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【玉井詩織さんの舞台】熱海五郎一座「幕末ドラゴン」感想ノート②ラストシーンのその先へ(妄想込み)

ももいろクローバーZの玉井詩織さんが約1か月の長丁場出演した熱海五郎一座「幕末ドラゴン~クセ強オンナと時をかけない男たち~」は、東京喜劇と冠された喜劇である。前回①は、玉井さんが新橋演舞場に巻き起こした笑いについて書いた。そんな終始大爆笑の本作の中で、唯一、ラストシーンだけは不思議に静かな美しさをたたえて、感動的である。観るたびに、何か胸に迫るものがあった。なぜだろう。答え、玉井さんがめちゃくちゃ素敵だったから。という結論を、少々余計な妄想も織り交ぜて、極私的メモをだらだら書いてみる。

お龍はなぜ幕末に残ったか?

まずは、ちょっとした疑問から。実は、初日に観た時、ストーリー的にやや気になったことがあった。要するに、なぜお龍(檀れい)は幕末に残る選択をしたのか? なぜ土岐架(玉井詩織)はお龍を過去に残したまま、未来に帰ってしまったのか? このことの持つ意味は何だろう?と。

もちろん、劇中で答えは与えられてる。つまり、①お龍は歴史を変えないために幕末に残った。②惚れた龍馬に添い遂げるために残った。でもちょっと、心から納得できなかった。だって、過去に置いてけぼりって、なんかちょっと嫌かも。それで、あれこれ考えてしまったところはある。

2058年の世界では……

2回目の観劇の時、架とお龍のやり取りを見ていて、ふとこんなことを思った。もしかしてお龍がいた2058年の世界では、架はすでにこの世の人ではないのではないか?! というのは、お龍が2058年からタイムスリップしてきた架の娘であることが判明するシーンで、2人のこんなやり取りがあったから。

架「娘がいなくなって、私きっと悲しんでるわね」
お龍「母のことは、片時も忘れたことはおまへん」

この会話、ちょっと噛み合ってない気がする。架は「未来の自分がきっと悲しんでるのではないか」と言った。これに対する答えなら、普通、「母はきっとすごく悲しんでいると思う」と来るような気がする。でもここでお龍は「自分(お龍自身)は忘れていない」と言った。つまり、2058年の世界に、お龍の不在を悲しむ架の主語はないのでないか……?!

だから「タイムスリップしてきた1年間、母を忘れたことがない」のではなく、「母がいなくなって以来ずっと忘れたことがない」という意味だったんじゃないか?! であれば、架に知らせてはいけない。だから「忘れたことはない」と答えるしかなかったんじゃないか?! この辺り、お龍を演じる檀れいさんの秘密を抱えた少し溜めた言い回しや、架を演じる玉井詩織さんの潑剌として裏表のない快活な演技が、好対照で、絶妙である。

タイムスリップのもう一つの理由

そして、こう思った。もしかして、お龍が幕末に来たのは、もう一度、母・架に会うためだったのではないか?! 架に会って、架に一度諦めたミュージカルを演ってもらうことが、お龍がタイムスリップしてきたもう一つの理由だったんじゃないか?!

そして、架にとっても、大好きなミュージカルにもう一度チャレンジすることが、タイムスリップのもう一つの理由だったんじゃないか?! 本人たちも気づいていない無意識下の想いと、祖先である桂早之助(野添義弘)の無念と、ダブルで幕末に引き寄せられたのだとしたら?!

ラストシーン

そして、抱腹絶倒のこの演目で唯一、静寂に包まれるラストシーン。

架がタイムスリップから戻ってから2年後、2025年。そこではシルバーガイズのミュージカル「幕末に唄えば」が千秋楽を終えて、劇場の屋上で、皆が祝杯を上げている。架は父の劇団を存続させ、自らも看板女優となって出演している。捨てていた夢を実現させたのだ。

架は、身重となっている。当然、お腹の中の子はお龍だ。シルバーガイズの面々も、その子がお龍だと知っている。互いに千秋楽の感想を述べ合うメンバーたち。そして、これから産休に入ると言う架。すると、星空の中に、お龍が浮かび上がり、2人で「幕末に唄えば」のテーマをデュエットする。

♫生きづらい この世の中を
するりと抜けて 旅に出よう
気がつきゃ ここは夢の国
未来へ続く パラダイス

幕末のショーでは、シルバーガイズが歌っていたこの曲。2023年に戻ってきてから、おそらく架は何十回となく歌ったのだろう。その度に、お龍と龍馬への想いを胸に抱きながら。

架「公演が無事に成功したのは、龍馬さんがこの芝居のような壮絶な最期を遂げたからなんですよね」

その先の2058年へ

さて。たぶん、このラストシーンの2025年は、タイムスリップ前の2023年の線上にあった2025年とは違った2025年であるはず。つまり、この2025年の先にある2058年もまた、かつての2023年の線上にあっただろう2058年とは違っているはず。その先の2058年では、世界はきっと変わっているに違いない。架はいなくなることはないし、お龍が幕末に行くもう一つの理由も消え、幕末に行かないのだから取り残されることもない。架とお龍は、その先の未来も変えたのだ!

「過去は変えられん。じゃが、未来はどげんでもなるき」ーー龍馬さん言った通りじゃき。

2023年に戻る直前、先祖の早之助に、架は言った。「生きて下さい。生きて、好きな人との間に子供を作って下さい。それが私たち(架・お龍)に繋がります」と。今度は自分の番だ。これから生まれてくるお龍を想って、優しくお腹をなでる架。クセ強オンナは時を経て、慈愛に満ちた表情を浮かべるのだった……

玉井さんの慈母像

思うに、この芝居中、玉井さんは2度、母になる。1度目はギャグとして、2度目はマジの演技として。

1度目。お龍に25年後から来た娘だと告げられ、架が徐々に状況を把握していく、劇的でなかなか良いシーン。玉井さんの表情がみるみる変わっていくところがすごく良い。立ち姿も含めて、大きな舞台にふさわしい、どの席から見ても伝わる演技だと思った。

2度目であるラスト。玉井さんは、妊婦さんとなって登場する。玉井ファンが必ず衝撃に襲われるところ。それにしても、お龍の父親、つまり架の相手が誰か、シルバーガイズで散々ちゃかしてギャグにした後、ラストのラストでさらりと美しいシーンに仕立て上げて、相手問題を雲散霧消させる作り方に、なるほどと唸った。(作家さんのツイートについては別稿の予定)

衝撃を受けつつも、ここは呼吸を整え、玉井さんを刮目するべき見所である。落ち着いて観れるようになると、架=玉井さんのとても優しい顔、存在のすべてにとろけてしまうこと必至。美しすぎる慈母。ここにすべてが収斂し、昇華されると言っていい。全編笑いっぱなしの喜劇をこなした上で、最後にこの表情。次は玉井さんの悲劇が観てみたいと思う所以である。

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