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Vくんの美しい変容と、新しい調和

わたしは【For Us】の和訳をしようと試みて、でもどうしても肝心のコアのところが掴めなくて、「これはわたしには無理かなあ」と思っていた。カリフォルニアって、どういう意味?

でもこの、 上に貼った収録動画を見たら、

彼が最初に歌う「I wish I could stay with you」が、

「さよなら」

にしか聴こえなくて、

ああ…そうだったのか…。と…。

だって、すごい目じゃない…?彼の歌う音楽って、本当に、音が体を透明にして、魂が丸見えになってるみたいに見える。

【Slow Dancing】の和訳をして、わたしの解釈は前回のnoteで表した通り、わたしにとってこの歌は自己救済なんだけど、

なんと…!「自己救済」、そのつもりで和訳を当てはめていくと、歌詞とMVのものすごい一致…!

夢のようなバカンスのシーンと、機械装置に囲まれたマンションの一室の対比で、これらは、ランダムに切り替わってるんじゃなくて、

「対話だったんだ……!」

対話になってることに、動画を作りながら気付いたのよ。

【Slow Dancing】の「날 딛고 올라가(なる てぃご おらが)」の歌詞は、検索すると、この曲は「ラブロマンスの歌」として解釈されてるので、「僕を踏みつけにして」というニュアンスの和訳が多い。「날/僕を」「딛고/乗り越える」「올라가/上がる」。歌詞は「다시 새로 누군가/再び 新しい 誰か」に続く。

「ラブロマンス」じゃないとしたら、この言葉の根底にある気持ちは何だろう…と考えていて、わたしは、これを言っているのがVくんの中の「blue」、憂鬱、押し込めてきた別人格だと思ってるから、

シャワーを浴びながら、その「blue」くんが、

「僕」に苦しんだ長い期間を乗り越えて、新しい自分になるんだろ

と言ってるのかもしれない…と、文字通り、「僕を乗り越えて」と言ってる…と閃いたら、

「blue」くんの、Vくんへの深い愛情を感じて、頭から湯を浴びながら嗚咽してた。

そして、そう思ってから、そういう理解でこの収録動画を見ると、まーーーーー歌の上手すぎることに「どういう原理?編集?」と理解を超える、のはさて置いて、もう、すごい救済、すごい、ラブ、こんなハッピーな空間、でVくんのライブ、見たことなかったんじゃないか?

もう、なんか、まるごと、なんだよ…。彼の見つけた憩いが、そのままそこに剥き出しにして、その一番高貴な部分を、彼が見せてくれてるものだから、それが、もう、むっちゃ綺麗なんだよ…。

【Rainy Day】でVくんは、Vくんから「blue」に宛てて、一方通行の語り掛けでこの曲を書いていたわけです、パクチー的理解では。「一番笑わせてた僕を、笑えなくしたのは僕だよ」。笑えなくなってしまった部分の自分に対して、「I miss you(恋しい)」、もっと身近に感じたいんだ、と呼びかけているわけです。パクチー的理解では。

結構革新的な感じで和訳動画作ってしまったんですけど、というかそもそも、【Slow Dancing】の和訳動画しかり、Vくんが撮られた画角に何かを描き込むということに、ものすごい大きな抵抗感と罪悪感がありました…!が…!と、同時に、どこをどう切り取っても、なんという美麗。美麗極まる。毎瞬がフォトジェニック極まる。この、Vくんという現象を、始終眺めているのがこんなに多幸極まる…終始作業が至福であった…。ごめん。幸せすぎました。

そう、で、【Rainy Day】でVくんから一方的に語りかけるだけだったのが、【Slow Dancing】では、「会話」になってるんですよ、Vくんは、「Blue」くんと、「遠い隣人」のような、丁度良い距離感を見つけた、と、教えてくれてるんですよ…!

もしかしたら2018年に、彼が現実に対処するために、全身全霊で「それ」を拒否した、一角に押し込めて、固く押さえ込んでしまった、それが「blue」くんなのかもしれない。

冷えて固まった、自己愛、の、対極の部分。

「シュチタ」にて、SUGAくんは、「2018年の解散危機の告白」の回収を、BTSに対して自分の役割と課してる、ようにすら思える。くらい、「辛かった2018年」の話題について彼の積極性を、わたしは感じる。「あのシークエンスから、僕たち、今開放されよう」。

しかし、5年経ってるんだよ…あれから5年経って、やっと、今、語れる…という、程の、それ程の重さで傷ついて、影響を受け続けてたってことですよね…。

「シュチタ」内でVくんが語ってますが、胸の痛むエピソード、「ダンスの練習を休むために怪我をしようかと思った」、そういう時って、むちゃくちゃしんどいのに、何故か、風邪すらひかねえんだよな…!!分かる…!!!思いに反して、健やか過ぎる肉体の健康を恨む気持ち、分かるよ……!!!と、本来分かるはずのないレベル違いの共感をわたしに寄せられても、Vくんも読者の皆さんも迷惑だと思いますが、

彼を理解するのに、ひとつ、このエピソードは大きかったのだなと。

SUGAくんが回想するリンボーダンスのワンシーン、これわたしもとても印象深くて、かつてnoteに記事にしてるんですが、

「やった後悔の方が、やらない後悔より早く立ち直れる」という意味で、わたしは彼らのコミュニケーションから学びを受け取ってたけど、Vくんの場合、「実害あったんだな…!」というのが、今回の発見です。おそらく周囲に影響があるくらいに。そして、Vくんらが話す「枯れた花」の意味が、わたしは今、とてもよく分かる。

この間まで熱心に連載していたシリーズで、わたしは直感的なわくわくする「やる気」を叩かれたときの自分が、完全に「正」の方の生命エネルギーを止めてしまうのを感じた。

そして、その後、自分のホロスコープを鑑定してもらって、そこで、わたしの「やる気」は何を内包していて、それが止まると、魂に何が起こるか、今、大分俯瞰で理解出来るようになって来ています。

ここでVくんのホロスコープを、わたくし、超素人のパクチーが、ちょっと読んでみてござい〜。

相変わらず極小サイズでお送りします

月が何を意味するかについて、わたしのホロスコープを鑑定して下さったはるなさんや、noterのユリシスさんらによると、ざっくり言えば「こういれば生きていける」と、7歳までの自分が感じてるセルフイメージ、を、表している。牡羊座の月は、「これ、面白そう!」となったら全身でぐいぐい進む。

初期のVくんを見てると顕著に感じるけど、「今、これしてみたい」が彼をドライブする、その機動力たるや、すさまじいものがあったよね?でもその「僕、が、面白そう」という衝動は、彼の場合「純粋なエネルギー」、つまり邪だったり、陥れたりするものじゃない。

その純粋な機動力が、幼い子供の頃の彼を愛される人にし、そういう自分に自己肯定感があっただろうことが、アルバム公開後のトーク番組ではとても感じられた。子供の頃、踊る彼に周囲の人々がお小遣いを与えていたのは、楽しそうに踊る彼が余程愛らしかったからに違いない…!天真爛漫に、やりたいことに生き生きとエネルギーを使う彼を、おばあちゃんは最愛してくれていた。

けれど、それで順風なのは7歳までで…だんだんその方法では周囲と齟齬が出来て行く…のが「月」のテーマであるそう。

月の感受は7歳で止まる。Vくんの「これがしたい!」の衝動は、7歳レベルで止まっているらしい。男の子の7歳って言ったら、まあ、人によっては…5歳相当か…?Vくんが韓国語で「五歳児」と、かつて愛を込めて評されていたのが、ここで裏付けられるのか…!

ちなみに長男も牡羊座に月である。

ジンくん

ジンくんの瞬発的な興味も、かなり「7歳止まり」である感じ、すごーーーく腹落ちするんですけど、いかがであろうか。

7歳で止まってしまう「月」は、丁度真反対に点を取り、それを「どんな自意識からも自由で、喜びだけを感受する点」として使えるようになると、それは本来の自分のあるべきエネルギーの状態で、大人になってからの自分に、「月」を、再び統合出来る。のだそう。

二人の場合、それは天秤座である。天秤座は「広く、みんなのために」。Vくんが「メンバーみんなの幸せが自分の幸せだと思うようになった」のは、まさに反対側にある月のVくんかー!!と。それはジンくんにも同じことが言えるのだが。「ARMYのみなさんのために」。

「7歳までの自分に与えられた肯定」を、人はそれぞれ、成長と共に大きく損なっていく。そのセルフイメージに固執すると、全てが行き詰まっていくのである。そして、そこから、その方法に執着する自分を手放して、つまり「環境は自分を愛さないかもしれない恐怖」を手放して、環境が与えた「自分自身」の中から、新しい、他者に寄らない自分を、自分の内側から見つけていく。まず、ここで一つ大きく変わる。Vくんはすごく変化した。傍目で見てそれが感じられるくらいなのだから、メンバーたちはとても大きな変化を、きっと、見て知っているだろう。「グループ全員の中で、一番ポジティブに変わったのはVじゃないだろうか(2019BTSFESTAより)」。

でも、じゃあ、「これをやったら面白い!」という7歳児のVくんは、どこへ行ったのだろう。彼の「月」は密集してくっついた「海王星」「天王星」「火星」「水星」とハードアスペクトなので、彼の「これ」という直感は、しばしば奇想天外で型破りであるパターンが多そうだ。Vくんの「月」は、周囲のみんなが、大変さを感じるのだから、押さえつけて、いないことにしなくてはならないのだろうか。

スケジュールに忙殺されて、「休みたい」というVくんは、自分の欲望にだけ忠実なのだったら、押さえつけて、みんなのために、いないことにしなくてはならないのだろうか。機能させないように。「月」の欲望を、Vくん自身に影響させないように。

そうやって、魂の一部を冷たく、押し殺して固めていくと、その先は「絶望」に到着する。「冥王星」はどんどんマイナスの方へ自分を引っ張って、生命力を減じさせて行く。そうなると、その流れでは、憂鬱さから脱出できない。

そうやって、押し込められた「月」が、彼の「blue」なのかなあ…。と、わたしは思った。

天真爛漫さで望みを実行する、その喜びを自分自身に享受させてあげていたのはVくんだった。その喜びを、奪って、「7歳のVくん」を、笑えなくしたのも、Vくんだった。

もしかしたら、そうやって過ごしたままの5年間が、彼にとって辛く、苦しく、安眠を奪い、精神の安らぎを奪い、活力を奪って…それ程アンバランスな状態で…彼は、それでも求められることに一定以上のクオリティで、全身全霊を持ち出して、アウトプットし続けていた。

この、あり方は、もう限界だ、

대충 무리였나봐, babe
大概、無理だったみたい、だよね

【Slow Dancing】

そして、彼は迎えに行く。「7歳のVくん」を恋しく思って、再び愛して、対話をして、彼の「月」が最も安らぐ世界に彼をイメージの中で置いてあげて、

彼自身の生き生きした望みを、彼が、最も理解してあげられる人に、変わった。

もともと持っていた自由な発想と意思は、現実の、大人になったVくんが、「遠い隣人のよう」な距離感で、それはこれまでで初めての関係だったんじゃないか?自分にだけ良い、という欲望に「振り回される」のではなく、冷たい月によって、生活をブルー色に「支配される」のでもなく、ゆっくり、バランスを取りながら、「月」の欲求を損なわずに実現可能な方法を、現実の心地よさにフォーカスしながら、実際の社会の中に見出していく。それは「ダンス」を一緒にしているような気分のことなのだと。

彼の天体は「牡牛座」に密集している。牡牛座が、クラシックなもの、伝統的なもの、自然の精密さを嗜好して、それをゆっくりゆっくり味わい、ゆっくりゆっくり自分の感覚で構築していく、そう、彼は「遅い」のだ。そして、それが一番彼の全部の魅力を使う方法でもある。

だからわたしは、彼が押し込めた「月」の部分を、取り戻した、「夜が去る」、と楽曲の中で教えてくれた以降の彼が、

全然、すっごい、バランス…良い…

別人みたいに、安定して、穏やかで、「本当はこういう人だったのか!」という、落ち着いた、しかし突拍子もない破壊力のある発想と瞬発力を、「使える」状態。高振動で高い位置でバイブレーションが安定した、新しいVくんになっているように見える…。知ってる。でもどこをとっても新しい。でも、前から知っていた気もする。見ていて、とっても、心地が良い…。

丁度わたしが、「女性性」と「男性性」についてシリーズでnoteを書いている時、

まさしく丁度、同じタイミングで「女性性」について触れているnoteを読んだ。自分がその瞬間抱えているテーマを、いつも見ている媒体がどんぴしゃで拾い上げてくれると、すごく、共時性に感謝の念でいっぱいになるのだが。

ここで、「忍耐」は「神性」で、それは「女性性を帯びている」と解説されている。

わたしは、この考えが、結構、「…はっ!そうか…!!!!」と、自分の中にあったたくさんのピースが嵌る感じがして、一気にかなりのことが解決された気持ちになった。

わたしは20代の数年の間、舞台に関わる仕事をしていたが、結婚・出産のタイミングで舞台表現の場を離れた同世代女子のうち、丁度アラフォーあたりで、表現の世界に戻る人がいる。

表現者が、多大な才能と情熱を、家族のために「抑圧して」、それは同じ表現者の男性じゃなくて、女性ばかりがその役割を負わされている、とわたしは考えるともなしに感じていた。自分の「表現したい」という「男性性」を、家族のために抑えて、「自分以外のもののための自分」、というのを一時生きているような。

しかし、上記で引用したnoteでは、その忍耐は、「あなた方が最終的に行きたいと思っている場所、本当の意味で常に最も真実を極めた自分の形でいられる場所へと連れて行ってくれる手段です」。つまり、自分の無意識が根底で欲してる場所へは、忍耐という経験の間に獲得するものが必要なんだよ、ということだ。だからそのシュチュエーションを自分が選択したんだよ。また、「そうである」、「これが望むものへの最善の道だ」、と、常に信頼していていいんだよ、と。

その「忍耐」には、価値がある。わたしが「抑圧」だと思っていたものが、「聖なる忍耐だったのか…!」と思ったら、まるで自分の我慢して過ごした時間の意味が、真逆になってきたのだった。すべてを、「最も真実を極めた自分の形」にする、その為に獲得する必要のある、新しい知覚・認識・統合。それが生まれてくるのに、必要なプレスなのね、と。

Vくんは、もしかしたら5年間、自分の一部を「抑圧」し続けて、でもその行為というのは、本質的には、「神聖な忍耐」という「女性性」であったのだ。彼の優れた「女性性」は、ものすごく強く鮮烈な「憂鬱」に、じっと、長年、無事に耐え、寄り添い、そばで、受容して、そして最終的に愛した。

人は、「抑圧」されている状態でいるにもかかわらず、「これをやらずには、どうしてもおれない」という強い衝動が、自分でも理由がわからないままに自分を駆り立てることが、たまにある。

その時、その人は、完全に純粋な「男性性」を発揮している。他者の目も意見も自分を阻害しないで、完全にマックス自分のエネルギーを循環させて、追い風を受けて物事が進む。「真正の自分を生きる」ということがどういう感じがするものか、そこで完全に理解する。「抑圧」、もとい「忍耐」は、自分に、自分の純粋な「男性性」を教え、「これが自分という生き物の使い方だ」と、自分自身を信頼させてくれるものでもある。

Vくんの内側から、再び溢れ出てきた、「牡羊座の月」が動かすインスピレーションと、行動。奇想天外で、型破りで、それは…とっても!今!優れた形状になっていた。彼のライブステージの数々で、彼の「男性性」は、今、ぴかぴかに発揮されていた、わたしはむちゃくちゃ面白かったし、とてもアート性が高く、クオリティ高く成立していると思って、感動して、見た。

【Slow Dancing】で、ダンスは、「朝まで」踊って、「夜が開ける」までで終わる。ダンスは夜半に行われる。パクチーの解釈は、「夜=憂鬱な期間が終わる」という大きなスケールでも取れるし、あるいは、「不眠との付き合い方を定義した」、と、文字通りに取ることも出来ると思った。もしくは、「朝」が来て始まるのがBTSとしてのVで、それは自分の一番かっこいい部分だから、そうでない素の「キム・テヒョン」でいる時間、彼は自分と自分の統合を獲得した、と受け取ることも出来る。わたしは、実は3つの意味全部が入ってるだろう…とも思っている。

…と、そんなこんなを考えていたら、【For Us】の和訳も出来そうな気がしてきたわ…!自分の楽しみとして、こつこつやりたいなあと思う。

そもそもVくんは、わたしにとって、「女性性」と「男性性」の融合を考えさせる存在だった。

でも、このnoteを書いた時点では、「女性性」という言葉も「男性性」という言葉も、なんとな〜く巷の、よく言われるような、雰囲気、でしか感じ取れていなかった。今は、またその時とは違ったベクトルで、違った性質で、彼から「女性性」と「男性性」の融合を見ている感じがする。それは、彼の持つ「男性性」の特徴のせいかもしれないが、とても安心感と安らぎを感じるものなんだよね…。

すごく感謝の気持ちが湧くし、この作品と彼を、とてもリスペクトします。


この度も、長文読んで下さってありがとう!


次回は、ジョングクくんのシングル、【3D】から見る「男性性」に行きたいな!


それでは、また。


ハイフリークエンス…調和…涙

【For Us】の和訳動画、作ったわ!

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