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短編小説・グッディーと一緒

短編小説・グッディーと一緒
佐保信幸
私は今、太平洋の大海原に面する、ウエストコーストの海岸で、黄昏の中、渡り鳥が故郷へと帰っていくのを見守っている。
上空に向かって手を振ると、鳥たちは透き通った、オレンジ色の空の上、私の頭上、およそ100メートルで、鳥の群れが一旦散らばりながら、二度旋回し、V字に隊形を組み、遥か彼方の北のほうへ飛び去っていった。

私はバックパックを肩から降ろして、今砂浜の上に新聞紙を広げその上に座っている。周囲の砂粒をかき混ぜて貝殻などないかと探っている。
真っ赤な太陽が水平線に沈もうとしている。水平線に沈む音をする太陽が水に消える時、蒸発しそうな感じがする。それを見ていると何だか悲しくなって、涙が溢れてくる。ひとりでに涙が溢れて止まらない。私はうつむきながら一人呟いた。「こんなところに一人で来るんじゃなかった。」クラッカーをポリポリかじりながら、咄嗟に思い浮かんだ言葉だ。右手で頬の涙を拭うと、無意識に口笛を吹いていた。
私はこのビーチを駆け回る愛犬を口笛で呼んで戻って来させて、首の下を揉むように、撫でてやった。ポインター種の雄犬、名前はグッディと名付けてある。「まあ、仕方ないよな?」と、私はグッディーに、話しかけた。私は、グッディーの首に抱きつくと、無性に泣きたくなった。それからグッディーに話しかけた。「ねえ。お前スターバックス行きたくないか。」グッディーは首を縦に振った。それから尻尾を降って私の周りを回った。ゴーサインが出たということで私はクラッカーのかけらを払って立ち上がり、新聞紙を丸めてナップサックに詰め込んで背負った。グッディー!さあ行くぞ!首輪にリードをかけて少し引っ張り、合図した。砂浜を後にし、私たちは車に乗ってウエストコーストのビーチから、澄み切った夜空を、満月が照らす中、市街地へ行った。ニューヨークからカリフォルニアのサンフランシスコまで1ヵ月間の道のりの中、いろんなことがあった。それが今、メリーゴーランドのように頭をよぎる。俺はバックパックを車の後部座席に放り込んで、助手席にグッディーを乗せた。それから運転席に乗ってウィンカーを出して発進した。ロサンゼルスは、太平洋側に位置している。気候は時に山火事があるが安定している。カリフォルニアに入るまでの間の方が大変だった。それまでの道中、竜巻の被害に巻き込まれかけたり、ツーリング中のバイカーたちに、からまれたりして、やっとこさここまでたどり着いた。モーテルがない時は、車内でキャンピングした。昼夜を問わず、ずっと運転するのはしんどかった。もうグッディーは15年間生きている。そろそろ寿命になりかけている。愛犬に最後に、太平洋の大海原を見せてあげたかった。だから、この旅に出かけることにした。それが2ヶ月前の事だった。

ニューヨークの、2ヶ月前の5月の初旬、俺はパトロンとの面会の帰り、俺の愛犬グッディーの主治医から電話がかかってきてうけた。
「お宅のワンちゃん。グッディー。もうこんなこと言いたくは無いですが、もうすぐお迎えが来ます、天国からの。持って、あと2、3ヶ月位です。悪性腫瘍ができています。早く言えば癌ができています。」「まさか!そんなの間違いでしょ?」「私は診察、診断は慎重にやるタイプです。間違いって事は無いですよ。当てずっぽうでもない。長くて、3ヶ月間しか持ちません。こんなこと言うのは残酷ですから、あまり言いたくは無いですけど、ほんとだから仕方ありません。」
「そんな!そんな!あまりにひどい!あぁ、先生!どうしたらいいでしょうか?」
「まぁ、グッディーがしたいようにさせてあげたほうがいいですよ。ワンチャンが気に入るようなことをしたほうがいいですよ。させてあげたほうがいいですよ。」
「何か心当たりはあります。あいつはテレビを見るのが好きです。留守中のスマートホンから防犯カメラで自宅を監視できるんですけど、グッディはよくテレビを見てますよ。そうですね。こないだずっとハマってたのはカリフォルニアだったらビーチの様子をよく観てた。私が帰宅してからも、カリフォルニアのビーチを見てました。特に気にいってたのが、サーフィンでしたね。でも、あと3ヶ月の命でしょう?かりに、カルフォルニアまで持ちこたえられとしても、サーフィンなんか、俺したことないし、俺、カナヅチだし全然泳げない。グッディに教えられるような事は何もないですよ。それでも行ったほうがいいのかな?どう思いますか?先生。」
「すいません。他の患者さんが待っておられるので。後は、ご自身の判断に任せます。では失礼。」
そう言うと、ドクターは、一方的に電話を切った。私は地下鉄の階段を駆け上ってタクシーを呼んで、イーストビレッジの私の自宅兼アトリエへ向かった。
「大至急だ。急いで!」そう言ってチップを払った。
「旦那!こんなに大金、いただけませんよ。ちょっとこれ多すぎますよ。」
「とにかく急いでくれ。チップは、やったから。」そう返答しながら、俺はスーツを脱いでカッターシャツ1枚になって発車する前にネクタイを緩めた。
「早くすっ飛ばしてイーストビレッジ2ブロック4-11まで行ってくれ!」
「ミスター、いったい何があったんすか?こんな急ぎの用事で、こんな高額なチップを渡してくるお客さん珍しくて。ちょい、やばいことに首突っ込むことになると嫌なんで、理由を聞かせて下さい。お願いしやす。」
「俺の犬が末期癌なんだ!さあ、早く行ってくれ!」
「ああ、そうっすか!そういうことなら、わかりやした!」タクシードライバーはクラッチを踏みレバーをバックに入れ、アクセルを深く踏み込んで、急速で後退しつつ、シフトを切り替えながら、オーバートップギアにいれて、目的地のわが家のマンションに到着した。ドアベルに訊いた。
「俺が今どんな面してるかわかる?」
「もう死にそうなくらい顔色が悪いですね。」
「そうなんだ!ああ、なんてこった!俺の愛犬あと三か月の寿命なんだよ。マンションのオーナーに知らせたいんだが。」
「どういったご用件でしょう?」
「俺は、このマンションから引き払って、カリフォルニアのウエストコーストまで行くことにした!」
「えっ!?」
「とにかくもう決めたことだ。違約金は払う。貯金ぜんぶ、はたいても構わない!とにかく、もう決めたことだ!今夜中に出発するから。ここの自宅は、売り払う!」
「しんじられない!」男は肩をすくめて見せた。
「こうなったら仕方がない。こうしちゃいられない。早くドクターに連絡しないと。ああ!もういいや。あんな薄情な人間に俺の気持ちが分かってたまるか。」
「私から、オーナーにお伝えしておきます。」ドアベルは引きつった会釈をしてドアを開けた。俺はそのまんまエレーベーターに駆け込んで、最上階の俺の部屋のポインターのグッディーを抱きしめて大声を上げて涙を流した。

あれからもう、二か月が経過した。俺たちは、着の身着のまま、愛車に保存食とドッグフードなどを、一切合切詰め込んで、ニューヨークのイーストヴィレッジからカリフォルニアのウエストコーストに向けて旅立った。そして、今まさに、カリフォルニアのシーブリーズに頬を撫で上げられながら、ウエストコースト近くのスターバックスに向かおうとしている。俺はジーンズのポケットからアイフォンを取り出して、マップを開いた。もう閉店間近だな。早いとこ見つけないと…。あった!なんだ?すぐ横か?

俺は車を店の駐車場に停めて、グッディーとともに入店した。俺は店の中で待ち合わせをしていた旧友を探した。奴はカプチーノ片手に挙げて、
「ジョージ!ここだ!ここだ!お前ちっとも変ってねえな!おー!こいつが例の?」
「そう!俺の相棒グッディーだ。デーブ。お前も相変わらず彼女また乗り換えたのか?調子こいてやがんな?」
「そう!彼女はサイコーだ。シンディー。自己紹介しろよ。」
デーブの前の席に座っていたブロンドのショートカットの女性が、しゃがみこんで、グッディーを撫でながら自己紹介した。
「あたし、シンディー。あなたはジョージでしょう。デーブのハイスクールのクラスメートでしょう。あなたが、イーストヴィレッジのアトリエも、何もかも投げ捨てて、愛犬と旅している様子は良くネットで見たわ。あなたは、とっても変わり者だけど、そう、それもいいじゃない?」
俺は旅の間、意図的に情報を動画投稿サイトに流し続けていた。旅の資金繰りの為と、安全確保のためだ。うまく両立で来た。俺は笑顔で、
「そうだよ。俺の話し方はカリフォルニア訛りがきつくて、すぐに、故郷に帰ろうとしていることは視聴者にバレちまってた。で、ツイッターで炎上しちまってた分けだけど。身辺の安全を考えたら、やっぱ、ここはちゃんと事情を話しといたほうがいいって思って投稿しつづけたんだ。シンディー、会えて嬉しいよ。デーブはいい奴だ。仲良くしてやってくれ。あれ?グッディー?どうしたんだ?」
俺は、床にへたり込んでしまっている愛犬の様子を観察した。首の下の腫瘍を探った。いや、腫瘍どころじゃない。発熱している!大変だ!
「デーブ!グッディーが大変なんだ!一緒に来てくれないか。おれ、もう蓄えがねえんだ。お前の協力で何とかしてくれないか?」
デーブは片手でカプチーノを飲み干すともう片方の手を挙げながら意外な一言を叫んだ。
「お集りのみなさーん!『グッディーを助ける会』のみなさーん!今の聞いたでしょう?さあ、ネットで話題のグッディと飼い主のジョージ!ここで困っていまーす!今助けないと一生後悔するぜ!さあ!乗った、乗った!」
店内にいた客全員が、一斉に集まって、あっという間に募金が、俺の被っていたキャップ一杯に集まって、資金繰りは何とかなった!俺は、動物病院の救急外来が空いているか、デーブに訊いた。
「ああ、目の前にいるぜ!」
白髪の杖をついた老人が握手を求めてきた。
「わたしは、獣医のスティーブン・ゴールドです。あなたの事はネットでずっと応援していました。すぐに、診てあげましょう。」
老人は聴診器を取り出して、診察を始めた。数分間店内を沈黙が支配した。
老人はゆっくりと静かに言った。
「私の長年の経験から言いますと、このポインターの腫瘍は悪性ではありません。良性であり脂肪の塊に過ぎない。今の発熱は単なる風邪です。私の病院まで来なさい。適切な薬を提供しよう。」
店内はドッと歓声が沸き起こった。俺はグッディーやデーブと、泣きながら抱きしめ合った。この話題は世界中に広まり、癌の愛犬を守る支援団体の設立資金のチャリティー募金箱が、全米のコンビニに設置された。

それから、二か月また経過した。
いま、俺は秋風が吹き始めた閑散とした夕暮れのビーチに、グッディーとともにいる。俺はグッディーを抱きながら、愛犬の耳元で言った。
「まったく。お前も俺も悪運が強いな。」
グッディーは、一声吠えて、ビーチを走り始めた。シンディーが呼んでいる。
「あなた!のんびりし過ぎよ。日が暮れちゃう。」
「わかった!わかった!OK!直ぐに帰ろう。デーブの事はいいのか?アイツと、より戻さなくって、ホントに後悔してないのか?」俺は聞いた。
実はあの店内での出来事の一部始終を、シンディーが彼女のアイフォンで撮影していて、ネットで流したのだ。それで、例の支援団体の資金はあっという間に集まったという訳だ。彼女はこたえた。
「彼は、もう他の女に乗り換えてるわ!あたしの前では、彼の名前は口にしないで!」彼女は人差し指を立てながら、自分の口元にあてて、その指で俺の唇を撫でながら俺とキスをした。
グッディーが、きょとんと俺たちのハグを見ている。俺はバツが悪くなって愛犬に言った。
「おい。グッディー。そんなに見るなよ。お前のお陰だってこと、わかってるから。」
「いいから、あなた。あたしたちの事、真剣に考えて。」シンディーがキスしながら言った。
俺の左手からサングラスが、ウエストコーストのビーチの上にそっと落ちた。
太陽も静かに沈んでいく。
(おわり)


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