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The Astronaut 第4話 初めての気持ち

君と一緒にいるとき
他には誰もいない
こんなふうに感じたのは初めてなんだ

‘The Astronaut’ より(英語意訳:うみ)
"僕は、君にとって何ですか"


第4話 初めての気持ち


 「危ない!」
彼女の乗るジテンシャが、太陽の光を反射して鈍く光った。一瞬の出来事だった。ジンが駆け寄った時にはすでにヴィクトリアは立ち上がっていたが、涙をこらえているのかどこかが痛いのか、歯を食いしばって俯いていた。
「怪我していませんか」
ジンはヴィクトリアの顔や手足を確かめると、ほっとしたように息をついた。何日か続いた雨のせいで、ジテンシャの練習がしばらくできなかった。一時的な雨間が訪れ、ヴィクトリアに手を引かれて外に出たが、こんなことになるとは。
「だから、一人でやるにはまだ早いと言ったじゃないですか。僕が支えていると言ったのに」
ジテンシャを起こしながら小言を言うジンを、ヴィクトリアは涙の溜まった目で睨みつけた。
「違うよ。私のせいじゃないもん。地面が濡れてるからだもん」
「では、もう一度やってみますか」
「もういい」
ヴィクトリアは明らかに機嫌を損ねていた。彼女はジテンシャをジンに押し付けると、家に向かってずんずん歩きだした。どこからか湧き出た重たい雨雲が空を覆い始めていた。

 ジテンシャを片付けて物置小屋から出たジンの手には、スコップが握られていた。ジンは、霧雨の中をまっすぐ歩いていったが、突然立ち止まりしゃがみ込んだ。見下ろしたのは道端の排水溝だった。排水溝には木の葉の混ざった土が溜まっていた。ここが詰まると、雨水が流れず、道路が水浸しになるようだった。
(やってみましょうか)
ジンは持ち慣れないスコップを握り直した。

 後ろから声をかけられたのは、三つ目の排水溝にとりかかっていた時だった。
「お掃除かしら。ご精が出ますね」
近所に住む人だろうか。片手に傘を差し、もう片手にかばんを抱えたその人は、親し気に話しかけてきた。
「このところ、ヴィクトリアと一緒にいるみたいね。お友達?」
すくった土をどこに捨てればいいだろう。
「いえ…その、まあ」
ここでいいか。ジンは曖昧に答えながら、スコップを傾けて芝生に土を振り落とした。すぐにでも土砂降りになりそうな空だが、相変わらず霧雨が続いていた。排水溝にこびりついた土はなかなか取れなかった。
「あなたといると、あの子が笑うようになってよかったわ」
その言葉に思わず顔を上げた。冷たい雨水が首筋を伝った。

 家に戻った頃にはすっかり日が暮れていた。ジンはそっとヴィクトリアの部屋を覗いた。
『あの子の両親、1年前に交通事故で亡くなってね』
先ほどの会話が頭に響いた。
『もともと明るい子だったけど、やっぱりしばらくは落ち込んでいたみたい』
泥と涙で顔を汚したまま眠ってしまった小さな少女を、ジンはじっと見つめた。
(僕は、君にとって何ですか)
 今日は、彼女が一人でジテンシャを漕いだ日だった。数メートル進んだところで転んでしまったものの、もうほとんど手助けが要らないところまで成長していた。
(君は、僕にとって…)
視線を落とすと、部屋の床に落ちていた一枚の絵が目に入った。昼間、彼女が描いていたものだった。ジンは画用紙をそっと拾い上げ、その絵を眺めた。見知らぬ男性と女性、そしてウチューヒコーシの僕が、小さな女の子を真ん中にして手を繋いでいた。ヴィクトリアはこの時、新しい言葉を僕に教えてくれた。
「『家族』…」
 静かな音を響かせながら、雨は一晩中降り続いた。


つづく


※この物語は、진(Jin)さんの ’The Astronaut’ のMVMV Shoot Sketch歌詞およびインタビューなどから着想を得たものであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。


〈ゆいのひとこと〉
女の子の境遇については、公式から全く言及がありません。
彼女がなぜ、突然やってきたジンにあれほど懐いていて、あれほどジンを好いていたのか。もしかしたら彼女もまた、彼女なりの寂しさを抱えて日々を過ごしていたからではないかと思うのです。

‘The Astronaut’ MV 0:47頃に登場

次回はとうとう、最終話です。