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今日(正確には昨日)、僕の大切なペットであるゴエモンが永眠した。

いつものように霧吹きで水をかけようと思ったら、明らかにいつもとは違う体勢だった。

いつもは後ろ足を折りたたんで、前足でそのぷよぷよの身体を支えながら、ちょこんと座っている。

目が合うと、なんとなくうれしそうな表情で「おはよう」と挨拶を交わす。

それが日課だ。

でも、今日はいつもなら折りたたまれていた後ろ足が開いたままで、ぐでんと横たわっていた。

目は閉じられて、気持ちよさそうにも眠っているようにも見える。

一目で、もう動くことがないのがわかった。

あぁ、ついにか。

生き物を飼っていると決して避けては通れない”死”。

今は元気に見えても必ず”死”はやってくる。

“死”って遠い存在に思えるけど、本当は近くてすぐ真横にあるのかもしれない。

“死”があるから”生”は美しいとかいえるけど、今はそんなこといえない。

悔しい。

もう目が合うこともなければ、戯れ合うこともできない。

なんとなく最近、調子が悪いことは察していた。

脱皮に失敗して、皮が体の表面に残っていて、半目になってしまっていたり、動きが鈍かったり。

だから、昨日子どもたちが保育園から帰ってくるまでの短時間、少しだけ温浴をした。

ガサツだから温度とかもきちんと調べず、もしかしたら熱かったのかもしれない。

脱皮の皮が邪魔で目が開ききってなかったから、少しだけ脱皮を手伝ってあげた。

両手の上にちょこんと乗った感覚が忘れられない。

最期に、直に触れ合えてよかった。


でも、もっと向き合えていれば、別の道もあったのではないか、と後悔が残る。

もっと餌やりの頻度を管理していたら?

脱皮が失敗していることに気付いた時点で、対処法を調べていたら?

もっと水分が潤うような飼育環境にしていたら?


後悔は尽きない。

自分がいかにゴエモンに対して向き合えていなかったかと思い知らされる。

でも後悔しても、もう遅い。

ゴエモンはここにはいない。

彼は1人で逝ってしまった。


子どもたちがテレビを見ている間、そっとゴエモンをケージから出し、家の裏に埋めた。

子どもたちに現実を伝えたくなかったからだ。

手に持った感触は柔らかく、とても心穏やかな顔をしている。

土に埋めた後、部屋に戻り、空っぽになったケージを見つめる。

不思議な感じだ。

いつもなら目が合うはずの彼がもういない。

長女が僕を探しに部屋に入ってきた。

もうすぐ3歳になる長女が聞く。

「とーと、ゴエモンは?どこにいったのー?」

「ゴエモンはな、お空に行ってん。もう逢われへんねん。」

「そっか。」

と理解したのかわからない長女をよそに、思わず涙が込み上げてきた。

というか文章を打っている今も目がうるうるしている。

2歳児に”死”の概念を伝えるのは難しい。

でも何か少しでも伝わったのだと思う。


Googleでカエルの死因を調べたら、いろいろな内容が出てきた。

でも、全て出てくるのはYahoo!知恵袋ばかりだ。

検索上位には、爬虫類サイトなんかはまったく出てこない。

なぜなら、爬虫類のサイトは収益化が難しいからだ。

そんな理由がわかってしまうのも、Web業界にいる所以である。

そんなことはどうでもいい。


今はとにかく気持ちを落ち着けることに集中しようと思う。

得意である、良い方面からの解釈ができない・・・


ちなみに、Yahoo!知恵袋が検索上位ということは、カエルを飼っているみんなは相談窓口に困っているのではないかと思った。

そんなコミュニティが作れたら素敵だなと思った。


ゴエモン、ありがとう☺

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