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あのたび -出発前夜-

きっかけは『たびそら』だった。

この旅行記を読んでボクは一人旅に出た。今からちょうど20年前の話だ。

 『たびそら』の作者(現在は旅写真家)の三井さんは、仕事を辞め初めての海外旅行で10ヶ月かけてユーラシアを一周した。当時26歳。そんなことが可能なんだ、という驚き!そしてそれ以上に、沢木耕太郎や猿岩石のような特別な人でなくただの素人でもこんなことができるんだという事実!魅力的な写真の数々と徐々に洗練され読ませる力がある巧みな文章!その全てがボクの背中を押した。

 当時はまだスマートフォンなど存在せず携帯電話も普及していない。ネットというものが広まり始めたばかりの頃である。検索しても日本語の海外情報はほぼない。旅行ガイドブックに頼るしかない状況だった。
 会社を辞めてだらりと生きていたボクはアパートを引き払い、カバンに「地球の歩き方・東南アジア編」と「旅行人・メコンの国」を詰め、家財道具やゲーム・マンガを全部処分し100万円と寝袋とパスポートだけ持って家を出た。

 長い旅になるのか? どこまで行くのか? 日本へ戻ってくるのか? 何も決めていない。うしろめたいので親にも内緒だった。
 ただ、神戸から上海へ行く2泊3日の船・鑑真号/蘇州号というのがあると聞いた。片道2万円程度だった。今では飛行機の方が安いし速いからそんなものに乗る人はほとんどいないだろう。だけどその頃の旅人の感覚だと、逆にあっと言う間に到着してしまうほうがもったいない?!という気持ちが働いて船やバスという移動手段を選択している者が多かった。

 その船が出港するという前日、友人Kに「あそこに安い宿がある。泊まってみろよ」と言われた。その神戸駅近くの宿が、東南アジアで泊まったどこよりも最悪な部類だった。独房といってもよい。あとで考えるとそこは日雇い労働者が泊まるような所だったのだろう。
 古びた看板を頼りに入り口から入り狭い階段を昇ると、ひげのオヤジが小銭を勘定していた。
「空いてますか?」
「1800円」
「1100円と書いてありましたが」
「それはずっと住んでる人のなの」と頭ごなしに言われた。
 700円の差はでかい。しかし他に泊まるあてもなかったのでしぶしぶ払った。連れて行かれた個室は窓もなく1畳ほどのヤニ臭い場所にテレビと雑誌が転がっている程度。もちろんシャワーもないしトイレは汚い共同だ。かろうじて毛布はある。が湿っぽくて使う気もおきない。2月はまだ寒い。
「ここ」というとオヤジは去っていったが鍵もない。内側からかろうじて止められる針金ほどの留め金があるだけだ。
 鍵が無いことが不安で、荷物を置いて部屋を出ることができなかった。結局その日は夕食に出るのもあきらめて、ただひたすら朝になるのを願って震えながら眠っていた…

 行きたいところがあるわけではない
 見たいものがあるわけでもない
 食べたいものもやりたいこともない
 ただ、日本を抜け出してみたかった。一人で

そんな旅の最低のスタートであった。

旅行ルート

(つづく)


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