生きるということ

足の裏が熱くて眠れない。

という日がよくある。
これは逆に冷え性のせいで起こる現象だと聞いたことがあるけれども、本当なのだろうか。
手で触っても、足の裏がアツアツなわけでもなく、ただ感覚として、熱いな。と思うだけというところがなんかもう怖い。

先日、実家で祖母とテレビを観ていた時、BSで、アマゾンでの暮らしを取り上げた番組が流れていた。
アマゾンで暮らす1人の青年が、両親を亡くし、他に身寄りもなく、家には大きなシロアリの巣があって、そのシロアリたちを家族だと思って暮らしてるんだ。と笑顔で話していた。
夜になってその彼が、酒場で揉めているという情報が入った。知人にばかにされて、怒って銃を持ち出してしまったとのことだった。
その地域では、そういった揉め事で、今年に入って既に2人銃で亡くなっているというナレーションが入って、私はそこでなんだかもう苦しくて見ていられなくなってしまって、劇的ビフォーアフターにチャンネルをかえてしまった。
祖母が何と言っていたかは覚えていない。

だから何だという話ではない。ただ心臓がギュッとしてしまったというだけの話で、私には世界は変えられない。

日々コロナの感染者が増えて、全く収まる気配がなくて、私たちは以前よりも人に会えなくなった。
本当なら今年祖父の法事をみんなでやるはずだった。でもそれももう集まれなくなってしまった。
三回忌をやった時、次は2020年だ。オリンピックだね。なんて話にもなった。
2020年にはなった。けれどオリンピックは開催されない。

その三回忌の時、なかなか結婚をしない私に業を煮やした叔父たちは、おまえはもう男はいらんのか、超越してしまったのか!? なんて言ってきて、くっそー次の法事までには絶対結婚してやる!などと思っていたのに、その叔父も去年亡くなってしまった。私は変わらず結婚していない。

いつが最後になるか本当に分からない。
そんなこと、分かっていたつもりだった。けれど、うちの親戚たちは高齢の人たちが多いし、あの人たちにももしかしたらもう会えないのかもしれないと思うと背筋が寒くなる。
私は私で持病もあるので、コロナに感染することを毎日恐れて暮らしている。

今思い出しても間違いなく人生のどん底だったという頃が何年も前にあって、このどん底具合がどうやったら終わるのか全く分からず、未来永劫終わりなく今の状況が続いていくのだろうかと途方に暮れていた頃、人間はいつか死ぬということが自分にとってひとつの希望だった。
今のこのどん底のような毎日も、いつか自分が死んだら終わるじゃないか!ということに気付いた時、大発見だと思った。目の前が明るくなった気がした。終わりが来ることは救いだと。
だからもしあの頃に新型コロナが流行っていたら、自分がかかってしまう事が今ほど恐怖ではなかっただろうなと最近ずっと考えていた。あの頃の私は持病もまだ無かったし。
けれど今こんなにも、自分は死にたくないと思っている。それは驚きだったしありがたいことだ。
それから数年経ち、死を待つことなくどん底から抜け出すことが出来た私は、色々ありながらもなんとかこうやって生きてきたのだ。
毎晩足の裏が熱くて目がさめるのも、生きているからなんだからとか思う。

だからできることなら、みんな長生きして欲しいと心から思っている。
あのアマゾンの青年も。
長生きすることで大変なこともあるけれども、世界の見え方が変わることもあるということを言いたい。

そしてもう一度、ただの法事でみんながあつまるみたいな、かつて当たり前だった世界が戻ってきて欲しいと、心から思っている。

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