『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』

『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』は、観る前に“予習”が必要な映画では全くない。6期のスピンオフという建付けだから、例えば水木がちらりと出てくる1話あたりを観る、というくらいならまだしも、アニメ版『墓場鬼太郎』を事前に観るのはむしろ誤解を生みそうな気さえする。それなら原作の1話を読むとか。

『ゲゲゲの謎』の面白さは、そういう“予習”の有無とかとは離れたところに存在しているし、だからこそこれだけヒットしているのだと思う。昭和31年の空気感とないまぜになった惨劇と友情と因縁を語る、その語り口の入念さ、「丁寧な仕事はきちんと伝わる」ことをこのヒットが証明していると感じられた。

物語やビジュアルにおける異様さや残酷さを、裏側下側から支えているのは、その入念さ、ていねいさであって、それは村の風景の描写のされ方や、音楽の用いられ方などを通して、映画の隅々にまで行き渡っている。「映画として高いところで成立させたい」という執念を強く感じられて、それが素晴しい。

そういう映画がきちんとヒットすることが、まるでわがことのように嬉しくなってしまう。私にとっての『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』はそういう映画でした。

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