その先に成功が待っているかなんて考えもせず、ただ、やり残したからやる。やると、決める。

人生が動く時、何かがカチッと変わる音がする。それが錯覚なのか、はたまた現実になるのかはわからない。

喫茶店へ行き、アイスコーヒーを頼む。禁煙外来へ行き、久々に減煙していたタバコを一服。いや、禁煙できていないじゃないかとツッコミを入れるけれど、一日三本になっている。リバウンドで、これがどんどん増えていく可能性はある。まぁ、何度でも挑戦しようと思う。

サウスピークで一か月の留学をした後、今度は二週間日本へ帰って来て、今度はバギオへ行こうと思っている。バギオにTOEICが特に伸びる、TALKという語学学校がある。そこに、3週間。現地でTOEICを受けて、900を越えてみたい。

会社の退職金を使い込むことになる。失敗を恐れない、というのは強い。皮肉だけれど、守るべきものがないと言うのも強い。どう生きたって、いいのだ。お金がなくなったら、もうのたれ死んでしまってもいいくらいの気持ち。親に言ったら超怒られるだろうけれど、ごめん。

僕のこの海外逃避癖は、ちょいちょい顔を出す。大学時代には一年休学してワーホリへ行ったし、更に交換留学もした。今思えば、一種の家出でもあった。当時の僕はそれをやらずにはいられなかったし、それをやることで遊びきって帰国後に就職に手をつける事が出来た。

美大に行きたいと話す娘に、母親が「絵だけじゃごはんは食べれませんよ」と言っているのを聞いて、ああ、その時は死ねばいいのだと思った。やりたいと思うことをやって、食えなくなったのならば、その時は死ねばいい。絵の道を諦め、数年後に母親を恨む人生を送るより、よほど清々しいことだと思った。
社会不適合者という言葉もあるけれど「自殺者が三万人いて、三組に一組は離婚をしていて、過労や精神疾患などでボロボロのひとが大量にいる社会」に適応してしまったら、頭がおかしくならない方がおかしいと思う。必要なのは適応よりも開墾で、多分、従来の常識に縛られるほどに苦しくなる。
人生はボーナスタイムである。これはわたしの好きな言葉【考え方】である。これまで、好きな言葉とか座右の銘を尋ねられてもまったく上手に答えられない自分がいた。これからは「人生はボーナスタイムである」と返したいと思う。生まれて来ただけで全員勝ち組、生きているだけでいい、それ以外はまったくのおまけみたいなものである。金持ちになるとか有名になるとかある種の功績を残すとか、全部、おまけ。今夜眠る場所があり、明日食うに困らない金があるならば万々歳であるとわたしは思う

どうしようもなく自分がダメな人間に思えそうな時、上記のような考え方に救われる。やりたかったことを誰からの「その行動はいい、悪い」の評価を受けずに、ただ、やる。それが何かにつながるとか、その先に成功が待っているかなんて考えもせず、ただ、やり残したからやる。やると、決める。

一生、結婚がうまくいくタイプじゃないのだと思う。めんどくさい性格だ。母親から、「おじいさんみたいな考え方してるね」と言われるけれど、本当そうなんだろう。余生みたいに、今の人生を捉えている。一年後にどうなっているか、面白い小説がかけそうでもある。

なんてことを、バギオにいくことを覚悟した後、考えた。

人生は続く。。。


追記

親に理解してもらわなくてもいいんです
で、この記事に書いたことの多くは、今就職を迎えつつある若者たちの親御さんにはなかなか理解してもらえないでしょう。頭で理解できても、諸手を挙げて賛成できないでしょうね。でも、未来はそっちにあるんです。
だから若者の皆さんは、親の言うことなんて適当に無視して、是非惹かれる方へと進んでください。こんな凄まじい時代の境目を生き抜くのに必要な能力は、親や先生の言うことに粛々と従うことではなく、失敗を覚悟しつつ新しいことにゴリゴリとチャレンジしていく能力だからです。ゴリゴリとチャレンジする自信のない人は、とりあえず語学力と何らかの専門性を身につけておいてください。多分どう転んでも大失敗はしないと思います。

こんな発想も、いいですよね。


処方箋3:海外の英語学校に行ってみよう
自分の気持ちがわからないって人でも取り戻すことができるとっておきの方法があります。それは、海外で英語を学ぶことです。いちど日本語と言う檻を出ること。違う人々の間で思考を組み立ててみる。

この記事を見たからフィリピンを決めた訳ではなく、決めた後に読んだのですが、「あ、俺が行くのは、こんな潜在意識もあったのかな」と。

凝りに凝った思考をほぐしてくれる、いい文章です。

なんかnote紹介みたいになってしまいましたw


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