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A 台風クラブ

自分の記憶がとても"不正確'である事が判明した2時間でした。
前回観たのは、おそらく20年間以上前で、自分が記憶していた「台風クラブ」とは、まったくの別モノでした。記憶なんてイイカゲンなものです。

近年の作品では、不幸や絶望、不安を描く場合に、何か特別な重い理由(精神疾患とかLGBTQとか、生い立ち、毒親など)を抱えていないと、絶望を語る資格がない。みたいな風潮、絶望自慢大会が開催されています。「俺は絶望だ!」「いやいや俺の方が絶望だ!」って。
その絶望は、たしかに存在するし、たしかに厳しい現実なのかもしれないけど、絶望不足により探して探して見つけた絶望は、とてもプライベートな絶望で、みんなに刺さる訳じゃない。みんなが共感できる訳じゃない。

久しぶりに観た「台風クラブ」は、全ての人に存在する、小さいけど、それなりの絶望を描いていた。
これを"多感で未熟な中学生"と簡単に説明するのではなく"誰しもが持つ、その人なりの絶望"と解釈すれば、40年以上前の映画を、40年以上前の絶望を、新鮮に観られた理由になるのだろうか?

何も説明しないシーンが続く。
丁寧に説明ばかりしている作品に汚染された自分が、少し苛立つ。全てを説明してくれる現代作品をだらーっと、何も動かさず観ている自分に慣れすぎてしまっていて、いちいち引っかかる演技と演出に、いつの間にか、感情が動いている自分に気付いた。

ずっと"解りやすく""届きやすく"で作ってきた。そんな自分に「解りにくい方が面白いだろ!」と、頭を叩かれた感じがした。
全てを説明&提示するから、理解して感動して下さい!ではなく、
こんな気持ち分かるでしょ?こんな時あったでしょ?と、押し付けられるのではなく、とても不親切に感じさせられた映画でした。

2023.10.13 ユーロスペース

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