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High School 徒然草|#エッセイ

今日は、高校時代のことについて、そこはかとなく書きつくってみたい。


🌿環境


高校の思い出は、楽しいことばかりだ。自分と似た感覚の先生や生徒が多かったせいだと思う。“刺激”というよりは、“共感”する世界だった。


高校は山の上にあり、最寄り駅から20分ほどかけて坂道を登った。途中の石塀には、降雪時に滑らないように手すりが付けられていた。


校門をくぐってもグラウンドがあるだけで、校舎まではまた坂。おかげで、遅刻ぎりぎりになったら、心臓が破れるほど駆け上がらないといけなかった。(結構そんなことがあった)


体育館の天井は高く、何処から入り込むのか、いつも鳩が何羽か飛び交っていた。




🌿学び


1.校訓

まず、印象深いのが校訓。校訓に惹かれたから、高校を選んだと言っても過言ではない。


【校訓】

一、勤勉であれ
一、健全であれ
一、優雅であれ

高校の校訓


男子も半数いる学校に、「優雅であれ」の文言を採用したセンスにしびれた。


当時はまだ「熱血指導」がメインストリーム。敢えて「優雅であれ」と感性に訴える校訓は女子校以外稀で、貴重だった。校訓は事あるごとに口にするものなので、自己暗示にかける意味でも良かった。


2.自然ナチュラルでいること


保健体育の女の先生の話。


おぼろげな記憶だが、保健体育は男女別に受けていたと思う。


女子を受け持つ40代くらいの先生が、皆を集合させて、私達は体育座りになった。先生は訓話を始めた。


「あなた達はね、みんなそのままで綺麗なの。お化粧しないほうが、素敵なんだよ。

これから大人になったら、嫌でも化粧をしないといけない日が来るから、今のそのままの綺麗さを、大切にしてね


素朴な高校だったので、化粧をしているような生徒はいなかったし、校外でも自分自身まったく素顔のまま出歩いていたが、この話は強烈に記憶に刻まれた。


顔だけでなく、心のあり方まで示唆されたような気がした。


▶高校時代育んだ「女子力」

↓ ↓ ↓


3.話の聴き方


音楽の授業のときは、無法地帯だった。誰も先生の話を聞いていなくて、大声で騒ぐのだ。主要科目ではないことが原因かもしれないが、非道ひどかった。


私は静かに音楽が聴きたかった。
バリトンの声の、髭面ひげづらの先生を尊敬していたので、かなしく思っていた。


ある時、堪りかねた面持ちで・・それでも落ち着きのあるよく響く声で、先生が皆に言った。


「人の話は最後まで聞きなさい。

初めは“つまらない“と思っていても、その人のことが嫌いであっても、人は必ず一度は価値のあることを言う。

その一瞬を逃さないためにも、よく話を聞くようにしなさい」


私は話を聞きながら凝視していた。
(―――先生・・・)

先生は今、本気だ。


この話こそ、「価値のある一瞬」だと思った。


今でも、その時の先生の顔や姿は忘れられない。



オペラコンサートにも
出演される先生。




🌿そして、久々の再会


高校時代のノスタルジアに浸ってここまで書いてきたのは、明日、久々に同窓の人たちと再会するので心が沸き立っているせいだ。
とくに2年生の時のクラスメイトは面白かった😊


▶当時の弄られエピソード

↓ ↓ ↓


リーダー格の男子が、私にどちらの話が面白いかという競争を仕掛けてきました。(どういう競争?)


彼はクラスで目立っていたので、私には構いそうにないのに、席が近くなってから何故か気が合って、色んな会話を楽しみました。


観客がいるわけではないので面白さの決着がつかず、その日は終わったかと思ったのですが、帰り道になって。


何かいつもより重いな…

「人生を遊ぶ?遊ばない?」


・・予想外の重いものが入ってました。


このエピソードの彼が、東京栄転になって地元神戸へ帰って来るので、お祝い会になりそう。


大きな同窓会には出席しなかったので、楽しみで仕方ない🎶


・・・なんの話ですか?



🌟Iam a little noter.🌟



 🤍

 


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