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エッセイ:『キッズ・リターン』について

ㅤ数年振りに『キッズ・リターン』を見返したけれど、自分でも驚く程乗れなかった。初見時のあの情動は一体何だったのか。
ㅤ学校から、ヤクザから、ボクシングからの逸脱。逸脱することでしか確立しえない自己、みたいなものにもう飽きちゃった。
ㅤ一人で逸脱するならまだしも、彼らは揃って誰かを共犯者として逸脱する。もううんざりなんだな、これ。
ㅤマサルがボクシングのスパーリング相手にシンジを指名するシーンからわかるように、彼らは自己の確立の為なら平気で人を利用する。
ㅤ相対評価でしかものを見れないとこうなっちゃうんだな。
ㅤレースで先頭を前後に並んで走る二台の車があるとしよう。後ろを走る車は、今か今かと追い抜く機会を待ち焦がれている。
ㅤしかし、本来人生のレースにおいて見るべきは車を運転するその人であって、順位そのものではないでしょう。
ㅤ観客はそれではあまりに退屈だからと順位に金を賭け、それに答えるようにレーサーは車を走らせる。
ㅤ疲れちゃったな、こういうの。映画ですらもううんざり。映画ならそれらに抵抗することだって出来る筈なのに。やらない方がウケるか。
ㅤ結局、マイノリティ面したマジョリティの映画なんだな。そこに抵抗は見られない。99匹の羊が1匹の迷える羊を笑っている。

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