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【もわっとネタバレ】映画「ミッドサマー」における個人的メモ書き(無駄に長文)

映画「ミッドサマー」を観てきました。スゴイ映画でした。自分史上3本の指に入る映画ですが、何の3本の指なのかが自分でも判りません。とにかく噛んでも噛んでも味の消えないガムのように、そして噛めば噛むほど味が変わる特殊な映画です。YouTubeなどにアップされている断片的な映像などで確認し直したり、様々なブロガーさんたちの鋭敏な視点でのレビューなどを参考にしながら、自分の為の整理用のメモ書きを残して置こうと思い、書き始めた次第です。世間にあるそういうレビューと内容だだカブりしている箇所も多いですし、あまり目新しさはありませんが、自分の頭を整理するために書いたものを雑に公開してしまったんだなぁ、ということでお許し下さい。(noteには他にも沢山の方々が素晴らしいレビューをアップされているので、余計に情けないのですが)

【注意】ここから下は完全な「ネタバレ」とされる内容が多く含まれます。かつ、日本では少し遅れて公開されているディレクターズカットの内容にも触れています。他の優れた映画がしばしばそうであったように、この映画もまた、事前知識無しで観ることが最も効果的な映画体験を味わえると思います。なので、未鑑賞の方は以下の文章は読まずに、まずは映画館へ行くか、公開終了後はDVD/Blu-Rayやストリーミングなどで鑑賞して頂ければと思います。

ただ、この映画は全編通して鑑賞するのにかなり精神的なストレスが掛かる類の映画だと思います。一部描写には非常にショッキングなものもあります。なので、鑑賞は無理にはお勧めしません。私は観れたぞ、若しくは諸般の事情で観ることを避けられずに、幸か不幸か最後まで観てしまった、という方に当方の感想文を共有して頂ければ幸いです。









・最序盤に出てくるこの絵がストーリーのかなりの部分を語っているのは、公式レビューサイトも指摘している。見る時は左から右へ。

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・映画では登場人物、特に主人公側の名前には聖書に絡めた意味付けがなされていることが多い。まぁ、アメリカ人の名前は元を辿ればほとんどが聖書のどこかに繋がるのは当然といえば当然で、そこに意味を見出しすぎるのもどうかとは思ったけど、今回は主人公カップル二人の名前が個人的には特に意味ありげに感じました。

【主人公】
ダニー(Dani)=Daniel:ユダヤ教の預言者ダニエル
※絵画「ライオンの穴の中のダニエル」 ルーベンス作

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神に愛されたダニエルは友人たちにハメられてライオンの住む穴に落とされるが、神に守られて逆にダニエルを穴に落とした者たちがライオンの餌になる、というシーンを描いているという。
【主人公の彼氏】
クリスチャン=Christian=キリスト教徒
※主人公の名前が「ユダヤ教」由来で、その彼氏の名前が「キリスト教徒」という対比は象徴的かも。その後のクリスチャンの行動が、キリスト教徒達が北欧で布教の為に行った無礼三昧を暗喩している可能性も感じる。

・主人公ダニーの妹テリーから来ていた自殺を示唆するようなメール、日本字幕では「全て終わりだ」的に意訳されていたけど、原文としては"everything's black"と書いてあった。この「黒」とホルガに行ってから嫌というほど強調される「白」との対比に何か意味があるのかな。(まぁ、単純に「冬」と「夏(白夜)」の対比以上の意味はないのかもしれないけど)

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※上の話はただの無駄な深読みですが、この映画では「色」に様々な意味を持たせていると思しきシーンがあります。特に「黄色」はあちこちのシーンで効果的に使われているように感じました。

・クリスチャンはその友達たち(マークとジョシュ)から「ダニー、重すぎうざすぎ、もう別れろ」的なことを言われ、クリスチャン自身もかなり嫌気が差している風ですが、ダニーから電話が来ると無視できません。監督のアリ・アスターはインタビューで二人の関係を"Co-dependence"(共依存)と表現していました。家族(妹)に対する不安のせいで著しく情緒不安定なダニーがクリスチャンに一方的に依存しているように見えますが、クリスチャン自身もダニーに頼られることで自分が「彼女に頼られる強い男である」という自尊心を補強してもらっている、という意味で依存していると感じました。しかし、問題はダニーがクリスチャンへの依存を強く自覚し、それに負い目を感じている(ので、ダニーは自分が心理的パニックに陥るのを他人に晒してしまう事を極端に恐れている)のに対して、クリスチャンは自分がダニーに依存しているということに全く無自覚なことで、これがこの物語の大きいテーマとなって結末まで続いているように思います。

・ダニーが家族の心中を知り、パニックになっているのをクリスチャンが慰めている部屋の窓の両脇に飾ってある絵が何なのかも気になる。特に画面右側、暗くて解りにくいけど何かおどろおどろしい。左側も何か暗示的な構図(月が二つ?)

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・テリーの父母道連れガス自殺の後に、精神的に参って不眠になっているダニーの部屋に飾られている熊と王冠をかぶった少女の絵は実際にあるJohn Bauerさんという画家さんの"Stackars lilla bamse"(日本語で「可愛そうなくまさん」みたいな意味)という作品らしい。よくこんな絵があったなぁ。この絵を脚本書く前から知っていたのか、脚本書いてからこの絵を見つけたのか。

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・ダニーがクリスチャンとその友達3人と一緒に出かけたパーティーのシーンで、80年代のエレクトロのグループFreeezの大ヒット曲"I.O.U."が薄ーく流れているが、アレはやはり"I owe you"(私はあなたに世話になっています、あなたに負担をかけています)というダニーの心情の代弁なのかな。

・ペレがダニーに祭りの写真を見せる前にスケッチブックを後ろに隠すシーンがある。あのスケッチブックに描かれていたのは、ぱっと見、目の前のテーブルの上のデッサンのように見えるが、かの有名な画家、サルヴァトール・ダリっぽいうねうねしたテイストを感じる。考えすぎか。

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※それとは直接関係はないですが、この作品でビジュアルエフェクトを担当しているDaniel Magyerさんが本作で施したVFXの細かい作業の一端をYouTubeで公開していて、劇中の細かいところで周りの風景や物体がうねうねと動いたりしているのです。(観てる時はほとんど気づかなかったけど、スゴイ巧妙)

・飛行機でスウェーデンに到着し、車でヘルシングランドに向かう途中にカメラ視野がひっくり返るが、アレはこれから自分たちの価値観が転覆させられることを暗喩しているのか。

※あのシーンに道中出てくる横断幕についてナガさんという方のブログ "nagamovie"での素晴らしいレビュー(ナガさんのこのブログは他の作品のレビューも素晴らしいので、映画好きの方は必読です)で実はあの横断幕は「ようこそヘルシングランドへ」みたいな呑気なシロモノではなく、

「ヘルシングランドへの大量移民を許すな。今度の選挙はFRITT NORR(恐らく政党の名前)に投票してね」 

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というスウェーデンの極右政党の選挙キャンペーンの横断幕であること、そして実際に存在するスウェーデンの極右勢力はネオナチと思想的に近いことが解説されている。さらにナチス(というかゲルマン民族至上主義者)がその昔、本映画での重要アイテム「ルーン文字」を使っていた歴史についても併せて言及されている。これはスゴイ洞察だと思う。国内公開版の方ではカットされていたが、ディレクターズカットではジョシュがルーン文字の勉強の為にナチスが使った文字についての研究書を持っている、というシーンがあり、ナチスとホルガの共通点を示唆しているようだ。

ちなみに車の道中、アホのマーク(最終的に"Skin The Fool"される)が「ここの女の子きゃわいいね、何で?」みたいなことを言うと、ジョシュが「かつてバイキングが世界中からいい女をさらってきたんだ」的なことを答える、というシーンがあるが、ここで「バイキング」というまた一つ重要なキーワードが前フリ(サイモンの最期)として用意されている。

・序盤から主人公たちがドラッグを娯楽的に日常的に使っていると思しきシーンが複数ある。主人公たちが生きてきたアメリカの若者の日常、そして物語のメインの舞台である村、ホルガの日常とをつなぐ接点が「ドラッグ」にあるというのも一つのキーポイントかなと思う。

・ペレの親友であるイングマールの名前はやはりアリ・アスター監督が敬愛するイングマール・ベルイマン監督にちなんで付けられたのだろう、と町山智浩さんが仰っていた。

・サイモンとコリーが案内され「ラブストーリーだよ」と紹介されるタペストリーの連続絵が、もろにその後のクリスチャンの身に起こる出来事を全て示していたが、それは自分も観た瞬間に気づいた。「あ、これはこういう事が実際に起きるんだな」と。

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・序盤の山、アッテステュパン(崖落ち)のシーンで最初に落ちた女性は顔面が破壊されて即死する。後から落ちた男性は落ち損ねて、足が変な方向に折れて生き延びてしまった。そこででかいハンマーを持ってきた若人達が男性の顔面を思いっきりハンマーでぶっ潰す(しかも念押しで3回)。あれはきっと「即死できなかったことこそが不運で気の毒なこと」ということなのだろう。ちなみに3回目の顔面ぶっ潰しの瞬間は日本公開版では編集されて上手いこと見えなくされていたけど、現地公開版もしくはディレクターズカットでは3回目のハンマーがジャストミートするシーンもちゃんと映っていた。

※前作「へレディタリー 継承」でも"Decapitation"(斬首)が重要なキーになったり、どうもアリ・アスター監督は顔や頭を破壊したり、首飛ばしたりすることで人間という生き物から「表情」というものが完全に奪われることの恐怖を強調するのが好きなのかな、と思ってしまった。この作品でもエンドシーンで表情を奪われた人間(生贄たち)は最終的には儀式において意味づけされた「オブジェ」として機能している。何となくではありますが、映画「アナイアレイション 全滅領域」(監督:アレックス・ガーランド)の中に出てくる、身体が植物と融合してしまった死体とイメージがダブった。
(下記画像は映画「アナイアレイション 全滅領域」より)

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・崖落ちを眼の前で見せられたダニーは崖から落ちた二人を自分の両親のイメージとダブらせて、妹のテリーと両親が死んだ現場をフラッシュバックさせるシーンがあるが、その時の色使いを観て「エル・トポだっ!」と思った。アレハンドロ・ホドロフスキー監督の名作「エル・トポ」では序盤で岩場の多い荒野に映える鮮やかな赤い鮮血の色彩がとても印象的だったが、あのシーンでそれを瞬時に喚起されたからだ。後に町山智浩さんの解説を聴いたところ「エル・トポ」との関連は見当違いっぽいが、アリ・アスター監督は「テクニカラー」という昔の映画でよく使われていた鮮烈な色使いの撮影手法をイメージした画像作りを心がけていたそうだ。ここでも黄色と青色がビビッドに使われていますね。

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・ダニーが崖落ちを見せられてから、村を出て行きたいと主張するまでの間がちょっと時間が無駄に空いているように感じられてなんか不自然だなぁと思ったのだが、ディレクターズカットにはあの日の夜(かな?、時系列的には判然としない)に「川の儀式」があり、年端のいかない少年が川の女神の生贄として、川に沈められそうになるのをダニーが止めて(ダニーが止めろと叫んだ途端、周りの女性がみんなそれに呼応するように一斉に止めろと叫び始める、ここでも何か示唆してる感あり)、結果的に事なきを得る、というシーンがあった。

さらにその帰り道(かどうかも不明だけど)、ここを出ようと提案するダニーと、自分の卒論の為に留まりたいクリスチャンが口論となり、そこでダニーはクリスチャンに「帰りたけりゃ勝手に帰れ」的な事を言われる、というカップルとしては決定的な破局に繋がるシーンが続いていた。

翌朝ダニーは村を出ようとして、ペレに止められて結局留まる事になるが、クリスチャンの冷酷な言葉に傷つけられた事が引き金となり、皆に置き去りにされる悪夢を観る、もしそのような時系列だったとすれば何となく合点がいく。

・ペレが村を出て行こうとするダニーを引き留めるシーンで、ペレはダニーへの慰めのつもりか「自分も両親が火に包まれて死んだから、君の気持ちがわかる」と告白しているが、それはペレの両親が、最後の方のシーンでイングマールとウルフがしたように「志願」して「焼死」したという意味なのかな。

※ちなみにディレクターズカットには、例の「崖落ち」についてクリスチャンが村の女性にインタビューして「アレを今まで何回観たことがあるか」と尋ねると「年寄がそれなりの年齢になる度にやるから、何回も観てる」と答えるシーンが有る。ということはあのデカイお祭り自体は90年に1回かも知れないが、そこで執り行われる儀式それぞれ単体では割と日常的に行われていると解釈もできる。そうするとペレの両親が「志願」して「焼かれた」可能性も十分考えられる。

・ペレは他の男友達は都合の良い生贄くらいにしか思っていなかったかもしれないけど、ダニーに対しては確かに同情以上の感情を持ち、かつ自分のコミュニティに引き込むことこそが彼女を一番幸せにする事だと、ごく真面目に思っていたと思う。多くのカルトがそうだったように、その中にいる人達は本気で自分達以外の人を救おうと思っている事はあるみたいだ。

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・アホのマークがホルガの住民ウルフの先祖の神聖な木に立ちションしてウルフに激怒されるシーンは、日本の怪談なんかにも出てくる「その土地の古くからの因習を知らない都会の若者がタブーを犯して祟られる」という感じの流れの前振りっぽいなぁと思って見てたけど、まさかあんな事になるとはねぇ。物好きな方は公式の「観た人限定完全解説ページ」でも言及されているアイスランドの「ナブロック」(Nábrók)、もしくは「ネクロパンツ」ってのをググってみて下さい。エライもん見せられます。
(下記画像はマークの顔をした他の誰かさん)

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・ジョシュがクリスチャンに卒論のテーマがかぶった、というか自分のテーマをパクられた事で功を焦って、前もって禁じられたはずのホルガの聖典「ルビ・ラダー」の写真撮影をしてしまうシーン、後ろから誰か入ってきたと思ってジョシュが「ビクッ」として振り返りますが、その振り返りの際、カメラが右側に素早くパーンします。その時、ほんの一瞬、誰か映っています。恐らくジョシュを殴り殺した犯人です。コマ送りで観てもハッキリは見えませんが、何となくの造形から誰なのかはわかりますので、興味のある方は映像でご確認を。
(こんな感じです。何となくわかりますでしょ。)

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・村の偉い人が村人たちに「聖典が盗まれた」と話しをして、真っ先にいなくなったジョシュとマークが疑われました。そこでクリスチャンが「オレは何にも知りません。一切関わりはありません。」と自己の保身に必死で友人たちの擁護のかけらも見せないところに、ダニーが横でかなり「うわっ、こいつ引くわ」って眼で見ているシーンが割と好きです。

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・クリスチャンが村の女性の長(なのかな)シヴさんからマヤへの種付け許可(なんじゃそりゃ)を与えられるシーン、ディレクターズカットだとマヤはペレから写真を送られていて、クリスチャン達が村に来る前からマヤは既にクリスチャンを見初めていたことが明かされています。なのでかなり前から諸所仕込みはされていて、準備万端整えられていたということでしょう。日本の映画やドラマでも田舎の方でやたらとお見合いさせたがる縁結びおばちゃんみたいなキャラがいますが、今回のシヴさんはそんなキャラですかね(違)。

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・その一方、ダニーは村の女性達に誘われるまま、衣装も村の衣装に着替え、徐々に村に取り込まれていきます。メイ・クイーンを選ぶダンスマラソンに誘われたダニーの他、参加者の皆さん踊りの前にみんなが何か飲んでいますが、あれはやっぱり何かしらのドラッグ(多分幻覚剤系)でしょうね。

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※ダンスの後半、ダニーがホルガの言葉を喋れるようになるシーンがありますが、あれは個人的には「喋れるようになった」のではなく、ドラッグの効果によって「喋れるようになったような幻覚・幻聴を体験した」のだと解釈しています。飲み物に入っていたドラッグにより、傷ついていたダニーがコミュニティに受け入れられていることで感じていた幸福感・安心感が増幅され、そういう幻覚・幻聴を生んだのではないかと思います。これって多分カルトが相手を洗脳する際に使うテクニックに通ずるものなのではないかと。

・ダニーがダンスマラソンにどんどん勝ち残っていく際に、みんなが独特の手の振り方で祝福してくれるなか、クリスチャンがなんかよくわかんない態度で見ているシーン、こういうのを重ねていくことでどんどんダニーとクリスチャンの距離が離れていく(かつ、ダニーにとってクリスチャンが「よそ者」に見えてくる)っていう演出が見事だなぁと感心しました。

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・メイ・クイーンになったダニーは村人から全力で祝福され、何ならペレなんか思いっきり真正面からキスまでしちまうわけですが、そうやって村全体から完全にロックオンされてもなお、ダニーはクリスチャンの事を気にしていました。ホルガの人々に全面的に受け入れられ、クイーンとして自尊心を満たされても未だダニーが心からトラウマを払拭しきれていないと感じるシーンでした。
※これについて、ダニーがメイ・クイーンに選ばれて皆に担がれているシーンのバックの森林の風景の中にガス管を加えたダニーの妹、テリーの死に顔が埋め込まれていることに気がついた方がいらっしゃって、戦慄を覚えました。観てる時は自分は全く気づきませんでした。すげぇな、アリ・アスター。心霊写真じゃないんだから。
ここにもダニーの払拭できていないトラウマ残存の証跡が、と思うのは考えすぎでしょうかな。

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・ダニーがメイ・クイーンとしての儀式を執り行い、皆に歓待されている間にいろんなもの飲まされたり嗅がされたりしたクリスチャンは、シヴおばさんの世話焼き通りにマヤへの種付けを行うのですが、このシーンを「映画史上に残る異常なセックスシーン」と評する方が多いように思います。確かにこのシーンは自分も観てて身体が硬直し、強い心理的なストレスを自覚しました。

・儀式から戻ったダニーはその後、クリスチャンとマヤの行為を目撃してしまい、それによりダニーの情緒は崩壊し、絶叫号泣するわけですが、この絶叫号泣を周りの女性達は一緒になって真似をします。恐らくダニーはこのシーンによってクリスチャンとの破局の痛手だけでなく、今まで周りに対して隠し続けてきた家族の喪失への悲しみをも全て吐き出しいるように見えます。あれは心理学でいうところの「カタルシス(浄化)」でしょうし、しかも周りの女性はダニーと同じように絶叫号泣する、これも心理学でいうところの「ミラーリング」で、そうすることでダニーに「私達は貴方に共感しています」ということを強く印象づけようとしているようです。つまり、彼女らはダニーに最後に残されていた他者に対するバリア、友達も、恋人さえも解くことのできなかった精神的なバリヤを破壊しに来ているわけです。
で、それは見事に成功します。ダニー「完落ち」の瞬間です。

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※自分はこのシーンが実はこの映画で最も気味が悪く、禍々しいシーンに思えました。どこかの世界の「洗脳」成功の瞬間を見ている気持ちになったのです。

・種付け完了で喜ぶ村の女性たちから逃げるように真っ裸で部屋を出たクリスチャンは逃げ場を失い、何とか見つけた小屋に入り、そこで無残な姿にされているサイモンに出くわします。このサイモンの姿が"Blood Eagle"(血の鷲)という処刑法で、Wikipediaによればキリスト教化される前のスカンジナビア半島でバイキングによって行われていた(という説がある)ものだそうで、具体的な描写はここでは控えますが、相当残酷なものです。
(下記画像の段階では、なんか人が吊るされているな、程度なんですが)

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近接からその全体像をゆっくり見せて行くカメラワークにおいて、サイモンの肺がまだ動いていることがわかります。
生きとりますよ、皆さん、サイモンは。
パスカル・ロジェ監督の大傑作映画「マーターズ」での最終拷問にせまる残酷さです。
(下記画像は映画「マーターズ」(オリジナル版)より)

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・ラストシーン、メイ・クイーンとして完全にホルガの人々に取り込まれたダニーは、自分が最後の生贄に選んだクリスチャン(熊ちゃん)を含めた9人の生贄とともに炎に包まれる聖堂を村の人々と見つめます。
(下記画像は、おののく熊ちゃん。)

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(下記画像は"Skin The Fool"状態のアホのマーク。顔は使用済みなので藁詰めしております。)

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例によって村の人々が生贄志願者(イングマールとウルフ)と感情を共有しているかのように苦悶・絶叫する中(イングマールとウルフ、「恐れや痛みを感じないよ」とか言われながら偉い人からドラッグ的なシロップを与えられるものの、イングマールビビりまくり、ウルフはウルフで身体に炎が移って大絶叫。薬全然効いてないじゃん。)、ダニーはやがてその炎を見ながらゆっくり微笑み、ブラックアウト。
本編が終わります。

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・エンドロールで流れるのはディスコヒットとして名高いボーイズ・タウン・ギャングの「君の瞳に恋してる(Can't Take My Eyes Off Of You)」のオリジナルバージョンを歌っていたFrankie Valli & The Four Seasonsのリードシンガー、Frankie Valliが1965年にリリースしたシングル "The Sun Ain't Gonna Shine (Anymore)"でした。この曲は当時Billboard Hot 100で最高位128位という、当時の彼らの人気からすれば明らかに「ハズレ曲」ですが、その後、The Walker BrothersやCherがカバーし、ヒットさせています。

曲のタイトルは "The Sun Ain't Gonna Shine Anymore"=「太陽はもう輝くことはない」ですが、歌詞を見ると、さらに月ももう空に昇ることはなくなっていて、その後に"When You're Without Love"(「君が(ぼくの)愛を失ったら」)とあり、曲の内容としてはオーソドックスなラブソングのように感じます。(歌詞の全編はこの辺をご確認頂ければと)
本作でのこの曲の意味に関しても皆さん様々な解釈をなさっていて楽しい限りなのですが、自分的にはサビの最後の一節、

"Tears are always clouding your eyes, when you're without love"

の部分、特に後半部分の解釈がキーじゃないかと思っています。ここで言う"you"と"love"を、さらにこの曲のCメロでだけ出てくる一人称の"I"("I need you, baby. I can't go on")、この3つをこの映画"Midsommar"においてどう当てはめるかによって見える世界がだいぶ変わってくると思っています。"I"がダニーなら、クリスチャンに依存しきっていた頃のダニーの心情と重なります。"I"がクリスチャンなら、ダニーに見放された事への混乱と後悔を指しているのかもしれません。ん?でもそれだと"You"がダニーになるけど、クリスチャンの「愛」を完全に失って、むしろ視界良好だな。あ、そういうクリスチャンの勝手な傲慢さまで表しているのか。流石に深読みしすぎか。

・この話をダニーにとっての「(様々な呪縛からの)解放のストーリー」と解釈される方は多いです。自分もその観点は重要だと思いますが、単純に一筋縄では行かない話しだと思っています。

ホルガは決してダニーを必要としていたわけではなく、(クリスチャンを始め、生贄になった余所者たちも全員そうですが)共同体の維持のために利用したに過ぎません。彼らには個人の意志があるようでありません。あるのは「神・女神を恐れ崇める共同体としての意志」だけです。なので、共同体の意志に反するものは徹底的に排除します。村人達は自分では考えず、共同体の意志と慣習に従って生きていれば、悩み苦しむこともありません。ホルガにおいては共同体の維持こそが最優先概念で、共同体の外の存在は利用し、搾取し、排除する対象でしかありません。本記事の前の方で取り上げたナガさんのブログでの素晴らしい指摘で示されている通り、ホルガとナチス(というかゲルマン民族至上主義)の共通点は「多様性を拒絶した共同体が孕む暴力性・危険性」という部分だと思います。そしてそんな暴力性や危険性は実際の現在の社会にも、それもかなり我々の身近に萌芽し始めているのではないか、という危惧が頭をよぎります。

現代の世界では「民主主義」「資本主義」「世界三大宗教」といった色んな観点でのマジョリティが巨大な共同体を作り上げて、その中にさらに無数のマイノリティが隙間を探すようにしながら存在しているような感じがします。(世界的なベストセラーとなった本「サピエンス全史」の中で著者のユヴァル・ノア・ハラリさんはそれらマジョリティ的な要素は妄想というか共同幻想であり、人間はその共同幻想を共有できたからこそここまで繁栄した、というような主旨の事をおっしゃっていましたが、閑話休題。)
そんな現代において「正義」はマジョリティが握っています。なのでマジョリティが多様性を失った時、「正義」は簡単にマイノリティにとっての「悪」にすり替わりますが、マジョリティ側がそれに気づくチャンスを掴むのは難しいと思われます。

坂本龍一が映画「戦場のメリークリスマス」のサウンドトラックをリリースした際、時の天才コピーライター、仲畑貴志さんはこんなコピーを付けました。

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「異常も、日々続くと、正常になる」

「正常」と「異常」という言葉の相対性と危うさは、映画「戦場のメリークリスマス」から私が感じたテーマの一つでもあり、そこを見事に突いた名コピーだと思います。それは「正義」と「悪」についても同じかも知れません。何か軸を据えないと生きていくことすらできないのが人間、じゃあ、その軸に何を選ぶのか、それがたまたまマジョリティ側かマイノリティ側か、どちらか自分で選べるケースはまだしも、自分で選べないことも多い。さて、それをどうやって克服するの、と問われている気が自分はしました。

・ダニーにとってあのエンドシーンは「ハッピーエンドなのか」、それは当のダニーにしか決められない、当人以外の誰一人として断じることが難しいです。一方、ホルガは直感的に気味が悪い、にも関わらずあのエンドシーンに何某かの「爽快さ」を感じてしまった、ダニーが幸せならこれはこれでありじゃね?そんな風に感じた方も多いのではないのでしょうか。
アリ・アスター監督もYouTubeなどにアップされている様々なインタビューで"Catharsis"(先にも述べた「カタルシス」)という言葉をよく使っていましたが、皆さんにも生じたその「なんかヤバいとわかっていながら感じてしまうカタルシス」こそが、この映画で監督が伝えたかったことかもしれません。アリ・アスター監督が「エンディングでダニーは確かに苦しみから解放されたが、それは狂ってしまった人にしかできないやり方だ」的な事をどこかのインタビューで発言していた記事を見たような記憶があるのですが、ソースが思い出せません。ごめんなさい。
(以下動画は"Film at Lincoln Center"が公開しているアリ・アスター監督へのインタビュー動画(英語)です。エンディングシーンやディレクターズカットについて語っています。)

・TBS系列の土曜日の朝から昼にかけて放送されている情報バラエティ番組「王様のブランチ」の映画コーナーで、スウェーデン出身のLiLiCoさんがこの作品を紹介した際に「よくも我が故郷スウェーデンを舞台にこんな恐ろしい映画を作ってくれたなっ!」とジョーク混じりに怒ってみせたのですが、アリ・アスター監督の別のインタビュー動画を見ると、本作はスウェーデンの制作会社が「へレディタリー 継承」の脚本を気に入って「スウェーデンを舞台にしたフォーク(民族)・ホラーを作って欲しい」という依頼を受けたのがキッカケだったようです。
(以下動画は先に紹介した"Film at Lincoln Center"が公開しているアリ・アスター監督へのインタビュー動画の別バージョン(英語)です。冒頭でその経緯を語っています。)

「フォーク・ホラー」というとロビン・ハーディ監督の1973年の名作「ウィッカーマン」を思い起こす方もいらっしゃるかと思います。実際、本作との共通点(カルトっぽいコミュニティ、真っ裸、踊り、白い服、火炙り、など)も多いですよね。
LiLiCoさん、そういう事なんで、どうか監督を責めんとって下さい。
(下記画像は映画「ウィッカーマン」(オリジナル版)より)

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・ちなみに主人公がやばい連中に取り込まれて最後に微笑む、というシーケンスからロマン・ポランスキー監督の1968年のこれまた名作「ローズマリーの赤ちゃん」を想起した映画好きの方もいらっしゃると思います。自分もそうです。
(下記画像は映画「ローズマリーの赤ちゃん」より)

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こういう観る者の価値観をゆさぶってくる映画が、自分は好きです。

長々とお付き合い頂き、ありがとうございました。

【追記】

アリ・アスター監督と主演の二人、フローレンス・ピューとジャック・レイナーのインタビュー動画を見つけました。アリ・アスター監督の発言は他のインタビュー動画よりも砕けた、分かりやすい言葉で答えています。

興味深かったのは主演のお二人、今回の映画は撮影中も精神的に相当ヘビーだったらしく、演じる側としても鬱な気分との闘いだったようです。インタビュアーに「これから見る人に何か気持ち的にどういう準備をすべきかアドバイスはありますか」的な質問をされたダニー役のフローレンス・ピューさんが一言、

「ノー、席に座って、後は身を任すしかなし」

と断言してたのが面白かったです。

【追記終わり】

【追記2】

劇中序盤に檻に入った熊が現れます。

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この「檻に入った熊」をなんと本作を制作しているスタジオA24のオフィシャルストアがフィギュアにして売っとりました。しかもこんなTVCM風のプロモビデオまで作って。

プロモビデオ内には映画内の小ネタも散りばめられてくすぐって来ます。ちなみに2020年03月09時点で"SOLD OUT"でした。(もっとも、米国公開に合わせて発売されてたようで、2019年の9月には発売されていたみたいなので、日本で気づいた時にはもう遅いわけでしたが。)

【追記2終わり】

と、さらに長々とお付き合い頂き、重ねてありがとうございました。

P.S. 勢いで書いたあまり、誤字脱字、文章的におかしいところが酷く多かったので、ちょくちょく推敲・訂正(場合によっては追記)してます。悪しからずご了承ください。