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女と男ってどうして分かれてるんだろう①

自身の女性性について考えようとすると、最近、妙に湧き上がってくる、「虚無感」。この「虚無感」は何なんだろう?わたしは急に強まって感じるようになったこの感じを、持て余している。

自分の女性らしい部分について、意識して、あるいは無意識に「オフにしよう」と思って来た半生がわたしにはあって、それを「アクティブにしよう」と思い始めたのが、ここ最近の2年だった。わたしはアクティブになっていく過程を、自分なりに楽しみながら、時に小さく葛藤しながら、ポジティブに前進してきたと思う。

けれどこの数週間、なんだかやたらめったら、虚無なのよ。

虚無。

キョム。

言い換えるとするならば何だろうか…。徒労。どこまでも同じ景色。果てしない感じ。海の水を小さじで掬うような。これをして、だから何だ。だから何だってんだ。虚空。入り口を開けたら虚空が真っ黒に広がっている。「女性性を生かして生きる」という思いを動かすと、連動して、同等くらいの大きさの、虚無を感じる。

こう感じるようになったきっかけについて、思い当たるのは二つ。ひとつは義母の死で、もうひとつはりゅうちぇるさんが亡くなったことだ。りゅうちぇるさんの死因については分からないので横に置くとして、当時、Twitterでは、「女性ホルモン」と「希死念慮」がリンクしていることについての知見がシェアされていた。わたしにはその知識がなかった。そして、非常に、心から、「通りで!!!!!」と、何かが深く腑に落ちたのでした、自分に関する色々について。

男性ホルモンのテストステロンが、楽天的にさせることを知っていた。だからメンタル向上の対策として、運動や筋トレをして、テストステロンを分泌させるのが有効なのもの知ってた。だが、逆サイドに女性ホルモンがあるということを、わたしは、知らなかったよ…。

義母は、同居の姑が完全介護の施設に入って介護が終わるのと同時に発病し、5年の闘病の末亡くなった。家事の全てを完璧にこなす主婦であった義母の、長年の食事管理のおかげか、糖尿病だった姑は施設に入って後、97歳の大往生だった。先月、義母はそれより25年若くして亡くなった。

遠く離れて住んでいた義母について、わたしは良く知っているとは言えないんだけど、義母は長年介護した姑の入居した施設に、亡くなる時まで一度も会いに行かなかった。子育て、介護を終え、やっとすべての時間を自分のために使えるようになった、と同時に、絶望を、彼女が望んだかもしれない老後の時間と可能性を闘病のために失うかもしれない絶望を味わい、絶望と共生し、結局、それは失われた。彼女の生き方を否定出来る訳はないのだけれど、わたしは、なんだか、とっても…やるせないの。闘病の長いことも、死期が近いことも知っていた。わたしは義母をひとりの女性として尊重しているつもりだった。しかしいざ、終わってしまったら突如、わたしは、わたしがわたしたらしめるために持っている唯一性みたいなものを、残酷に切り刻まれているような、残酷ショーがステージで行われているような気分を感じ始めて、それは今も続いている。

義母の属性、「献身」。「他者の世話をすること」。義母の肉体は、明らかにもっと長く生きられるように出来ていた。それを、「犠牲にした」、あるいは「自分の身体の叫びを無視した」と言うなら彼女に対して失礼だと、わたしも重々分かっている。わたしは歴々の女性たちが負って来た、果たして来た、あるいは課せられた、あるいは対峙して来たものの属性、つまり女性性が引き受けて来たものについて、なんだか途方もない徒労感、果てしなさ、重さ、死に通ずる虚無感を、どーんと今、食らっているところなのかもしれない。

それ、
ど
お
し
て
「女性」に付随してるの?

出生率や平均寿命を見て分かる通り、女性は男性より生物として強い。これは性染色体XX(女性)が、XY(男性)より安定していることに由来している。女性ホルモンに対する耐性を、あらかじめ持たされている、とも言えるかもしれない。

だったら、このホルモンがもたらす虚無の感覚は、味わう価値と、意味があるはずだ。


「女性性」が持ってる質

そもそも「女性性」って何なの、って言った時、わたしは思い出すものがある。約3ヶ月前、推し活をする人々の間で話題になった、東京ガスさんのあのCMである。

こちらのCM、「ストーリーマーケティング」と呼ばれる手法の、絵に描いたようなお手本的構成になっており、東京ガスさんは、むかしっから非常に得意です。海外のYouTuberが「日本の泣けるCM」でリアクション動画を撮っていると、大体が東京ガスさんのCMだ。ここで過去のCMを辿っていくと気付くことがある。現代に共感される家族構成の変化と、住居の構造から見る日本の生活水準の明らかな低下。しかし論点はそこではない。

女性に、パートナーとしての男性が、いらなくなってる…

隣にいて、人生の苦楽の価値を共に味わう「男女」のセットが、別になくても、女性の人生は十分良いということが、明らかにされてしまっているではないか…!ということである。

シングルマザーと思しきCMの主人公である女性は、子育てもほぼ終了していて、かつ経済的にも自立していると思われる。彼女は韓国の男性アイドルの存在と出会ったことをきっかけに、子育て終了後の自分の人生を、自らの手で次々に展開させていく。

彼女を展開させたのは、男性アイドルの「男性性」であった。優れた映画、優れたドラマに共通して出てくる、優れた男性の共通点は、女性に対して、

「望みを応援する」
「可能性を信じる」
「どんな結果もジャッジしない」

という態度で常にいる。これがあると女性は、どんどんとポテンシャルを、無限に発揮する。そして、この「応援」と「可能性を信じる」に関しては、アイドルのファンに対するメッセージと共通だ。

「あなたが望むことをして」
「大丈夫、必ず実現する」

女性の愚痴に対して、現状の問題点を把握して、問題を解決させようとする態度をとる男性がいるが、それはアプローチとして好まれない。女性が愚痴ったら、「え、それはひどいね!」「分かんないけど、あなたは間違ってないよ!」で良い!事実なんてどうだっていいのよ!自分に非がある可能性なんて、百も承知なの!であろうとも、「共感してもらえる」。そして「ポテンシャルを信じてもらえる」。そのことが満足に獲得できれば、女性はおのずと自らの能力で問題を把握し、自ら解決する力を発揮する。と、いうのはパクチーの発見ではなく、男女のハウツー本によく書かれるセオリーである。

「母」は、これまで行かなかった場所へ行動範囲を広げる。新しい交際範囲を広げる。中年を過ぎて新しい言語に取り組む。かつ、主体的に新しい言語を活用する。海外へ、ひとりでライブの為に行こうとする。人生の後半の展開を、自分で決めて、自分で広げ、自分の力で獲得する。その時、彼女の肉体のそばに寄り添って、肩を抱き、話を聞き、支え、励まし、応援し、頼らせてくれる、生身の男性が、このCMではもう…いらなくなっている…。人生のパートナーがいなくていい。むしろ旦那がいたら、生身の恋人が出来たら、彼女のための時間とお金を、自分の世話をするために使うよう求めるかもしれない。彼女は自分の望みを叶えることに、いちいち理解と共感を求めなければならず、彼女が彼女らしく自分を展開して生きることを、却って妨害するかもしれない…!

自分の心からの望みを、応援してもらえて、それが出来るという可能性を信じてもらえたなら、女性は、どこまでも自分の人生を、これまでと全く違った未知の方向にすら展開させるパワーを持っている。それは、質の高い「男性性」があることで無限に発揮される。

これがわたしの感じた、「女性性」が持っている「質」である。

年に数回、会えるかどうか、触れられるかどうか分からない存在でも、国産でなくても、優れているなら構わないのだと。子供が欲しい場合のみ、種として生身の男性がその瞬間必要ではあるが、シングルマザーで経済的に成り立つ環境に女性がいられるなら、この世に優れた「男性性」の象徴としてアイドルが、光り輝く存在が、社会の生贄が存在してくれれば、すべての女性は輝くんだよッッ!!!!

…と、いうのが、このCMが言ってしまっていることではないか、と…。


優れた「男性性」と、「男性」

優れた「男性性」を「男性アイドル」にわたしは象徴させてしまったが、男性が優れた「男性性」を持つ、つまり女性に純度の高いパワーを与え続けられるためのエネルギーは、どうやって獲得出来るのだろうか。

また、わたしは先ほど世界を「女性、種馬、男性アイドル」の3要素で描いてしまったことは、美しくない。世界は牛舎じゃない。

どうしたら調和を描けるんだろう。

「男性性」と「女性性」が対比出来るものなら、お互いに含まれない要素があるからこそ、この対比は成立している。「女性性」にどうあっても含まれない要素が、きっと「男性性」の優れた部分のコアにあるのではないか。

わたしはアイドルについて、「BTS」だけを知っていて、あとは本当に良く知らない。楽曲を聴き込めない。MVをじっくり見れない。最後まで見られないことが圧倒的に多くて、BTSだけが平気で、BTSだけが、とっても好きなので、

なんでだろ。何が違うんだろ。

そこで、わたしが見れないアイドルグループの一つであるTXTのステージを、改めていくつか見てみた。

どっからどう見ても素晴らしい生き物に見える彼らに、彼らが男性でなければない理由、男性でなければ発揮されないもの、人類が男性と女性に分かれていることの意味を、わたしは見出すことができるだろうか。


つづく。


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