見出し画像

わたしは待たないし、共に歩くよ

「待つ」という語感が、じっとしてなきゃいけないような、心も体も固めて動かずにいなきゃいけないような、体感としてあんまり合わないみたいで。「男子、三日会わざれば刮目して見よ」ですからね、3年後は別人でしょう。わたしだって別人のようになりたい。たくさん動き回って、別人のようになって、

3年後に現地集合で!

まだまだソロ活動は始まったばかりで、いくつも展開される準備をしているものがあるのだと思うし、全員が芸能界活動を中断するタイミングはまだ先なのだと思うけど、でもついそう約束したくなってしまうのは、メンバーが全員集まる地点には、そこには大きな希望のような、大きな魔法のような、この世で滅多にお目にかかれない、ものすごいことがあるんじゃないかと期待してしまうからだろうか。

わたしはその時の彼らを新しい目で見たい。

もう少し釜山のコンサートの余韻に浸っていたかった気持ちもあります。TMAのアワードでジンくんが「残りの活動期間」と発言したのは、彼に許された可能な限りの誠意だったね。RMくんが出来るだけ彼の裁量の範囲で現状を共有しようとしてくれるように、このチームのリーダーと最年長は、「対社会」でイニシアチヴを渾身で手放さない、頼もしい2トップだ。

だからメンバーたちが納得したタイミングなのなら、最善だったのだろう。釜山コンサートの実現にどれだけ困難が多かったか、うっすらほのかに香る程度にしか認知していないけれど、「行政と何かをやる」ってなったら、それがやり慣れてないことなら、それはもうそれはもう…筆舌尽くし難い、ということは分かる。企業と行政は違う成分で出来てるからね。論理が違うからね。でも成功したんだよね。わたしはリアルタイムで見られなかったから、ああ、これから今後見れたとして、知る前の気持ちでは見れないだろう。

BTSのメンバーの兵役を、「2022〜2025年の間で考えていますよ」という趣旨のアナウンスがなされて、もっと動揺するかと思ってたけど、どうも意外にしてないな。Chapter2の方がもっとずっと動揺していたな。それとも動揺しすぎて自分で気付いてないだけ?しかし、前のnoteで書いたように、彼らメンバーたちの共有している精神世界が、あまりにレベルが高すぎて、見ているわたしの方に「問題意識」がポップアップしてこないのである。

「この問題について、わたしにやれることは何もない」。

それでも曖昧な、漠然とした怒り…

──なんで平和じゃないんだろう?

わたしのnoteをよくご覧頂いている方には、わたしの根底には社会の仕組みに対する怒りがあることをご存知かと思うが、現行の社会のシステムと戦争を必要とする仕組みは表裏で、国境関係なく世界を覆っているので、そのことについてのやるせない怒り、メンバーたちも歌の中で語り続けてきた…はある。でも彼らがそれを水面化で抑えている限りは、わたしも持ち出さない。不安定な不安…未知の…未定の不快さは、水中の下、水底の方に、どろっとしてゆっくり動きながら溜まっている。でも、水は澄んでいるし、水面は凪いで、落ち着いている。

例えばその水底にある塊を使って、これまで大切な人との関係を兵役で分断されてきた人たちに想いを馳せて、苦痛を感じることもできる。仕事のキャリアも、蓄積したスキルも、磨いた技術も、獲得した感覚もセンスも、全てと切り離される青年について想いを馳せて、喪失感を感じることもできる。

「わたしたち、良いことを見よう」。水底に横たわる怒りの塊、積年の、に対して出来ることは何もない。消し去ることも解決することもできない。出来るのはただフォーカスしないことだけだ。彼らが塊にフォーカスしないと決めている限り、彼らの変化に、わたしが出来ることは何もない。わたしが出来るのは、自分自身にフォーカスして、自分の希望にフォーカスして、喜びを増やして、すてきなものにたくさん出会いながら、自分の中の不要な記憶を手放して、自分に一生懸命フォーカスする、彼らが共有している意識で味わう心地よさに加われる自分を、整えていられるように。

まだ具体的にほとんど何も決まっていないこれから、何かが決まるたびに一喜一憂するのは大変そうで、わたしは「BTSの情報」から、自分にフォーカスすることで自立しなくてはな、と思う。待ちの姿勢になりそうになったら、気が遠くなりそうになったら、平和が見えないような気持ちになったら、自分で自分を動かして、自分を前に進ませる何かを、ちゃんと手に。

彼らは常に、わたしにとって、「関係性」の最高の教科書だ。

彼らの作品は、「何にフォーカスして生きるか」ということを教えてくれている。

彼らの関係性は、今が今までで一番、最高に高まっているように思える。きっとそのことを目の当たりにする機会は、これからたくさん訪れるだろう。音楽には、彼らのエッセンスがぎゅっとフレッシュなまま音に閉じ込められているので、「聴きたい」と思った時に聴く音楽の中には、いつも自分が一番必要としているエッセンスが、必要なタイミングで必要な場所に、すっと浸透してくれるだろう。これまで彼らが寝食を削って身を削って差し出してくれた、有り余るほどのたくさんのギフト。わたしは彼らの関係性を見て、本当に自分がどんどん変わっていったし、どんどん自分の目に映るものの理解を深めていったし、彼らの音楽と言葉で、ひとりぼっちでいる気持ちを幾度も幾度も拭ってもらった。

彼らもそうだ。彼らも、「与えられた猶予」が分かって、自分を整え、変えたかった。自分に望む変化を与えたら何者に変わるのか、限られた時間で最大限別人になるためのChapter2だった。自分の可能性を知るために。目一杯手を伸ばしたら、手に入れられるものが何なのか知りたくて。

わたしはその戦いを、涙が出るほど貴重だと思うし、それを見て感じること以上にこんなに、人が人に出来ることで、これ以上素晴らしいことはないんじゃないかと思う。

彼らがこれから、何を言葉にするか。

何を言葉にしないか。

安心しかしていない。

本当に、信頼とかいう言葉以上に、整った青年たち。

いつもしょっちゅう思うことだけれど、彼らと同じ時代を共に生きていて良かったと思う。


わたしの後を歩くな。どこへ行くか分かっていない時もあるのだから。
わたしの前を歩くな。わたしが君についていかないこともあるのだから。
歩く時は横に並べ。さすればわれわれもひとつになれるかもしれない。

(ユテ族)


それではまた!



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?