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短編小説:月食のパリ

短編小説・月食のパリ

この先に交差点があって、しかも、陸橋があって、信号機は緑。街路樹はプラタナス。今宵は月食が見られると昼間のニュースで報道があった。カフェテリアには、大勢の人々が屋外に月食を見物しようと詰め掛けている。俺は愛犬を片手に抱いて、群集の中に紛れていた。この約200年もの間、此処では月食は起こらなかったので、大勢の人々が世紀の天体ショーに期待を寄せ固唾を呑んでいた。口づけを交わすカップルを横目で見やりながら、ビールジョッキを片手にパリのシャンゼリゼ通りから、かなり離れたメトロ(地下鉄)から地上に出て三ブロック程離れた、かつて芸術家達が愛したカフェのバルコニーは月食の格好の見物スポットだ。俺は2時間前から仕事を片付けてアパルトマンから、メトロに乗って15分、徒歩で10分のここにいる。普段から、歴史に名を遺す、アーチスト達が、芸術談議に花を咲かせていた、クラシカルな街並みの大通りから、打って変わって鮮やかな彩に満ちた街角のカフェテリア。歓声がどっと沸いた。月食の始まりだ。今は午後六時二十三分。月の右側が陰り始めた。アメリカやイギリスなど外国人観光客も多くいた。俺は先月は、もうこういった類の賑々しい歓声は二度とパリでは起こらないだろうと絶望していた。パリの学生運動の過激さに辟易していたためだ。いくら学費の値上げに、反対するためとはいえ、此方の生活まで破綻させられたのでは堪らない。いい加減にしてくれ!そう思っていた人々は多かったはずだ。俺は、隣のカップルに犬を見せて話しかけた。
「君たち、学生さんかい?」
「そうですが、何か?」男が答えた。
「あのデモはやり過ぎだと思うが、君はどう思う?」
女が火が付いたように怒り出した。
「なんだっていうのよ?表現の自由があるでしょう?あんた、いい歳してそんな基本的人権もわかんないの?」女は、けばけばしいチークをさらに真っ赤にして怒鳴り上げた。
俺はやれやれと、肩をすくめて、女の腕から犬を救出し、そのカップルから離れようとした。
そのやり取りを見ていた外国人が割って入ってきた。
「君たち、学生さんたちかい?あのデモは観光客をパリから遠ざけたから、君たちのご両親から、仕事を奪ったよね。君たちの親御さんの経済的負担も多くなってしまったと思うんだが、それについて君はどう思う?」かなり、流暢なフランス語だったので、俺はこの人はフランス人のハーフではないかと思った。後で聞いたら全くの外国人であり、生粋のフィリピン人だった。かなりの、上流階級の出で彼は第十パリ大学の外国人留学生だった。カップルから彼を引き離して、かなり欠けてきた月を見上げながら、二人でフィリピンの歴史について話し合った。彼の意見では、彼は植民地としての西欧文明の受容は負の遺産ではなく、かなり好意的に受け止めているようだった。彼はこう言った。
「私は、第二次大戦後に於いて、もしも、植民地化における西欧文明の浸透が無ければ、こんなに早い復興はなかったと思います。もちろん、その反面、戦争の被害も受けましたが私の世代では過去の遺物でしかありません。」彼は、上流階級では100点を得られる答えを示した。俺には、彼が、かなり、「アメリカかぶれの家庭教師をつけられたお坊ちゃん」という風に見えた。やあ、お坊ちゃん。今宵の月食に乾杯!ようこそ、花の都パリへ!
(おわり)

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