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『ウルトラマンA』を観ました。(31話〜40話まで)

凡例のようなもの

 以下の感想は視聴当時(2020年8月30日〜2020年10月13日)にふせったー(指定した箇所を伏せ字にしてツイート出来るツール。追加で長文も付けることが出来る)を使用してツイートしたものです。省略した句読点の追加や、語句の統一程度の推敲はしましたが、ほぼそのまま掲載しています。

 今回は第31話から第40話までの分を扱いました。

 全体的にネタバレや、感想を読む方が視聴していることを前提とした内容です。まだ未視聴の方は、その点をご留意ください。

『ウルトラマンA』第31話を観ました。

 基地に許可なく子供が入ってくるという、『ウルトラマン』のホシノ少年以来の驚きがありました。

 基地に入ってきた女の子・ミヨちゃんは、トラックに紛れ込んで来たようですね。山中隊員の言う通り、ゲートのチェックの甘さは大問題だと思いますが、ミヨちゃんは何故北斗隊員のことを知っていたのでしょう。

 以前、雑誌の記事に超獣の写真を載せるために取材をして来た鮫島女史は、「雑誌で知った」と言っていましたが、TAC隊員は地球を守るヒーローとして取り上げられ、取材されることも多いのかも知れません。

 しかし、今回は子供です。子供が大人向けの雑誌を読むとはあまり思えません。けれども最近は北斗隊員とダン少年を中心とする子供達との絡みが多く、子供達が一方的に北斗隊員の名前を知っていることも少なくありません。今回も、ミヨちゃんがダン少年や、その周囲の子供達から北斗隊員の逸話や武勇伝を聞いて、「北斗隊員なら話を聞いてくれるだろう」「北斗隊員に会いたい!」と考えたのかも知れません。ミヨちゃんが、

「きっと助けてくれるって言ったわ」

と言っていたのは、話をしていた友達が、北斗隊員なら『きっと助けてくれる』と言った、ということでしょう。

 けれども今回、北斗隊員やウルトラマンエースが決定的な行動をした場面は、少なかったように思われます。北斗隊員は獏の銃殺を阻止出来ませんでしたし、超獣に対処したウルトラマンエースも、ウルトラサインに応じて超獣を宇宙へ投げ上げたりはしたものの、元の獏に戻したのはウルトラセブンでした。今までの戦歴を思い返せば、エース独力で獏を元に戻せそうですが、超獣を殺しそうになったので、見かねたセブンがそれを請け負ったという感じでしょうか。

 しかし北斗星司隊員は、今回のような、子供の一方的な願いや言動、果てには「北斗さんなんか大嫌い!」という嫌悪の声にも関わらず、愛想笑いひとつ浮かべず、真剣な表情で事件に取り組んでいますね。シリーズ最初に見せていたひょうきんさは既に影を潜めており、相手が子供であろうと大人であろうと関係無しに相手をしているのが分かります。

 獏の銃殺が決行される時のインタビューで、ミヨちゃんに取材したリポーターは、ミヨちゃんの「獏を銃殺するなんて可哀想よ」という主張に、「子供だから、獏が超獣になることが分からないのでしょう」というコメントをしました。子供だから、大人だからと、相手の年齢に応じて差別をするのが、当時の風潮なのでしょう。否、今でもそういうことはあるかも知れません。けれども北斗星司隊員は、相手が子供だろうと大人だろうと、真剣に相手をしてくれます。そういう点では子供達が信頼を寄せるのは当然であると考えます。

『ウルトラマンA』第32話を観ました。

 「本当です! 信じてください!!」

 北斗星司隊員は、子供達だけではなく、宇宙人にも有名なようですね。ホシノ・アキラくんことコオクスは、ダン少年に拾われたことで、TACの中でもウルトラマンエースの変身者である北斗星司隊員と知り合うことに成功してしまいました。

 明らかにTAC隊員の中でも北斗隊員だけが集中攻撃をされています。ウルトラマンエースの変身者だからとは言え、北斗隊員だけが子供達からお願いをされたり、異次元人や宇宙人から攻撃を受けるのは偏りがあるとしか思えません。

 コオクスに目を付けられた北斗隊員でしたが、北斗隊員自身もホシノ・アキラくんの正体に気付いていました。彼の近辺に居ると不思議な鐘の音がし、目眩に襲われるようなのです。どうしてもホシノくんの正体が気になる北斗隊員は、エースの名前でダン少年に置き手紙をします。

 ウルトラマンエースの名前で、しかもウルトラサイン付きの置き手紙を受け取ったダン少年は興奮した様子でした。何しろ、ウルトラ兄弟5番目の兄から「ウルトラ兄弟6番目の弟」という御墨付きを貰ったのです。

 確かにウルトラマンエースの変身者である北斗星司隊員とダン少年には、ウルトラの星が見えます。しかしダン少年は北斗星司隊員=ウルトラマンエースであるということを知らず、ただ共通してウルトラの星が見える人間だと思っているだけです。視聴者からしてみれば、北斗星司隊員がウルトラマンエースの名前を使って手紙を書いたことは周知の事実なのですが、ダン少年はそれを知らないのです。

 けれどもダン少年が「〝ウルトラの星〟が見える」という特別性を持っていることには変わりありません。今回はウルトラの星が見えるがために、それを活用してエースの危機を救いました。この功績だけでも、ダン少年はウルトラ兄弟に認められるべきだと思います。

『ウルトラマンA』第33話を観ました。

 久し振りにウルトラマンエースのギロチン技が炸裂しましたね!

 今回は街にやって来た気球に乗った子供達が、次々と瑞々しい魂を吸われて老人のようになってしまう話でした。しかしその騒動を助長する一端を担っていたのが、子供達の母親達だったのが、身につまされる思いがしました。

 母親達は〝気球に乗った子供は皆大人しくなる〟という点を歓迎しました。当時から子供達の教育の責任を負っていたのは母親でしたし、〝大人しくて手が掛からない〟というのは、子供の世話どころか家事にまで手を回さなければならない母親には魅力的だったと思います。北斗隊員の言う通り、子供は元気が有り余って弄んでいる「米粒超獣」です。そんな子供達に手を掛けなくて良くなれば、どんなに楽になるでしょう。北斗隊員すら、「ダンもバットバアロンの手に掛かったほうが良いんじゃないか?」と言う始末です。

 〝大人しくて手が掛からない〟子供が歓迎される風潮は身に覚えがあり、他人事のようには思えません。世の中には「自分の子供は〝大人しくて手が掛からない〟から、楽だった」と言う親は一定数居ます。けれどもそれが災いして、「失敗だった」と後悔する声もありました。

 今回の話も、その〝失敗〟に当たる部分は描かれていました。超獣に自らの瑞々しい魂を吸われてしまった子供達は、元気を失い、感情も自発的な意思も無くなってしまったようになりました。「遊びに行ってらっしゃい」と言わない限り勉強に没頭し、ぶん殴られても反発する気力を失ってしまい、竜隊長の言葉を借りれば、「老人のようになってしまった」のです。

 超獣バットバアロンはウルトラマンエースによって退治されました。けれども、これによって晒された〝大人しくて手が掛からない〟子供が賛美される風潮が無くなったわけではありません。子供を気球に乗せるためにやって来た母親達にとって、TACやウルトラマンエースは、自分の子供を利口で〝大人しくて手が掛からない〟ようにするための教育の邪魔をした存在でしょう。

 人間の醜い心を逆手に取って活動する遣り口は、超獣のそれに変わりありません。もしかすれば、冒頭でウルトラマンエースの仮面を被った子供が相手の母親に言い放った通り、母親こそが真の超獣とも限らないのです。せめて自分はそうならないように努力しなければならないと思います。

『ウルトラマンA』第34話を観ました。

 幼い子供に親の死を宣告することの難しさを感じました。

 今回は父親の死を姉によって隠されている少年ユウジが登場しました。ユウジの姉は父親の死を知られないために、友達を遠ざけて遊ばせないようにしたり、北斗隊員と関わらないようにさせたりしていました。

 ユウジの姉は、母親を既に亡くしていること、これ以上親の死というショックを与えまいと考えたことから、ユウジに「貝殻を千枚集めれば、お父さんが帰ってくる」と嘘を吐きました。けれども北斗隊員はその行動を「おセンチだ!」と見咎めます。ユウジに父親の死を伝えるか否かで、ふたりは対立するのです。

 この場合、ふたりのどちらが正しいかは分かりません。

 ニュースで災害に遭い、近親を亡くした子供の父親が取材されたことが記憶に残っているのですが、その際「子供には、もう少し大きくなってから説明しようと思います」と取材に答えていたと思います。これに限らず、「近親の死はもう少し大きくなってから」という考えを持つ親はそれなりに居る印象を受けます。『ウルトラ』シリーズでも、親が子供と一緒に怪獣に襲われるなどの絶体絶命の危機に陥った時、「遠くに行くんですよ」と説明する場面を良く見ます。

 ただ、わたしが小学生の頃は、ペットから祖父母のそれに至るまで、何らかの形で〝死〟を経験する子が多くなっていた印象があります。その頃には普通に〝死ぬ〟ということを、子供ながらに理解し始めていると考えます。

 ただ問題なのは、子供に対して隠し事をすることにより、それがバレたことによって「自分に対して隠し事をされた」ことによるショックを受けるかも知れないことだと思います。実際、ユウジに父親の死がバレたことによって、ユウジは深くショックを受けていました。

 ところで、ダン少年はもうすっかり北斗隊員の相棒になっていますね。北斗隊員が子供と関わる機会が増えたのもあり、同じ〝ウルトラの星〟が見える仲間として接しているようですね。北斗隊員は子供と関わる時、自分では同じ視点に合わせづらいと考えた時に、ダン少年でワンクッション設けることによって、働きかけやすくしているのだと思います。けれどもこの場合、北斗隊員がダン少年を利用するだけではなく、ダン少年が〝ウルトラ6番目の弟〟として認めてもらうという承認欲求を満たす手段にもなっている感じがします。ダン少年は家族は既にお姉さんしか残っていないのもあり、大人と関わる機会が家族であるお姉さんの他には北斗隊員くらいしかありません。北斗隊員とダン少年は、擬似的な親子関係を築いていることでしょう。
その点ではユウジくんも今回、北斗隊員と擬似的親子関係を結んだと言っても良いと思います。最後に北斗隊員に頬擦りされて、「北斗さんにも髭がある!」と言う場面は、幼い子供に父親がするそれと変わりないと考えます。

『ウルトラマンA』第35話を観ました。

 同級生のおねしょを貶める風潮に、時代の移り変わりを感じました。

 前回、「北斗隊員とダン少年は、擬似的な親子関係を築いている」だろうと推測しましたが、今回話中でダン少年は北斗隊員のことを「兄ちゃん」と呼んでいました。ダン少年自身は北斗隊員のことを自分の兄貴分と考えて接しているようですね。

 北斗隊員は実際、ウルトラマンエースと一体化した変身者です。ダン少年も北斗隊員から〝ウルトラ6番目の弟〟として認められています。けれどもダン少年が北斗隊員はウルトラマンエースの変身者であることを知らないはずです。

 ダン少年が北斗隊員のことを「兄ちゃん」と呼んでいるのは、ウルトラマンエースと関係無さそうです。

 ところで今回は、子供の寝小便・お漏らしのことが話題になりました。わたしが小学生の頃には話題になることが少なかったおねしょですが、それは『ウルトラマンA』の頃と住宅や住宅街の構造が違うものになっていることが挙げられるのではないかと考えます。

 わたしが小学生の頃には、地方の都市部には庭やそれに類似した土地を持つ住宅は少なくなっていました。土地の空いたスペースは家の脇の狭い箇所に限られており、物干しを設置するにも場所が限られています。そしてその土地の隣には、隣家や道路が迫っていることが大多数なのです。

 「プライバシー保護」の概念が流行りだしたのも、わたしが小学生の頃でした。その観点から、どの家も目隠しのために垣根を人の背よりも高く作るようになりました。共働きも増え、窃盗被害を自衛するために部屋干しをすることも多くなりました。洗濯物は他人、ましてや子供の目からは見えなくなったのです。

 現在、おねしょが子供達の間でどう扱われているかは知る由もありません。けれども、他人を貶める要素がひとつ減ったのを感じることが出来たのは、喜ばしいことだと思ってしまいます。

 また、今回はゾフィーが登場しました。ウルトラの星を見た北斗星司隊員に「弟よ」と呼びかけ、北斗星司隊員が「兄さん」と答えている様子からすると、北斗星司隊員とウルトラマンエースの意識は既にひとつになっているのでしょう。

 このウルトラマンエースと変身者の意識の統合は、南夕子隊員が月に帰ったことで促進されたのだと考えます。少なくともエースと兄弟達との遣り取りも、北斗星司隊員と南夕子隊員がウルトラマンエースに変身することで、はじめて行われるものでした。ウルトラマンエースと北斗隊員、南隊員は、直ぐ側に居る友人程度の距離感はあったはずです。

 けれども変身者がふたりの状況では、ウルトラマンエースが変身者達と憑依しきれていなかったのも事実です。このまま変身者とウルトラマンエースの意識の統合が発生すれば、変身者がふたり居ることで平時はウルトラマンエースがふたり居るという奇妙な状況が起きかねなかったのですから。しかしその状態から南夕子隊員が居なくなったことにより、その懸念材料も無くなり、ウルトラマンエースと変身者である北斗隊員との距離感が一気に縮まったのです。

 こうして北斗隊員=ウルトラマンエースになっていくわけですが、ひとつ、わたしの心配する問題があります。それは『帰ってきたウルトラマン』の時のように、ウルトラマン側の都合によって変身者の人間としての人生が絶たれる状況が発生する可能性があることです。

 郷秀樹は新ウルトラマンの「故郷であるウルトラの星を守るために帰還する」という都合によって、人間として流星2号を造り、レーサーとして活躍する夢を絶たれてしまいました。故郷には未だ母親も居たはずです。

 最早北斗隊員=ウルトラマンエースである以上、彼らは一蓮托生です。せめて双方が納得がいく形で結末を迎えて欲しいと考えてしまいます。

『ウルトラマンA』第36話を観ました。

 〝カミナリ族〟の登場に、いよいよ『ウルトラ』シリーズの社会の鏡としての姿を見ています。

 暴走族グループが登場しましたが、次回予告では〝カミナリ族〟と呼称していましたね。自由国民社『現代用語の基礎知識 昭和編』によると、1975年の欄に「街頭の生態など」を紹介するものとして「暴走族」を紹介しています。昭和30年代から既に「カミナリ族」の呼び方はあったようで、他にも「狂走族」「サーキット族」「ナナハン族」を紹介しています。現代では暴走族やそれに類似するものは聞かなくなりましたが、当時は非行の形としてこれが流行っていたのだと理解します。

 今回はこの暴走族が登場し、北斗隊員との交流を通して更生していくストーリーでした。前回は「俺も9歳までおねしょをしていた」と同じく9歳の少年に対して共感を示し、交流をしていましたが、今回も「俺にもああいう時期があった」と言っていました。

 北斗隊員の良いところは、闇雲に社会的規範を提示してそれを他者に強制するよりも、社会からはみ出したり、馴染めない者に対して共感し、相手に出来ることを教えて少しずつ導く方法を採るところだと考えます。「大人どころか、子供にすら白い目で見られる」と言ってバイクの暴走を止められない暴走族に対しては、「バイクに乗るなとは言わない」と言って妥協点を示し、マフラーを外して騒音を出さないようにすることを提案、子供達と交流する機会を用意するなど、更生の切っ掛けを用意しました。

 そうして暴走族にこだわる点に関しては、超獣に対して対処するのが仕事であるはずのTACがすべきことではないと、竜隊長からお叱りを受けてしまいました。しかしこの行動が巡り巡って超獣の謎を解明することや、子供達の救助に繋がったのだと思うと、北斗隊員の行動も無駄ではないと思います。北斗星司隊員は人々に対して正しい道を伝えることによって、人間の醜い心を利用する超獣の出現機会を、遠回しではありますが減らしているのでしょう。

 北斗隊員には、これからも様々な人々と交流し、ウルトラマンエースとしての道を観せて欲しいです。

『ウルトラマンA』第37話を観ました。

 『TACのテーマ』と『ウルトラマンエース』の歌が歌付きで使われていて、あまりの豪華さに興奮しました!!

 今回、北斗星司隊員の友人として加島が登場しました。

 加島は孤児でした。それを卑下してきた人間を見返すため、金と名誉を求めていました。それ故にマッハの壁を突破するスピードの自動車を作ることに情熱を傾けているのです。

 現に加島の技術は世界各国から注目されており、アメリカやヨーロッパから招聘の声が上がっていました。加島自身も「自分自身を売り込む」ために必死になっており、彼を心配する女性の言葉には耳を傾けない程となっていました。親友である北斗隊員が「あいつはもう結婚しているんです。高性能の車を造るという執念、いや、欲望とね」と称する程です。

 そこへ、超高速で運動するものを嫌悪する超獣マッハレスが登場しました。マッハレスから逃げる中、加島は自動車の設計図を取りに倒壊するビルに突入します。けれどもそこに駆けつけた真弓を、本当に自分の大切なひとだと認め、設計図を水路に投げ捨てて彼女と結婚することに決めるのでした。

 今回のストーリーは、新幹線や飛行機など、超高速で運動するものを開発し続ける人類文明への批判なのかなと思いました。超獣マッハレスの特徴が、超高速で運動するものが発する金属音を嫌悪するあたり、それを如実に示していると考えます。マッハレスは新幹線や飛行機が歴史に登場しない限り、自らも世界に姿を現さなかったでしょう。今回は文明社会の破壊者である超獣と逆にそれを支える人間を通して、社会を批判することがテーマになったのだと感じました。

 その点では、『ウルトラ』シリーズらしいストーリーだと思います。

『ウルトラマンA』第38話を観ました。

 クリスマス回、ウルトラの父復活回、南夕子再登場回と盛り沢山な内容でしたね!

 孤児院慰問のためにクリスマスプレゼントを買って歩く北斗隊員と梅津姉弟の様子から始まりました。現代と変わらないクリスマスの飾り付けとセールの様子に、社会の変わらなさを感じました。

 思えば、『ウルトラ』シリーズでクリスマスの様子が深く描かれたのは始めてのような気がします。『帰ってきたウルトラマン』でもクリスマスパーティーの様子が少しだけ紹介されましたが、坂田兄妹の死や新ウルトラマンの危機があった直後だったので、印象は薄かったと思います。

 サンタクロースやトナカイの牽く橇の登場に、クリスマスに対する一般的なイメージの定着を感じました。

 それに対する超獣の登場と、超獣を操る黒幕の存在感が凄まじかったですね! なまはげの登場と、「日本人が八百万の神々を祀らず、サンタクロースとか言う異教の神を祀るとは!」「早くサンタクロースを日本から追い出すのだ!」という強烈な言葉の連続に、思わず笑ってしまいました。仏教伝来の頃の日本人のような反応と、サンタクロースは神だったのか? というツッコミと、最早世界侵略という目的を外れた超獣操縦の思惑は、混沌以外の何物でも無いと思います。そこに宇宙からやって来た存在であるウルトラの父が光線を叩き込む様は、ツッコミや評論を許さないものだと考えます。

 更にストーリー終盤、TACから抜けて久しい南夕子隊員がサンタクロースことウルトラの父の操る橇に乗って登場した時はとても嬉しかったです。彼女の登場は、彼女が地上に贈ってくれた治癒の光よりも尊いものです。南夕子隊員がいてこそ、『ウルトラマンA』は輝くと思います。

『ウルトラマンA』第39話を観ました。

 久し振りに北斗星司隊員の「ウルトラタッチ!」が聴けて嬉しかったです。

 久し振りに、北斗隊員の口から「ウルトラタッチ!」が聴けました。ウルトラタッチの掛け声は、北斗星司隊員と南夕子隊員の合体変身が見られなくなって以来、聴ける機会がなくなっていましたが、再び聴けて嬉しいです。ふたりの合体変身でなくなっても、ふたつのウルトラリングをタッチして変身することには変わりないと思うので、これからも変身の度に「ウルトラタッチ!」の掛け声が聴ければ良いなと思います。

 ウルトラマンエースの敗退は衝撃的でした。まさか左胸を剣が貫通するとは思わず、衝撃的な敗北に声を挙げてしまいました。
それに対する、

「ひとりで生きるのは辛いことだ。だが挫けてはいけない。最後の最後まで頑張らねばならん」

というウルトラセブンの言葉も印象的です。

 新兵器シルバーシャークの強さは凄まじかったですね。ウルトラマンエースが苦戦、敗退したファイヤーモンスを一撃の元に、文字通り粉砕してしまいました。けれどもそれでエースの強さが霞むわけではありません。諸悪の根源であるファイヤー星人を滅ぼしたのは、他ならぬエースなのです。

 これからのエースの活躍に期待します。

『ウルトラマンA』第40話を観ました。

 当時のパンダ人気がよく分かる、社会史を反映したような回でしたね。

 今回はパンダの人気っぷりを反映したような回でした。

 現在では日本各地で繁殖が試みられ、日本出身のパンダも珍しくなくなりましたが、『ウルトラマンA』が放送された1972年はちょうど日中国交正常化がなされた頃でした。この回はそれに伴って上野動物園にやって来たパンダの人気によって作られた回だと言っても、過言ではなさそうです。

 登場したスチール星人は「人間があんなに好きなパンダを、俺の星に持って帰る」と宣言していますが、パンダの存在が世界中に広まっていくのは、日本にパンダが来たのと同じ1970年代頃です。いくら愛らしい存在だとは言え、世界中がパンダに狂っているとは思えません。今回のスチール星人の犯行は、1970年代の日本の瞬間的、局地的な人気の爆発を見た衝動的なものだと思わざるを得ません。

 ところで、スチール星人が中国から誘拐して来たパンダは、無事に中国へ戻れたでしょうか。宇宙人が誘拐して来たとは言え、国交が正常化したばかりの日本で国の宝であるパンダが見つかったとあれば、大騒動でしょう。これをきっかけに、地球規模ではありますが揉め事が勃発したなら、それこそ地球侵略の良い契機になりかねません。そうならないことを願っています。

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