見出し画像

The Astronaut 第3話 君と一緒に

君と一緒にいるとき
他には誰もいない
僕は天国をひとり占めしているんだ

‘The Astronaut’ より(英語意訳:うみ)
"ウチューヒコーシは僕なんだけどな"


第3話 君と一緒に


 今、道に迷っているのも計画外の出来事ではあった。新しいクロスワードを買いに、市街地にある駅前の売店まで行こうと言い出したのはヴィクトリアだった。
 クロスワードは、ジテンシャほどすぐには慣れることができなかった。
「ジンは知らない言葉がいっぱいあるでしょ?だからこれをやったら、勉強になるんじゃないかな」
そんな彼女の提案で始めたクロスワードだったが、ヴィクトリアとのジテンシャの練習以外ほとんどの時間を費やしても一向に進まず、ヴィクトリアはそんなジンを見ておかしそうに笑った。
「Aから始まる4文字は何がありますか?」
「りんご!」
「それは5文字です」
ヴィクトリアはむっとして、ジンの手元にぐいと顔を近づけた。
「見せて。カギには何て書いてあるの?それ読まなきゃできないよ」
「カギ?」
ジンが何を言っているのかと首を傾げると、ヴィクトリアはクロスワードの表の傍にある文字列を指差した。
「あ、これを読むのですか」
ヴィクトリアは、信じられないという表情で尋ねた。
「もしかして、ずっと見ないでやってたの?」
ジンが頷いた途端、ヴィクトリアは吹き出した。今度はジンが膨れる番だった。
「ジンったら、変なの!そうやって解いてたら一生かかっちゃうよ!」
 しかし、そのおかげで解くスピードはずっと速くなり、最後の1ページを終えたのは昨日の夜遅くのことだった。
 次の日の朝、起きてきたヴィクトリアに向かって、ジンは誇らしげに報告した。
「見てください。ついに僕はやり遂げました」
ところが次の瞬間、ジンは驚いた表情でヴィクトリアを見下ろしていた。不意にヴィクトリアが抱きついてきたからだった。
「ええと」
身動きが取れなくなったジンは、棒立ちになったまま考えた。これはこの星の挨拶だろうか。それともクロスワードの完成を祝う儀式だろうか。ヴィクトリアはしばらくジンの服に顔を埋めていたが、ぽつりと言った。
「…夢だったの」
「夢?」
ヴィクトリアが顔を上げた。ジンを見上げるその目が、心なしか赤く腫れていた。ジンが口を開くより前に、ヴィクトリアは言った。
「今日買いに行こうよ、新しいクロスワード。ジンはまだ街に行ったことないでしょ?私が案内してあげる」
彼女は無理やり笑顔を作っているようだった。
「それに、買うのはもっと難しいのにしよう。ほら、今度こそ一生かかっちゃうくらい」

 そう言っていたのに。彼女は今、いったいどこに行ってしまったんだろう。
「一生なんて…」
ジンは呟いた。僕はもうすぐ旅立つというのに。
 彼女と会ったその翌日にジテンシャの練習を始めた。確かクロスワードをもらったのもその日のはずだ。3日ほどクロスワードに費やしたから今日はちょうど…5日目。
「あ」
突然立ち止まったジンを、後ろを歩いていた人が迷惑そうに抜かしていった。今日はこの星に来て5日目。ウットの修理が終わるはずの日は、他でもなく今日だった。ジンは慌てて空を見上げた。晴れた空にはまだ何の合図も見えなかったが、それでも安心はできなかった。
(とにかく、一度確認しに行った方が良さそうだ)
どちらに向かえばいいのか分からないまま、ジンは歩調を速めた。向こうから走って来た人とぶつかったが気にもとめなかった。ここからあの窪地までどのくらいかかるのだろう。出発の日を忘れていたなんて。
(僕としたことが、うっかりしていた)
こうしているうちにウットが飛び立ってしまったら大変なことになる。向こうから歩いてきた人がまた、ジンにぶつかりながらすり抜けていった。
 歩いている間も、ヴィクトリアのことを考えないわけではなかった。今朝の彼女はどこか様子が変だった。彼女が一生懸命明るく振る舞おうとすればするほど、胸が苦しくなった。彼女は何か悪い夢を見たようだったが、尋ねても黙って首を横に振るだけだった。
 その時ふと、視界の端を何かがかすめ、ジンは思わず足を止めた。
(なんだろう?)
引き返して見てみると、丸くて白い帽子と大きくて白い体、前にヴィクトリアが教えてくれたウチューヒコーシだった。
 ジンは首を傾げながら、その人の前に立った。この人は何だろう。なんでこんなところにいるんだろう。ウチューヒコーシはじっと佇んでいた。ヘルメットの奥を覗き込んだがよく見えなかった。おかしいな、ウチューヒコーシは僕なんだけどな。
「失礼ですが、あなたは何者ですか」
少し待ってみたが、返事はなかった。ジンは仕方なくもう一度口を開いた。
「ウチューヒコーシなら、この僕…」
「ジンったら!」
自分の名前を呼ぶ声に驚いて振り向いた。ヴィクトリアだった。
「勝手にどこかに行っちゃだめ。いなくなって心配したんだから」
そう言って駆け寄ってきた彼女の手には、ちゃんと、新しいクロスワードの冊子が握られていた。
「このまま夜になっちゃったらどうしようかと思ったじゃない!」
 思えばそうだった。この星には夜があった。太陽エネルギーがなくなる時間。5日ほどで修理が完了するだろうという見通しが間違っていたことには、ここに来た最初の夜に気がつくべきだった。彼女と出会ったあの夜に。
 「帰ろう、ジン」
ヴィクトリアに手を取られながら、ジンは空を見上げた。晴れた空にはまだ何の合図もなかった。ジンはヴィクトリアの顔を覗き込むようにして、こう言った。
「僕はまだここにいることになったようです」
なぜだかきちんと伝えたくて、ジンは繰り返した。
「僕は、君と一緒にいます」
「ジンったら、急にどうしたの?」
ヴィクトリアが呆れたように笑った。ようやく見せたいつも通りの笑顔だった。
「そんなの当たり前でしょ」
握り返したその小さな手が温かかった。


つづく


※この物語は、진(Jin)さんの ’The Astronaut’ のMVMV Shoot Sketch歌詞およびインタビューなどから着想を得たものであり、実在の人物・団体・事件とは一切関係がありません。


〈ゆいのひとこと〉
MVの中でジン(役名)が、街を歩いていると宇宙飛行士の格好をしている人と出会うシーンがあります。
ジンの服装がスーツであることから、宇宙船に急いで戻ろうとしているところだと捉えるのが普通のはずです(花様年華で培った考察力←?) 。

ただ、地球に来たばかりで迷子になってしまったジンが、女の子に回収されるなんてことがあったら可愛いだろうなーと思ったんですよね…。それで書いてみたら、こんなお話になりました。

第4話はまた自転車の練習に戻ります。
と思ったら、おや?雨が降ってきてしまいました…