だからバブルの時代とは逆に組長が下っ端を押さえる必要があるというわけだ。
日本はバブルと言う金を産み出し続ける不思議な時代を終え、平和で安全な社会を迎えたというわけだ。
まあ俺も少なからずその恩恵にあずかってはいたが。

「うちの常連客がここで結婚パーティーを披露したいと言うのでね、貸し切りって程でもないのですが・・」
板前はそう言ってどこか自虐的にカウンターに並ぶたった四つの椅子を見渡した。
「ええと、そこに佐河が来たわけですね」佐河が招かざる客だと言うのは分かり切っている。だがそう言ったことをこっちから言うのはダメだ。余計な先入観を与えることなく話を聞き出すんだ。
「ええ、今日は帰ってくれと言ったんですがね」
「そうですか。でも今日は、と言うといつもは?」
「ああ、たまに顔を出す程度でしたが」
「たまに?上に住んでいるのに?」
「ウチの客は外人ばっかりなのでね、お断りって言うわけではないですけど、日本人お客さんは殆ど来ません」
「なるほど。で、ほとんど言うと?その結婚パーティーの時の客は?」
「もちろん外人ばっかりですよ。10人位ですかね。素性は知りませんよ。入れ代わり立ち代わり来ますし飲み屋に来る客ですからね」
カウンタに並ぶ椅子は四つだけだ。
「10人位と言うと、立ち飲みですか?」
「ええ、そうです」板前が顎で指し示した道路は川風が吹き通り実に寒そうだ。
「ほう、で、日本人というのは?」
「三人だけでしたね。出入りの酒屋が二人、あと一人だけですね」
渡部はメモを取り続ける。これが警察が相手から細かな情報を聞き出す重要な手段だ。渡部はちょっと待ってくれとばかりに忙しそうにペンを走らせた。
ただ突っ立って話を聞かれるより、メモを取られていると自分の話す事柄がさも重要な情報であるかのように錯覚するのだ。
メモを取っているという言う行動を見せつけるだけで得られる情報の質は格段に上がるし、実に協力的になってくれるのだ。
「ふむ、出入りの酒屋さん・・・」
「エビス屋っていう卸し酒屋です」
「エビス屋さん・・。もう一人の日本人というのは?」
「さあ?客ですよ」
板前は少しばかり首をひねって答えたが、かすかに不自然な感じがあった。
まあいいだろう、渡部はまさに根掘り葉掘り話を聞き続けた。

渡部が佐河が死んでいる部屋に戻ると鑑識が検分を終えるところだった。
まあ特に気になるところはない。
鑑識が渡部に気が付いた。
「どうだ?」
「ああ、渡部さん。ビールで睡眠薬を流し込んでの首つり自殺ですね。死亡時刻はそうですねぇ未明の3時か4時ってところですかね。暖房が付いていたようですけど前後1時間かそこらで間違いないでしょう。検死に回してもいですか?」
「ああ、頼む。まあ自殺で間違いないだろうな」
「はい」鑑識は軽く返事をして部下と共に死体の処理に取り掛かり始めた。
渡部はもう一度佐河に手を合わせ、部屋を後にした。

エレベーターから道路へと出て、もう一度あの板前に挨拶をしておこうとビルの間の細道に入っていった。
妙な作りのビルだと思いながら細道を抜けると革ジャンを着た大柄な男と共に一人の制服警官がいた。
田中だった。

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