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眉毛のメイクと人類への壮大な話

こんにちは!パクチーです。

BTSのRMくんがMCの一人を務める教養型バラエティー「知っておくと役立つ人間雑学」、ご覧になってます?(もう、終わってしまうのか…!?)

長い動画を探してはこつこつ観て、短い動画もちょこちょこ観て、自動翻訳のため、理解に若干の難はあるのですが…

…気持ちいい…見終わって知識の波の中にぽちゃ…と沈められてるのが、温くて、広くて、穏やか…………

……わたし、ずっと、ここに、いる………!

RMくんは、何か自分の話を一生懸命して、それにみんなが拍手して、ここではほとんど可愛がられてる子供のような感じです。…それがまたいい…。


ところで。

前回のnoteでファッションについて考察し、その過程で市川実和子さんとのエピソードを思い出したことをきっかけに、翌日、市川実和子さんのinstagramや動画を、しみじみと見ました。

そして見つけたインタビュー動画。

動画の中で、話を聞いている時の目、話し方、それらを見ていたら、お会いした当時のわたしが受けた印象、

「やわらかいけど、ものすごくシャープ。シャープだけど、とてもやわからい」

を、ばーん!と、フレッシュに思い出した。

「そうだ…!わたしがなりたいのはこの眉毛だ…!!」 

わなわなした。

とても共感者が少なそうですが、noteですからね。ニッチな好みを書く人がいなくなってしまったら、世界は貧相になってしまいますから。ニッチなマイノリティが堂々とするところがnoteですから。そこにて数少ない同士が目を合わせて、心に星が灯る、という。

最近、「メイクとは何だろう?」と思っているんですよ。昨今のファンションへの関心、メイクへも地続きでございます。熱心な読者さんがご存知か知らんが、わたしは「40歳、メイク始めました」で、コスメなワールドはぴよぴよのひよこ状態です。
でも、わたくしも約1年経って、今では大好きなコスメカウンターのお姐さんもでき(そこが若かりし頃と違うところね、最初から全てを専門職に丸投げた)、今や、ほぼ、基本的な道具は揃いました。

しかし…切る、剃る、「あれ…?」、伸ばす、「あれ??」で始めに戻る、眉毛が難しい。ジミンくんの美眉を、世界を代表する美眉と感じる我が感性は、自分に当てはめて正解ですか??BTSが好きだからK-POPの女子たちを見ることもある。巷で、メイクに情熱と愛情を持つ発信者は、韓国寄りもしくは2次元的な世界観に二分されるように思われる。メイクのゴールはここ?なの?マップ、マップを…わたしは今…どこに…?

それが、
いやー、ゴールこれだったわ。そうだ。
すごいわ。
自分の眉毛を生きている。

実和子さんのinstagramを通して、メイクアップアーティストのRUMIKOさんという方を知りました。その方は動画で「眉毛は切らないで」とおっしゃっている。

伸ばして良いの…?
かなり伸びるし、広範囲に生えるけど…
そっ…そっ、かあ……!
この子たち、
生えて良かったんですね……!!

いろんな「これが正解だよ」を見せられて、そうなんだ、そっちに行かなきゃと思って毎回試行錯誤してきたけれど、本当はこっちの美意識でタイマン張って生き残る人になりたいと、思ってた気がする。ずっと。忘れてたけど。

インタビュー動画の中で実和子さんが、

自分以上に見せようとしたことはありますし
「あー、バレちゃうんだな」と思って
全部バレちゃうじゃないですかやっぱり
あの、後ろ見たらスカートめくれてたみたいな
でも
今でももちろん、そういうところもあります
自分以上に見せようとしてたりとか、多分ね

まさに前回のnoteでパクチーが陥ったドツボです。「そうなんです、そうなんです!」拝みたい気分だった。実和子さんでそうなら、わたしこそ仕方ない。仕方なかろう!うむ!うむ!だけど、自覚のあることが、こういう生き様を可能にする訳なのですね。

相変わらずすごいかっこいい。7歳しか違わんかったんや…今知った…

わたしのファッションコンセプト、

心の中にカミソリ

は、奇抜でも特殊でもなんでもない、全然いたわ、とっくに偉大な先人が…。

と、ここで。

「自分以上に見せよう」
という意識。

「良く見せよう」ということ自体は悪いことだろうか。

ここ、わたしはそんなにアクセスしていないんですけど、コンプレックスとかね。劣等感とか、そこを紐解こうと思ったら、かなり込み入った難しい部分だと思うんですよ。
そして、わたしは今そんなに、それをほじくって煮詰めたりしたくないな〜〜と思っていまして。

しかし、「良く思われたい」。

別に自然なことだと思う。

では、
「良く見せる」ことの定義とは?
よく…
よく…
欲…

「良く」と
「欲」が同じ音なのは
偶然だろうか?

ファッションで、わたしが何を着ればいいのか分からなくなった時、メイクが義務のようになってきて楽しくなくなってきた時、わたしはいつも、自分でない何者かになろうとしていた。それは既成のテンプレートで、そのテンプレートを当てはめれば、自分は何かの期待に応えられると、思ってもらえると思ったのだ。「良く見える」と。

「好きになってもらえる」と。
楽しくないのに。

しかし、実和子さんの眉毛を見て良いと思った自分は、真逆のことを考えていた。自分の眉毛にあるニュアンスを、他の人が持たないプラスの魅力に見せる方法があるのではないか、と。そう思ったら、新しい可能性にわくわくした。

「そりゃあ、他の人にない、面白いわたしの方が好きだろう、皆んな」


ここでジンくんに話が飛んで、ジンくんが現在韓国軍の兵役に服務中であることについて語りたい。ここは、皆さん受け取っている感情が、本当に千差万別だと思うのでわたしも慎重に言葉を選ばなければ…。あくまでも、わたしひとりの、個人の感じ方でございます。

かつて、なんとなく、訓練の内容について、興味を持って調べたことがある。決して楽なことだとは思わない。楽なことだとは思わないが、

例えば肉体的な負担に関して。経験のない一般市民が実践して、一定のパーセンテージでクリアできる難易度に設定されているだろう。必要なことが習熟できるよう、段階を踏んだ洗練されたプログラムが、きっと採択されているだろう。

精神的な負担に関して。二十歳を過ぎた実家暮らしの若者が、突然劇的に環境を変え、突如大人の理屈、社会の理屈に組み込まれて、望み通りに過ごせない、会いたい人に会えない、強制的に与えられた規律と極端な変化とホームシックの中で、感じる、「辛い…」と、同じ二十歳前後に練習生をやり遂げたジンくんでは、精神的な苦痛の度合いは異なるのでは…?と。

ジンくんがリーダー的な役割を請け負うと言う場合。シンプルに考えて、徴兵された隊員の中で彼より年長の人はいないだろう。つるっとした顔を見回して、自分が一番年上で、「この中では自分が一番余裕があるだろうな…」と、彼は感じるのではないかな…と。

かつてニュース番組のインタビューでRMくんが言ったことを別のnoteで取り上げたが、

防弾少年団、BTSという冠がどのくらい重いのか、これは…とっても重いです。

肉体的な負担があるかどうかより、精神的な負担があるかどうかより、わたしは、ジンくんが今、BTSという冠の重さから解放された状態でいられることを、1年の360日、ほとんど常に喉の状態を気にかけることから自由でいられることを、とても、それは重要なことなんじゃないかと感じている。彼の精神の健全さのために。

「従軍する」ということでのみ可能だったというところが複雑な思いだが、世俗から隔離されて、ある意味、「キム・ソクジン」という個人が、個人としていることを、環境が担保している。ジンくんに限って言えば、そのことをかなりポジティブだと、わたしは思う。

「BTSの冠」

わたしはそれを想像することが出来るのだろうか。


先日、BLACKPINKのドキュメンタリーを観ました。

メンバーでタイ出身のリサさんが、デビューして成功したのち、タイに帰国する。空港がたくさんのリサさんのファンで埋め尽くされ、彼女の里帰りを出迎える。

彼女の名前がコールされるのを聞いて、ぽろぽろ涙が出た。それは、彼女の中の幼い彼女が、心の中でずっと帰りたいと望んでいた故郷を、彼女は永遠に失ってしまったように見えたからだった。自分の目で、自分一人の目線で見る自国の空港を、タイを出国した時に見た景色と同じものを、彼女はもう見ることが出来ない。そのタイは記憶の中でしか見れない。

彼女は当時感じていたことを、「憧れに足る存在なのか」「がっかりさせたくない」「そんなことをずっと考えていた」と言った。

そこに「冠」の一端があるような気がした。

ファンが期待する像と、実際の自分とのギャップ。
それが大きければ大きいほど、
冠は重くなるのではないか?

良く思われたい。
つまり、期待に応えたい。

しかし実際は、皆んなが期待するそれぞれの像は、一致しない。どこにも実在しない。期待する側も、実際にどんな人物を望んでいるのか具体的に分かっていないことも多い。

ただ、そこには何か、エネルギーが託されているのだろう。

託されたエネルギーの集合体。
冠。


ここで眉毛の話に戻る。

眉毛。眉毛って、本当に、びみょ〜〜〜〜〜な差異で全然印象が変わるじゃないですか。だから難しい。だから難しいんだけど、だから…なぜ描くんだ…?

それは、見せたい印象を見せることが可能だからだ。

K-POPアイドルでは並行眉毛が主流だが、この感じは、少し「困り顔」、庇護を求める感じ、幼気(いたいけ)、不安定なニュアンスが、ちょっとある。もしあなたが並行眉にするなら、トレンドを抑えているということで、コミュニティの中でちょっとは優位かもしれない。

眉山をキリッと作れば、意思のある自立した、大人びた印象。形がすっかり整えられていれば、洗練された印象を与え、気合や、やる気も相手に感じさせるだろう。ほわほわっとした自然な眉なら大人になる前の感じ。あるいは、そこに女性性を持ち出してコミットしようとしていないという印象を与えるかもしれない。または多様性の受容。個々の身体的特徴に対する自己愛。

眉毛は、見せたい像を印象付けている。
いわば、「冠」の象徴だ。

眉毛が冠…。パクチーさん、それはさすがに飛躍しすぎでは…。

うん、まあね…。

だけど自分の眉毛を削って、別の形に作り変えて、明らかに人工的な加工を施し、顔の印象を方向付ける。「こういう人だと思って欲しい」。その人物は、あなたの期待に応えることができる。わたしに与えられた役割。あなたは次に、こういうことをこういう風にすべきですよ。と、他者が、自分をある方向に誘導して押し出す。求める。OK、わたしにはそれが出来ます。冠。そういう、交わされない、目に見えない約束事。

ここで実和子さんの発言を再掲。

全部バレちゃうじゃないですかやっぱり
あの、後ろ見たらスカートめくれてたみたいな

自分以上に見せたらバレてしまう上に、後ろはスカートもめくれてる。それが自覚されている感覚は、SUGAくんの言う「現実的な感覚」だとわたしは思いました。

でも僕たちのチームは猛烈に現実感覚を守ろうとしています。僕たち同士で。「現実的であって欲しい」「全部自分のものではなくて、どれもいつかはなくなるものだから、平凡にバランス感覚を上手くとってほしい」とよく話します。

[슈취타] EP.3 SUGA with TAEYANG

彼らだったら、スタッフが、後ろでスカートがめくれてたのを、皆んなで無かったことにしてくれるんですよ。「時の人」には、皆んなが高下駄を履かせてくれます。それで高下駄を履かせた周囲の人が恩恵を受けるからです。でも自分がそのことに気づけなかったら、本当はめくれていたことを、教えてくれる人はいないかもしれない。彼は、実際の自分について、自覚していろよ、と。

とはいえ、期待に応えたいから、自分を良く見せたいのだ。
愛されたいのだ。
愛していてほしい。
愛され続けなければ、事業が潰れる…。
冠が重すぎたら、現実の自分では支え切れないのだ。
だからチームで像を作り上げる。
だけど、それは自分自身でないことを自分は知っている。

なのに、じゃあ、だったら、
何をどうすれば良いというのだろう。

それが、わたしにとっては実和子さんの眉毛に答えがあった。

「良く見せたい」。
その動機が「欲」から来ていると、それはプリテンディングの方へ行く。つまり、自分とは違う別の何者かになりすます、の方。

「良く見せたい」の「良く」が、「自分の中の良いところを、より引出すように、周囲の人が、わたしの良さを、ギフトとして受け取れるように」、だから自分の良さを生かすファッションを選ぶ、だから自分の良さが発揮されるメイクをする、「善さ」を、「魅せる」のだったら、

それは人々、万民に対する愛なのでは…と思った。

あなたが、あなたの持っている良さを、今いる場所で発揮することが、一番人類の全てに貢献する、とは、RMくんが出演中の番組で語られていた内容だが、

あなたが自分の内側にある善きものを、内側だけに留めておかずに、外側に広げて見せてくれるなら、この世界の人々対しての愛だ。

装うことは、メイクをすることは、自分が自分で知る良さを開示する行為である。作り込んだメイク、薄いメイク、別人のようなメイク、そのメイクをすることで、内側から何が引出されるかを知っていて、時に応じて自在に使い分けることができる。
そういう自由さが、メイクの楽しいところだったんだ。
他者が求める何者かではなく。

自分を「良く」見せたい。

それが「欲」なのかどうか。出どころを見失わなければ、卑屈にならずに堂々と、自己愛を保ちながら、わたしはメイクで迷子にならなくて済むのじゃないかと思った。


そう。だから、【VIBE】のメイキングではジミンくんが「上手くやらなきゃ」と何度も言ってるんだが、彼の「上手くやらなきゃ」は、「自分の中の良い部分が、ちゃんと表に、見える形に出なくては」、という意味に、しっかり聞こえる…!

バラエティ番組内のRMくんは、期待される像を念頭に置きながらも、その冠から自由でいる気分を、そんなにたくさんではなかったかもしれないが、味わっているように見えた。それは人々が期待しない部分の彼について、他の共演の皆さんがジャッジしないという態度を保っていたからだ。

ジンくんはどうだろうか。ジンくんはある意味、かなり守られた状態で、それを得ている、かもしれない。

人が何かを期待する時。

それは相手の未来の可能性を制限するものだろうか。交換条件だろうか。

それに応えようとする時。
相手のために自分の要求を抑圧してしまうのは、仕方のないことだろうか。

わたしの場合は自分と母との関係を思い出す。

「期待に応えれば、関心を与えます」
「期待に応えなければ、これを取りあげます」
あるいは期待を受けた側が
「期待に応えるために、他の可能性を捨てました。だから私の望みを叶えてくれますね」。

禁止されたもの、望まれなかったもの。自分の中を見てみれば、成長の過程で蓋をしてきた、いくつもの心の奥底の望みが、抑圧された望みが、エネルギーが、地層のように積み重なっている。期待に応えるために捨てた欲求。

抑圧してきたものの存在は、
自覚のある人と、
無い人がいる。

自分が抑圧しているものに、
自覚のある人と、無い人で会話をすると、
時々多少、難があることがある。

どちらが良いとか、正しいとかは言えない。抑圧する人は、そのことで受け取れるものを自分に不可欠だと感じているからだ。ただ、抑圧し続けると、時間をかけて、生命のエネルギーが減じていく。パッションや、関心のあったものへの興味が薄れていく。生命のエネルギーが減じると、身体に不調が現れることもある。

SUGAくんの「シュチタ EP.3」で彼がテヤンさんと話した、「平凡なバランス感覚」「メンタルケア」の部分では、わたしは以前ある日本の芸能人が語ったことを思い出した。絶盛の頃を振り返って、「楽屋で机から何かを落とした時、皆んなが競って拾って、私に渡したがった」。

こういうシュチュエーションになった時、一番失われるのは共感力ではないかな…という気がする。あなたとわたしは同じだという感覚。他人に対してリアリティがなくなっていくのではないか。無機質になっていくのではないか。情熱が減じる。関心のあったものに興味がなくなってくる。わくわくしない。生命のエネルギーが落ち始める。

ジミンくんがDiorのショーに参加するのに、たくさんの人が長時間、野外で彼が現れるのを待ったと知って、「人はエネルギーが好きなのだ」と改めて思った。以前「スター」と呼ばれる人にお会いした時、彼らは発している、巡っているエネルギー量が、尋常じゃなく桁違いだ…!と思った。生命のエネルギー、人はそれを見たいんだ。本人を見られなくても、そのエネルギーが感じられればいい。その感じが味わえれれば、野外で数時間待つことに代えられる。まるで動くパワーストーンみたいな感じだ。

そう。だから「スター」にとって、常人の桁違いとはいえ、エネルギーを落とす要素は、スターの定義を揺るがす。それは、テヤンさんと、SUGAくんの言う、「毒」。

期待に応えたいと思う。
それは、
自分に期待をかけてくれる相手を愛しているからだ。
失望して、相手ががっかりすれば、
自分も悲しいからだ。
あなたが喜ぶなら、
根底にある望みを消してもいい、
生命エネルギーを減じさせてもいい、
だけど、
期待を、
裏切ってしまったとしても、
抑圧の蓋を開けて、
自分が知っている自分の良さで自分を満たして、
体の中をエネルギーで満たして生きるなら、
期待に応えられない罪悪感に耐えて、
勇気を持って立ち続けてくれるなら、
そうして、自分の良さを開示してくれるなら、
それは人類全体への愛だと思った。

そう気付いてみると、SUGAくんとテヤンさんの会話は、ますます「すごい話をしている…」と感じた。

ファッションって…
メイクって…
すごい面白いね!!

ヘッダーのRMくんはinstagramのRMくんです。クリエイター(物作り系)っぽいRMくん、いいなあ〜…。無言の、渾身の表現。


それではまた!




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