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『ウルトラマンマックス』を観ました。(第21話〜第30話まで)

凡例のようなもの

 以下の感想は再視聴当時(2020年7月26日〜2020年6月29日、2020年9月20日〜2020年10月23日)にふせったー(指定した箇所を伏せ字にしてツイート出来るツール。追加で長文も付けることが出来る)を使用してツイートしたものです。省略した句読点の追加や、語句の統一程度の推敲はしましたが、ほぼそのまま掲載しています。

 今回は第21話から第30話までの分を扱いました。

 全体的にネタバレや、感想を読む方が視聴していることを前提とした内容です。まだ未視聴の方は、その点をご留意ください。

『ウルトラマンマックス』第21話を観ました。

 怒り狂うゴモラの描写が印象的でした。

 ゴモラ自体は『ウルトラマン』に登場して以来、何度も登場する人気怪獣です。初登場した『ウルトラマン』の『怪獣殿下』前後編では、南太平洋の島から眠ったまま移送されてきたゴモラが眠りから目覚め、大阪を舞台に大暴れするという内容でした。暴れたのも眠りを邪魔されたからだと思っています。

 しかし今回のゴモラは事情が違います。フリドニア共和国からGSTEという組織に提供された珍獣で、生物兵器として利用されるために日本に移送されてきたのです。GSTEのウノはゴモラを研究、実験し、巨大化させて暴れさせ、人類を攻撃しようとしていました。ウノは自分の思う「神の怒り」を実現させるため、あらゆる手を尽くしていたことでしょう。

 今回ミヤハラさんはそのウノの娘、犯罪加害者の家族として登場しました。ミヤハラさんら家族は、父親のウノが以上のような悪事に手を染めていることを知り、名字を変え、住所を変えて来ましたが、悪事の被害を受けた人々の怒りが次々にやって来たことを語っています。被害者の人々も犯罪者から守られるべき存在ではありますが、その悪事に加担していないはずの犯罪者の家族に攻撃が加えられるという問題が発生したのです。

 ミヤハラさんはウノに罪を償わせたいという強い思いを持っていました。それ以上に、被害者達も被害に遭ったことへの鬱憤を晴らしたかったし、ウノは「神の怒り」を巨大化させたゴモラに乗せて表現したかった。フリドニアから移送され、改造させられたゴモラは、これら全ての人々の感情の化身だと思います。巨大化したゴモラにやられ、瓦礫に埋まっていた通常の大きさのゴモラの存在が、その感情の大きさを示していると思います。

 GSTEとウノが日本でやったことの証拠は土に埋もれ、巨大ゴモラの死骸はフリドニアが所有権を主張したために回収されましたが、しかしヒジカタ隊長の言う通り、ミヤハラさんには強く生きて欲しいし、いつかGSTEの悪事を明らかにして欲しいですね。

『ウルトラマンマックス』第22話を観ました。

 「この世界、それはひとりの作家が夢見る緻密なシナリオだ」「お前達は与えられた役柄を演じ、与えられた台詞を喋っているチェスの駒に過ぎない」という台詞が衝撃的でした。

 あらすじにもある通り、莊子の古典「胡蝶の夢」に準拠したメタフィクション構造が特徴的な回でした。

 実相寺監督は古典を引用するのがお好きなのでしょうか。『ウルトラマンティガ』でも桜を題材に、それに関連する近代文学作品や古典を引用していますね。しかしそれに近寄り過ぎることも無く、どんどん発展させてストーリーを展開させていくのは素晴らしいです。「胡蝶の夢」の夢を材に採ることで、夢と現実、フィクションと現実の境目を曖昧にするのはとても面白かったです。

 また登場した怪獣・魔デウスも夢に関連するものという設定でした。人々の夢を吸収し、形が曖昧になって抽象化し、オブジェのようになった姿は、カイト隊員(?)の言っていた通り、感情が読み取りづらく、移入も出来ない、無機質なものとなりました。攻撃を加えてもスライムのように変形し、回避してしまう、弱点を感じさせない様子は怖かったです。まさか卵のように割れるとは思いませんでした。

 しかし怪獣の造形や特徴以上に衝撃的だったのは、いきなり登場人物が「この世界は脚本家が創り出したものだ」と断言してしまったことです。視聴者的には、『ウルトラマンマックス』を始めとするウルトラシリーズの世界は、別の宇宙・世界観の中で実際に起こっていることのように考えながら観ているのですが、いきなり知らないふりをしていた現実を叩きつけられて驚愕してしまいました。本末転倒というか……兎に角ショックでした。

 ですが今回の事件を解決した方法そのものが本末転倒なんですよね。世界を作り出す立場の脚本家が、登場人物のひとりとして怪獣に立ち向かい、逆に登場人物が脚本家を操って事件を終わらせるという、立場の逆転が起きてしまったのです。

 今回はデウス・エクス・マキナについても語られましたが、結局は脚本家の立場にある者が、主人公やヒーローを使ってどうとでも終わらせられることが示された、脚本家こそがデウス・エクス・マキナであった事案でした。衝撃的な内容だっただけに、逆にこうした内容でも話が成立する、所謂何でもありな『ウルトラマンマックス』の世界観を感じさせられました。

『ウルトラマンマックス』第23話を観ました。

 懐かしの3人組が勢揃いしましたね!

 二瓶正也さん演じるダテ博士が登場しました! まさかの『ウルトラマン』科学特捜隊の面々が勢揃いする機会に、感動してしまいました。

 トミオカ長官、ヨシナガ教授、そしてダテ博士の3人は、UDFの前身である防衛隊時代からの仲間なのですね。当時から気心の知れた仲なのでしょう。若い3人が揃って写った写真もありました。

 3人の写真は若い俳優さんが代わりに写っているとかではなく、本当に若い頃の黒部進さん、桜井浩子さん、二瓶正也さんが写っている写真が使われているのにびっくりしました。丁度今の3人が揃って写っている写真があったのですね。

 実戦に出る機会は無かったということでしたが、当時から既に怪獣災害への備えが進んでいたということでしょうか。それか宇宙から侵略宇宙人の来襲があったということでしょうか。きっと国家毎に編成されたものではなく、世界規模の組織だと思います。

 怪獣のベース・ポセイドンへの来襲に、トミオカ長官自ら出撃するという展開になり驚きました。長官レベルの人間が出撃するなんて、世界大戦でも殆ど無かったと思います。しかも、戦闘技術は実戦を行えるレベルを維持しています。現役時代も優れたパイロットだったということを示唆させるどころではなく、現在でもシュミレーターなどで練度を保っているのでしょう。『わたしはだぁれ?』の回で、ヒジカタ隊長が間違ってトミオカ長官達をダッシュマザーに乗せる展開がありましたが、皆があのように混乱していなければ普通に戦えていた気がします。

 最後にウルトラマンマックスが戦闘を終えて去る時のトミオカ長官の眼差しは、どことなく感慨深そうという印象を感じました。わたしは思わず、トミオカ長官が黒部進さんで、元はと言えば『ウルトラマン』でウルトラマンに変身するハヤタ隊員を演じられていたということを思い出さずにはいられません。トミオカ長官がマックスを見送る際に、
「ありがとう。ウルトラマン……マックス」
と、付け足したように「マックス」と言ったのも、それを感じさせてしまいます。

『ウルトラマンマックス』第24話を観ました。

 まさかの『ウルトラセブン』より『狙われた街』の続編に、興奮を抑えきれません!

 『狙われない街』は実相寺昭雄監督の手による、『ウルトラセブン』より『狙われた街』の正統な続編だと思います。『ウルトラマンマックス』という『ウルトラマン』や『ウルトラセブン』と似て非なる世界観でのストーリーではありますが、『ウルトラセブン』より『狙われた街』と同じく実相寺昭雄監督の手により、『狙われた街』の設定を踏まえて制作されています。舞台も同じ北川町であり、携帯電話を中心に以前に使用されたタバコもセルフオマージュとして見事に使用されています。

 登場するメトロン星人は、以前にウルトラセブンと対決し、その結果真っ二つにされたメトロン星人そのひとでした。『ウルトラセブン』の事件のその後、楢崎少年に保護されて傷を癒やしながらおよそ40年もの間、傷を癒やしながら隠れ住んで来たのでした。

 メトロン星人は嘗て、宇宙芥子の実を含有したタバコを使用して、人間の信頼関係を切り崩し、地球を侵略しようと試みました。その手口は地球人の習慣や信頼関係をよく研究し、利用した、今までの星人達の中でも巧妙なものだと思います。今度の携帯電話を使用したものも、それと同等だと考えます。今は既にスマートフォンが世界を席巻していますが、当時から携帯電話は大人どころか子供向けまで作られ、ひとりひとつずつ持つのが当たり前となりつつありました。

 私事ですが、通っていた学校が遠くにあるということで、中学校の頃から携帯電話を持つようになりました。携帯電話は家族の中では両親が持っていたのですが、そのせいか携帯電話は大人の象徴のように思えてなりませんでした。思ったより早くそれを持つことが出来て、とても嬉しかったのを覚えています。

 しかし、新しいツールが登場すると、それに対するマナー問題が続出するのも当然です。劇中の映像にもある通り、歩きながら携帯電話を操作することで事故を起こしたりする他、電車内ではずっと携帯電話を見続けるひとも多くいました。これらは携帯電話がスマートフォンにその座を譲り渡した今も起こり続けています。歩きながらスマートフォンを操作する行為は「歩きスマホ」と呼ばれ、自動車運転中のスマートフォン操作は刑罰化されました。

 他にも電車内でのメイクや、席を譲るか否かは、今でも時折論議になっている気がします。

 メトロン星人はこのような人間社会を見て、「もう何も狙わない」と言い、お土産を持って地球を去ることを宣言します。自分が何もしなくても、人間達は勝手に自滅する道を歩んでいると、彼は結論付けたのです。

 この話は『狙われない街』というサブタイトルが付いています。わたしは「宇宙人に〝狙われない街〟」、否「もう宇宙人にすら〝狙われない街〟」という意味だろうと考えています。40年余り隠れ住んでいた宇宙人は、この退化する街に見切りを付けて、故郷に帰ってしまったのです。狙う価値など有りはしないと、値踏みされたのです。

『ウルトラマンマックス』第25話を観ました。

 異星人・異種族同士の友情が描かれました!

 異星人・異種族同士の平和な交流は『ウルトラマン』の当時から取り上げられ続けている、『ウルトラ』シリーズにおける第一のテーマだと思います。『ウルトラマン』ではバルタン星人の地球移住問題から取り上げられ、『ウルトラセブン』ではウルトラセブンことモロボシ・ダンとユリ・アンヌの種族を越えた恋愛に発展しました。

 『ウルトラマン』でバルタン星人が地球に移住したいと希望した時、ハヤタ隊員とバルタン星人の代表の間で交渉が持たれ、ハヤタ隊員から提案が出されます。「君達(バルタン星人)が地球の風俗に馴染むなら」良いだろうというものです。ハヤタ隊員はこの時既にウルトラマンと一体化しており、彼自身も半分は異星人の状態でした。けれども、そんな彼すら地球人に馴染むようにと言うのでした。

 『ウルトラセブン』では薩摩次郎の姿を模倣し、「モロボシ・ダン」と名乗ってウルトラ警備隊の一員となったウルトラセブンが登場します。彼は地球で過ごすうち、同じくウルトラ警備隊の一員であるアンヌ隊員と相思相愛の仲になります。しかしそんなアンヌ隊員にすら正体を明かせないまま過ごしていました。体調を崩したことによって遂に隠しきれなくなってしまいます。「ウルトラセブンはウルトラ警備隊の一員であり、人間の味方である」ということが一般的な認識になっていた『ウルトラセブン』の世界ですら、モロボシ・ダンは元の姿を皆の前に晒すことを躊躇ったのです。

 今回『ウルトラマンマックス』では、このシリーズの中でウルトラマン以外で最初の友好的な異星人の努力を描いたものです。ネリル星人キーフは変身能力を持っていたことにより、地球人の姿を模倣してその「風俗に馴染む」ことが出来ました。けれども、今まで地球に来た異星人は漏れなく侵略を目的としており、そのために「異星人=侵略者」という認識が常識となっていたことが、彼にある思いを抱かせます。それは以下の通りにキーフ自身によって語られます。

「僕の後にも、この美しい惑星を好きになって、心から人間と友達になりたいと思う異星人がきっと現れる。でも、彼らは僕のように人間の姿になれるとは限らない。彼らは、異星人の姿をしているせいで、侵略者だと思われてしまう。そんな時、もし過去にひとりでも、人間の信頼を得て本当の友達になれる異星人がいれば、少しは違うと思うんだ。僕はね、カケル、その最初のひとりになろうと決めたんだ」

 それは異星人が自分自身の姿を表現したまま、つまり『ウルトラマン』でハヤタ隊員が言っていた「地球の風俗に馴染む」ことなく、そのままの姿、そのままの文化を保ったまま、地球人と異星人が友人となる未来を実現することでした。

 きっとそれは実現出来ると思うのです。『ウルトラセブン』最終回でモロボシ・ダンがウルトラセブンとしての正体を明かした時、アンヌ隊員はモロボシ・ダンが人間であろうと、宇宙人であろうと、はたまたウルトラセブンそのひとであっても、ダンはダンに変わりないと答えたのです。彼らは自分達そのままの姿を認め合い、互いの愛を確かめ合えたのだと思います。それが出来るのですから、将来地球人と異星人が友達になれる未来は近いのだと考えます。

『ウルトラマンマックス』第26話を観ました。

 クリスマスの奇跡とは、アンドロイドのエリーだからこそ分かるものなのかも知れませんね。

 『ウルトラ』シリーズにおけるクリスマス回は、歴史が浅いうえに回数自体も少なく、また取り上げられたとしても陽気に描かれることは数少ないように感じます。

 まず『ウルトラマン』『ウルトラセブン』ではクリスマスは描かれませんでした。日本ではまだクリスマスが一般的に広まっていなかったのか、あるいは普遍的価値を求めたために季節の行事自体を扱うことは控えめにしたのかも知れません。

 初めて『ウルトラ』シリーズでクリスマスが描かれたのは『帰ってきたウルトラマン』でのことだと記憶しますが、ちょうど主人公の恩人とヒロインである坂田兄妹の死亡という惨劇が重なり、大きく扱われることもありませんでした。本格的に描かれたのは『ウルトラマンA』でのことで、死亡したと思われていたウルトラの父の復活と、主人公の相棒でヒロインのひとりである南夕子の登場というサプライズが起きて、「クリスマス=目出度い」という印象が残りました。

 その後のシリーズでわたしが視聴したのは『ウルトラマンティガ』と『ウルトラマンネクサス』、そして『ウルトラマンマックス』になります。しかし『ウルトラマンティガ』ではクリスマスよりもハロウィンのほうが大きく扱われて、それらしい怪獣まで登場しました。それに『ウルトラマンネクサス』は大河ドラマ的なストーリー構成だったために、全体的に季節感はありませんでした。

 ハロウィンは勿論、クリスマスという季節行事は、大衆的で単発のストーリー展開を行える時にのみ扱える話題なのかも知れません。そう思うと、扱う難易度が思ったより高いものとも思えます。

 さて、今回は感情表現が希薄なアンドロイドのエリーが、12年に一度現れる怪獣ユニジンを追うという、〝クリスマスの奇跡〟を扱ったものでした。

 とは言うものの、クリスマスは本来キリスト教の行事であり、年末年始のように世界中で行われる行事とは一線を画すものだと考えます。現在では一般的に広まったものとは言え、日本では商業的な意味合いが強く、「クリスマスとはクリスマスツリーを飾り立て、ちょっと良い食べ物を食べて、プレゼントを贈り合う」というアイコン無しには成り立たない印象があります。欧米人であるショーン・ホワイト隊員ですらそういった風潮に毒されている感じがします。けれどもストーリーの中心人物に、クリスマスの行事の意味に疑問を持つアンドロイドのエリーを据えたことによって、そういった前情報無しに「クリスマスとは何か?」を探求出来るようになったと考えます。

 結果、そんなエリーと人間社会と交わらないところに住む怪獣ユニジンが関わったことで、人間達の宗教観や経済活動とは関係ないところで「クリスマスとは何か?」が理解出来るようになりました。

 様々な価値観を持つ多様な人々が交流するようになった今、エリーの求めたクリスマス観が広まると良いなと思います。

『ウルトラマンマックス』第27話を観ました。

 カイト隊員とミズキ隊員の淡い恋が描かれましたね。

 エレキングの再登場と共に、ふたりのピット星人が登場しました。

 初登場した『ウルトラセブン』では同じ姿の少女でした。また、いちばん最近制作・放送された『ウルトラマンZ』のピット星人姉妹は10代後半〜20代前半程度の見た目で、妹分が「別荘に行きたい」と主張していたのもあり、個性を感じさせました。今回観た『ウルトラマンマックス』のピット星人ふたり組は表情を変えず、静かに話すところからは個性を感じさせるどころか神秘性すら漂わせています。

 ピット星人達は地球人達にエレキングの幼体を複数差し向け、地球人達の脳波を食い尽くさせることで侵略を進めていました。その捜査の中で、カイト隊員とミズキ隊員の仲が描かれていきます。

 カイト隊員は車内で「よくふたりで活動するね」と話しかけますが、対するミズキ隊員は照れ隠しなのか「今は任務中よ」と話を中断させます。けれども休憩中には、「カイト隊員は何でDASHに入ろうと思ったの?」と問いかけます。

 この会話中にふたりの立場の乖離が表現されます。カイト隊員は「入らなきゃと思ったから」という、ある意味強迫観念や使命感じみたものでした。けれどもミズキ隊員は「元々UDFのパイロットだったから」という、「何となく」とも取れる理由を話します。カイト隊員は強迫観念・使命感を持って試験を受けて落選し、ふわっとした理由でDASHを受けたミズキ隊員は合格したのです。ふたりの立場は真逆でした。

 ふたりはその後、ピット星人達の襲撃を受け、ミズキ隊員はエレキング幼体に取り憑かれてしまいます。カイト隊員がそれから解放しようとした時、ミズキ隊員はその立場の違いから逡巡します。どこかでふわふわした気持ちでDASHに受かってしまった自分とカイト隊員を比べてしまったのかと思いました。けれどもカイト隊員の激励もあって、ミズキ隊員はDASHバード3を駆って空へ飛び立ちます。カイト隊員が「DASHに入れなくても、俺は俺だ!」と叫んでいるところから、彼自身はDASHに落ちたことを受け入れて、この場に立っているようですね。

 ピット星人達からマックススパークを取り返し、墜落するDASHバード3ごとミズキ隊員を救助した時のウルトラマンマックスは格好良かったですね。見上げるミズキ隊員に頷きで返すマックスはとても落ち着きと温かさがあり、安心感を与えてくれます。

 最後の場面で、宇宙に帰るマックスを見送りながら、ミズキ隊員が「マックスって……」と呟くのが印象深いです。最終回でカイト隊員が、ミズキ隊員を抱えたまま変身し、正体を明かしますが、その時のミズキ隊員の反応が「知ってた気がする」なのですよね。もしかしたら、ウルトラマンマックスの正体に勘付いたのはこの時なのかも知れないと、改めて観て思いました。

『ウルトラマンマックス』第28話を観ました。

 ウルトラマンマックスのアクションが格好良かったですね!

 お正月を迎え、DASHもお着物を着たり、書き初めをしたりしていましたね。ココも鏡餅風に飾り付けられて、可愛かったです。『ウルトラマンティガ』でもハロウィンに仮装をして出動する様子が描かれましたが、季節のイベントを職場で楽しむ大人達は楽しそうで良いですね。

 もちろん季節のイベントを楽しむのは、大人達だけではありません。カイト隊員が所属していたボランティア団体でも、子供達が搗いた餅をあんこに包んだりしていました。

 こうした季節のイベントの描かれ方にも世相が現れるので、過去の『ウルトラ』シリーズと見比べるのも楽しみのひとつです。

 今回はカイト隊員の所属していたボランティア団体の活動を通して、災害孤児のことに触れられました。登場した宇宙人であるリリカも、ルガノーガーによる怪獣災害による孤児のひとりとして登場しました。カイト隊員も災害孤児という共通点を持っている仲間として、彼女と交流を深めました。ふたりが互いに宇宙人であること、宇宙人の能力を持っていることに気付くのはそれもあってかすごく早かったと思います。

 『ウルトラ』シリーズに登場する宇宙人達は、ウルトラマンも含めて「互いに宇宙人である」と気付くことが多い印象を受けます。個人的に海外に行った時などは、向こうから向かってくる知らない人間の国籍などははっきり分かった覚えが無いのですが、宇宙人達は異星に来た時に固有の雰囲気を漂わせているものなのでしょうか。

『ウルトラマンマックス』第29話を観ました。

 『怪獣は何故現れるのか?』、それは怪獣特撮の永遠のテーマなのだと思います。

 この回は『ウルトラQ』をリスペクトした、他の回と一線を画する演出が多い回だと思います。

 まず、いきなり『ウルトラQ』風のオープニング演出から始まります。有名な石坂浩二さんの台詞のオマージュに、いつもの『ウルトラマンマックス』とは違うオープニングテーマが重なり、それがいつもと違う回だということを強調しています。

 更に特筆すべきは、客演俳優さん達も、『ウルトラQ』に出演されていた方が数多くいらっしゃることだと思います。レギュラーである桜井浩子さんも含め、同窓会的な回です。更に、まさかの『ウルトラセブン』でメイン監督だった満田かずほ監督と、今回の監督でもある村石宏實監督、カメラ担当の倉持武弘さんが顔出し出演されている回でもありました。この豪華で特異な面々が揃うのは、今回限りではないかと考えます。

 また、今回はサブタイトルの通り、『何故怪獣が現れるのか?』が論じられた回でした。これは怪獣を扱う特撮、そして『ウルトラ』シリーズの永遠のテーマだと考えます。

 このテーマは古くから、手を変え品を変えて、繰り返して扱われてきました。覚えがある中では、ゴジラの『ゴジばん』第一期『「ヘドじい漫遊記」第一話「火の国・熊本阿蘇編」』、そして『ウルトラマンティガ』第28話です。

 『ウルトラマンティガ』第28話では、それまで2回に渡って交戦してきた怪獣ガゾートとその元となる生物クリッターに対し、ついに殲滅作戦が展開されます。クリッターは人間と遭遇するまで、空の彼方で平和に活動していたのですが、人類が文明の果てに電波をクリッターの生存圏に放つようになり、クリッターのガゾート化を招いてしまっていました。人類の開発の結果、生存競争をする羽目になったというパターンだと思います。

 この話中、ガゾートの被害によって恋人を失った女性によって、「人類が武装しているから」怪獣が襲ってくるのだという説が提唱されました。人類が生存競争上対立関係にある怪獣に対抗するため、武装し、それを増強するたびに、怪獣はそれに反応して迫ってくるのです。

 一方、『ゴジばん』第一期『「ヘドじい漫遊記」第一話「火の国・熊本阿蘇編」』でヘドじいによって語られたのは、「人間が望むから」という説でした。人間が怪獣に、怪獣同士で戦い、血を流すことを望むので、怪獣がそれに呼応して戦うのだ、という説だと考えます。

 今回『怪獣は何故現れるのか?』で語られたのは、「人間が怪獣の出現を望んだから」というものでした。佐橋さんの言う通り、人間は古来から龍や鬼、様々な妖怪といった形で、怪獣の姿を想像してきました。『ウルトラマンマックス』の世界では怪獣が現れ始めて1年程とのことですが、怪獣達は人間の想像の中で、密かに生き続けてきたのです。

 結局、今回の話の中では、はっきりと『怪獣は何故現れるのか?』結論付けることは出来ませんでした。けれども、このテーマは繰り返し論じられることに意義があると信じているので、また改めて考えたいです。

『ウルトラマンマックス』第30話を観ました。

 防衛隊不要論が唱えられたと共に、何故ウルトラマンマックスは助けに来てくれたのかが明らかにされました。

 今回はカイト隊員によって第1話の振り返りがなされました。中でもミズキ隊員の乗ったDASHバード1が墜落した時、ボランティアの身の上でDASHバードに代わりに乗り込んで出撃した出来事について反省がありました。

 あの時、カイト隊員も怪獣の被害に遭って撃墜されましたが、ウルトラマンマックスの降臨によって命が助かりました。けれども、もしマックスが降臨しなかったり、カイト隊員を選ばなかった場合には命は無かったでしょう。カイト隊員が夢で見た通り、ヒジカタ隊長からは「無茶な行動であった」と評されていてもおかしくありません。

 しかし、カイト隊員があのような「無茶な行動」を取ったのには理由がありました。それは勿論、「DASHの入隊試験には落ちたけど、心持ちはDASHに負けたくない」というのもあったでしょう。でもそれ以上に、自分が感知しないところで両親を地震災害で亡くしてしまったこと、両親を自分の手で助けられなかったこと、でも今ある命は助けることが出来るという発想の転換が、彼の行動を支えていました。

 カイト隊員がウルトラマンマックスに「何故M78星雲からやって来たのか?」を問うた時、第1話で言った「共振する個性を感じた」を言い換えて「君の『皆を守りたい』という心が私を動かしたのだ」という言葉で答えました。そして「私は君に今託している。自分の判断を信じたまえ、カイト」と、カイト隊員の行動を支持したのです。

 そんなカイト隊員の指針は、「DASHが頑張らなくても、ウルトラマンマックスが助けてくれる」と、嘗て『ウルトラマン』でイデ隊員が主張したような防衛隊不要論を言葉にしたショーン隊員の心をも動かします。カイト隊員は自分の行動を支える気持ちを言葉にし、「自分達が頑張らなきゃ、ウルトラマンマックスも助けてくれないさ」と励まします。その甲斐あって、ショーン隊員は見事に怪獣を倒すためのビームを開発しました。

 また、今回はウルトラマンマックスによって、文明監視員の仕事が明らかにされました。ウルトラマンマックスの務める文明監視員は、本来惑星の活動自体には関わらず、惑星同士が穏やかで平和に宇宙に馴染めるかを観察するのが目的なのですね。マックスは現在地球でカイト隊員と一心同体になり、怪獣が襲ってきて手に負えない時に助けることをしていますが、そういう武張ったことは本来の職務から外れているように観えます。そういうことはどちらかと言えば、宇宙警備隊の仕事であると思いますが、ウルトラマンマックスは警備隊に所属するウルトラマン達以上の実力を発揮していると考えます。

 いつか、ウルトラマンマックスが「どうして文明監視員になったか?」が紹介されると良いなと考えます。

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