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プノンペン観光

今日は、プノンペン観光。遅めに起きて10時に出発。まじ最初に、民主カンプチア(クメールルージュ)のキリングフィールドの行く。途中トゥクトゥクが給油すると言ってガソリンスタンドに入って行ったが、日本のタクシーと同じLPGを使っている。

スタンド

キリングフィールドとは?
1975年4月から1979年1月まで4年弱続いたポルポト政権。社会主義改革のもと、知識人はその家族も含め反革命分子として捕えられ、拷問の末に殺されました。その拷問や殺害が行われていた箇所はカンボジア国内にたくさんあり、それらの中で処刑を行う場所のことです。
このキリングフィールドは、S21(トゥールスレン)から毎日のように人が運ばれて来ていたそう。当時を、物語るものは遺骨しか残ってないが、話を聞くだけで身の毛のよだつような解説ばかり出てくる。カンボジアは上記ポルポト政権の影響で人口グラフにも歪さが出ているくらい影響がある。なんならポルポト政権が知識人を殺しすぎて、カンボジア国内に法曹がいなくなった。

慰霊碑 中に遺骨が入っている
確認したが写真OKだった
カンボジアでは、クメール・ルージュ時代にほとんどの法律家(裁判官、検察官、弁護士)が殺害され、法律およびその資料も廃棄された。カンボジアが近代国家として再生、発展していくためには、0に近い状態から民法や民事訴訟法などの基本法典を整備し、それらを運用する裁判官、弁護士などの法律家を育成することが不可欠であり、日本はこれらの法整備支援を行っている。

民事訴訟法は2007年7月から適用を開始しており、民法も2007年12月8日に公布され、2011年12月21日から適用が開始された。
Wikipediaより

興味のある方、クメール・ルージュかポルポトで調べてみてください。
その後トゥールスレン虐殺博物館に、行く。ここは、収容所あまりにも酷い話が続く。それを行なっていた看守たちは、10代前半から20代前半の若い人たちであったというのも驚き。このような状態にも、理由があります。詳しく知りたい方は、ポルポトのWikipediaの生涯を読んで見てください。

S21と呼ばれていた
学校をかいちく改築して収容所にしたもの

その後、カンボジア王族の王宮を歩く。豪華であると同時にクメール文化というインド系と仏教の混じったように感じる文化を感じる。王宮の中で、アイスを食べていたら、めちゃくちゃ賢い猫を見た。わざわざ私の方まで寄ってきて、顔を見てお座りをしてニャーと鳴く。うちの犬より賢い。けど、あげれません。

にゃー

見終わって、歩いてプノンペンのAEONまで行きました。

ここで、ケンタッキーを食べました。肉は同じケンタッキーでも日本の方がおいしいです。が、セットライスがついてくるなど、日頃食べるならこっちという評価です。

これだけ見たらケンタッキーとはわからない

AEONを出てまだ時間があるので、飽きるまでホテルのほうに向かって歩こうと思って歩いていたら1つ気づいたことがあった。信号に全く違和感を感じない。どうしてだろうと思って信号の裏を見ると、どうやら日本の支援品で、日本と全く同じものらしい。通りで。

歩いて公園でぶらぶらしていたら、1時間半経った。少しだけ、お腹の中にものが入りそうだったのでまた、丸亀製麺のプノンペン店に入り1番安いぶっかけうどんを単品で注文する。中を見渡すとみんな現地オリジナルの鍋うどんを食べている。昨日のナイトマーケットの時と飯鍋文化があるのかな、と思った。うどんを購入して20ドル払ったら、お釣りがドルとリエルの両方で帰ってきた。その時点で正確に自分がいくら使ったのかも計算できなくなった。

うどんを食べて、トゥクトゥク乗ってホテルへ戻る。寺院は行けていないが、行きたいところは大体行くことができた。明日はバスで1日道で少し早いから、そろそろ寝ようかと考えたときに、問題発生。それは明日の欄に書くことにします。おやすみなさい。

13日目終了

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