ホームレス大学生の手記①

ホームレスの誕生

 私の所属する寮は,地方出身者によって構成されるので,「寮生は年末年始に帰省する」が暗黙の了解となっている。ゆえに,この期間,寮は閉鎖する。しかし,私の主義に「手ぶらで帰郷する勿れ」というものがある。私が今の状態で帰省しても,何の手土産も無い。何も良い報告ができない。上京すると同時に父の部屋となった旧・私の部屋を,また占領することになり,父と母と高校2年生の妹をただただ圧迫してしまうだけである。こういった私の偏屈な思想が,私を一人前のホームレスへと育て上げたのだ。よほどのことが無い限り,実家には帰りたくない。決して家族仲が不穏なわけではない(妹とはマジで2015年から喋ってないが)。大体,仲の良い友達は上京してきているし,福岡に残った友達も,たまに東京に遊びに来るから,その都度,飲みに行ったりする。中学校の頃の仲の良い10人くらいのグループとは,月に一回は必ず,Zoomでオンライン飲み会をしている。というかそもそも,地元に友達が少ない。だから,上記の営みで,地元ネットワークの人付き合いは事足りている。東京に居て,地元の縁故に対して寂しさを感じることがまず無いし,恋しさを感じるとすれば,あのマジで臭い豚骨ラーメンと,方言を気兼ねなく使える環境なので,わざわざ帰る必要が無いのだ。福岡との往復だけで数万飛ぶし。
 余談だが,「地元でイケてなかった奴ほど,上京しがち」という理論を提唱している。これはまた別の機会に寄稿しよう。

ホームレス第Ⅰ期(2021.12.29~2022.1.9)

 この時期も寮が閉鎖したため,追い出された。まず向かったのは,中央大学商学部の同期の独居。同じく福岡から上京してきた奴で,友人の紹介で2021年10月頃に仲良くなった。浪人経験者,高校陸上部など,共通点が多かったが,それ以上に,初対面で一緒に歌舞伎町のおっパブで15万円を溶かした仲だから,もうそれは想像を絶する程のものすごい絆が育まれている。中大生の彼は,かの僻地キャンパスとして有名な「多摩キャン」に通っている。私は,京王線で明大前から京王多摩センターまで行き,そこからモノレールに乗って「大塚・帝京大学」駅まで向かった。ここが彼の最寄り駅である。この時期は,彼の家から新宿に出るだけで1000円かかっていた。遠すぎ。しかし,私は彼に命を救われているので,そんなことはどうでも良いのだ。ありがとう,マジで。文句の一つも言わず,年越しも泊めてくれて本当にありがとう。温かい年越しそばを振舞ってくれて,身に染みた。一緒に餃子を大量に作った。マジで良い奴。家にサーキュレーター置くくらいタバコめっちゃ吸うけど。年始に,タップルで捕まえた女の子を家に上げるって言い出した時は,さすがに出ていきました。あと,彼に「ラーメン二郎 八王子野猿街道2号店」を教えてもらって,一緒に食いに行った。つまり,私の二郎人生は彼から始まったと言っても過言ではない。漢字を日本に伝えた渡来人と同じくらい,感謝している。ただ,お前が伝来したもののうち,タップルに4000円課金したことだけはホンマに後悔してる。彼女持ちに勧めんなよ,そんなもん。罪悪感エグくて,「渋谷のMOJA行こう」言うて電話でアポ取り付けた女の子との約束,ドタ(前日)キャンしてしまった。
 まぁ,本当にお世話になった。お駄賃として,タバコ数箱を献上した。

 
 次は下高井戸に住む同級生の独居へ。高校1年生でクラスが同じ,大学も同じ。すなわち,浪人。常々思うが,浪人経験者ネットワークの繋がりの強固さは半端じゃない。「浪人」というだけで,簡単に同族意識が芽生えてしまう。共に受難の歴史を乗り越えてきた,ヘブライ民族のような強い結び付きだ。私のホームレス生活を語るうえで,彼の存在は欠かせない。本当にお世話になった。「マジで邪魔だから早よ出ていけ」とは口で言いながらも,彼が日本全国を飛び回ってゲットした地酒を,一緒にしっぽり呑んだりした。「逆の立場になって考えてみろ,お前は俺のこと家に上げないだろ」と垂れ流しつつも,鍋や,賄いで持ち帰ってきた滷肉飯を振る舞ってくれたりもした。義理と人情に堅い,良い奴だ。

 そうして,1/10の午前中に東京を発ち,福岡へ。その日のうちに成人式と中学校の同窓会を済ませた。この日が終わってから,「成人式・同窓会のクソな祝祭性」というテーマで,論稿を書き続けているので,いつか寄稿しようかとも思う。


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