ひらいて を観て

 愛という名前ゆえに、本当に愛している相手からは愛されないのは皮肉なもんだと思った。愛には、美雪が『たとえ』と上手くいっていないと断言してしまうような不躾さがあり、『たとえ』との繋がりのために美雪を利用する狡猾さがある。物語序盤から、思春期特有の全能感に溢れた愛に対して、私は1番共感ができた。 美雪の手紙を見る度に『たとえ』が美雪を好きになる理由が痛いほど分かった。何故ならば、愛はふたりだけの世界とはどういうものか分からないからだ。ふたりだけの世界を知らない愛は土足で踏み込む。恋人とはこうあるべき一般論。大切にされてるんだね、なんてダウト。神様みたいに可愛くたって好きな人からは愛されないよ。 だから、二度と作れない色を今、全て塗ってしまおうとした。愛が矢継ぎ早に『たとえ』に放った言葉は全て自分が美雪に対して思っていることで、きっと美雪を見下しているのは自分。弱くて優しくて狭い世界。ふたりの世界。『たとえ』が美雪を好きになる理由が分かるよ。

 暴力的で、何でも思い通りにやって来て自分の欲望のためなら、人の気持ちなんて関係ない。何でも奪い取って、いいつもりでいる。この発言で私が『たとえ』を憎むのは違うと思ったが、うーん『たとえ』くん、めちゃくちゃ痛い所を突いてくる。分かった。私は絶対に西村たとえが嫌う人間だ。 人に愛されているため、自身が人を愛そうとする時に何故自分が選んだ相手からは選ばれないのだろう、と不思議に思う。自分の至らなさを理解できない。

 蒲鉾を切り分けるシーンで包丁が出てきた瞬間、『たとえ』の父親の発言次第では、私は父親を刺し殺してしまうのだろうなと思った。『たとえ』は何があっても父親を殴れない。だから私は心底腹が立ち、『たとえ』に恋に落ちるのだろうと思った。理解できないからこそ惹かれるのだ。理解したいから恋に落ちるのだ。 愛が『たとえ』の父親を殴ったのは怒りの感情があったから。同族嫌悪。弱いものは全て自分の思い通りになると思っている。けれど、ならない。愛はそれを理解した上で、過去を払拭するために『たとえ』の父親を殴った。

 『たとえ』は、嬉しいなら態度で見せろよ。貧しい笑顔だな。自分しか好きじゃない笑顔だよ。一度でも他人に向かって、俺に向かって微笑みかけてみろよ。と言った。自己愛ゆえの衝動と葛藤、と片付けてしまえればよいのだが、あの思春期特有の逃げ出したさの正体は一体何なんだろう。
 セフレだったらバカだと思う?という問いに対して「思わないよ」と言った愛の微笑みは慈愛に満ちていて、本心だった。 本来の形ではなくとも、歪だとしても、好きな相手とは繋がっていたいという心からの共感。しかし、美雪に対して「綺麗事だね」と吐き捨てた時の笑顔は歪んでおり、嘘をついていた。 最後に思い出になってしまうぐらいならば、桜など全てなぎ倒してしまえば良いと思った。 


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