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ありのままの自分でいれない感覚について

最近、「本当の自分とは?」という問いがたくさん出てくるようになった。
コーチングのクライアント体験をしていても、この感覚が出てきて、言葉に出せないような胸の痛みみたいなものを味わっている。
今日はありのままになりたいけどなれない自分について、セルフコーチングしながら文章にしてみたいと思います。

自分にとってありのままとは

「ありのまま」とはどういった意味の言葉なのか。
辞書では調べていないが、おそらく一般的な意味としては変化していない元の状態とかそんな言葉だと思う。
私が思うありのままとは「感情をおもっきり出せている」感覚がとてもある。喜怒哀楽が素直に出せる、出していいと思える感覚がある。
自分の場合は、特に怒りの感情がほぼ皆無に近い。

怒り

「優しくていいね」「そんな穏やかになってみたい」みたいなことを言われたこともあるが、感情は自分の心が望んでいたり、吐き出したいことを感情として出してくれていると私は思う。その一つが皆無なのは自分にとってとても問題なことだが、なぜかは全くわからない。
イライラすることはたまにあるが、自分の中で「怒ってもしょうがない」と勝手に納得させて思いを消滅させている気がする。
最近イライラしたことは、東京にいく予定があったので夜行バスで行ったのだが、前方の席の人は一言もかけずにリクライニングを全部倒してきた。
元々そんなに広くないのに、おもっきり倒すとより狭くなる。
しかもよく見ると足を上にあげて、決して行儀がいいといえない状態だった。そんな気持ちも一瞬思っただけで、「まぁ、いいか」と思い、そのイライラは過ぎ去っていった。
過去に怒った経験を思い出してみると、高校生のとき当時付き合っていた彼女が大掃除の雑巾掛けをサボっているところを見つけた時に怒った。自分は付き合っている方が、自分だけしなくても周りの人がやってくれたらいいだろうという態度をとることが許せなかった。
ただ、その時も大声で怒るというより、「なんでそんなことしたん?周りの人が頑張って自分だけサボっていいと思っているの?」と問いただす感じで、怒りを爆発させるような怒りではなかった。(彼女も叱られ慣れていなかったせいか、泣いてしまってすぐに謝りました笑)
兄弟取っ組み合いの喧嘩はしたことないが、中学生のバスケ部の練習時間に取っ組み合いになった経験が爆発したことかもしれない。それも原因は覚えていないが、初めて目の前の人の胸ぐらを掴んで、押し倒すような行動を行った。思い出せば、感情が溢れたせいか怒りながら泣いていた。
ただ、それ以降は怒りを伝えたこともないし、爆発させたこともない。
私の感情はどこにいってしまったのか。
怒りを制御することで自分の都合のいいことが起こっている、起こしている気がする。

哀しみ

流石に泣くことはある。ただ人より多くはない気がする。
ただいつも泣くパターンはある気がするので整理のために書いてみる
①「君の膵臓を食べたい」のヒロインの女の子が不慮の殺人によって亡くなってしまったとき。主人公の男の子がヒロインの家にいって、「泣いてもいいですか」とヒロインの母親に聞いて、声を荒げて泣いているシーン。毎回泣く。なんて残酷な世界なんだ、高校生でそんな体験辛いなと思う。
②「五等分の花嫁」の映画のワンシーン。4女の女の子がいつも自分の気持ちを隠しながら生活していたが、主人公からの思いによって、初めて自分の気持ちを素直に出す瞬間。これも毎回泣く。抑えていた思いが自分にもあり、それを投影しているからこそ感情が揺れている気がする。
③小学校低学年くらいの時期に、庭で生まれたばかりの猫を見つけて育てようとしたことがある。体を拭いて、ミルクをあげたりしたけど、結局5日くらいで死んでしまった時は泣いた。多分、命って儚いものだとその時に思った気がする。または動物も生きていると思えた気がする。

喜び

喜びの感覚も割と持っている気がする。ただ、思いっきり喜べているかと言われると自信を持ってはいえないかもしれない
①パッと出てくるのが、テニスのコーチをしていて、生徒さんが明らかに上手になっていると感じたとき。もちろん、自分だけのおかげではないかもしれないが、上達の一助になれたと思うとめっちゃ嬉しい気持ちはある。今までできなかったことができるようになることのエネルギーは凄まじい。
②人の才能や価値観に気づいたとき。最近コーチングでその人の才能や価値観を一緒に見つけることをやっている。その中で、自分では気づいていないものに気づいてもらった時は、やっぱり嬉しい。それ自体は、本人も感じてはいるものの、自信がなかったりするので、コーチとして一緒に探し承認することで初めて納得したものになる。
③後は大学時代の遊びの企画。あまり自分では意識していなかったが、後輩に対しての面倒見がよく、ご飯や遊びの企画を考え誘うことが多かった。
そこで、後輩同士が仲良くなったり、新しい一面を知れるととっても嬉しかった。人間関係はどうなるかわからないが、カチっとハマれば今までにない相乗効果を発揮し未知の発見がある。それが面白いのかも。

楽しい

楽しいことは結構ある。けど最近おもっきりできていないかもしれないので、感覚を取り戻していきたい。
①ボーリングをしている時。学生時代はよくサークルメンバーと一緒にオールでボーリングを行った。大体9人〜12人くらいでチームを組んで総合点が高いチームが勝つというものだった。私は割と安定型だったので、平均的に高スコアを出してチームに貢献した。楽しい瞬間は、ストライクをとって楽しいを爆発させている時。少し騒がしい環境もあって、大声を出してもOKなのでストライクをとった時は「おっしゃ〜」と大声で叫ぶ。めちゃくちゃ非日常でよかった。
②麻雀している時。社会人になって本格的に始めたが、家に自動卓を買うくらいハマった。あの統計や効率だけでは制御できないゲーム性がとっても楽しい。何が起こるかわからないハラハラ感と、ヒリヒリ感が楽しいのだと思う。オールではしないが、時間が合えば友人と8時間くらいは平気でやっている(笑)

感情を整理してみて

自分で思ったより喜怒哀楽の表現はしていた。それでもありのままという言葉が胸につく感じがあまり晴れていない。引き続き自分と向き合っていきたい。
そもそも、なんでありのままになりたいかというと、「繋がりたい」と思う。
何か困ったとき、嬉しいとき、哀しいとき、怒ったとき、そんなどんな場面でも受け止めてくれる存在がほしいのかなと思う。受け止めてもらうからには、全部出さないと失礼?そんな考えもありそうだな。
まずは自分が人を本気で信頼する、そうすると自分の感情も出せそう。

皆さんは、自分の感情に素直になれていますか?
コーチングは感情にアクセスできる方法の一つだと思うので、気になる方は、下記のリンクから体験セッションにご応募ください‼️
ここまで読んでくれてありがとう‼️

アンケートリンク(コーチング申込フォーム)

https://docs.google.com/forms/d/1hCkd1rasWB1cs-1ZsO3HANTEB_wi4A3jceV6SY_50vk/edit



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