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RMくんの映像を語る『Live in New York@Dia Beacon』

RMくんの美術館でのライブ映像。この体感を何と言えばいいんだろう。観客のいないライブ。

彼自身がインスタレーションのような。

なんだか胸がいっぱいになってしまって、そんな映像だと思ってなかったのに、軽い気持ちで見始めたのに、見ているうちにいろんな考えが押し寄せて、とても泣けてしまった。

【Wild Flower】のMVの後半。思い返すと、草原で目一杯体を振り動かして歌うRMくんが、6月の『防弾会食』でのRMくんの言っていたことと、わたしの中で対比していた。

歌うことも踊ることも自分の内から出てくる主体を完全に取り戻した時、こんなにもエネルギーに彼は溢れている。周囲に振りまくパッションを持っている。本当にたくさんの、出される機会のなかったパワーが、彼の底には満ち満ちている。

わたしにまとわりつく不要なものを打ち払うような。振り切った清々しさ。

そしてその同じ曲で、彼は表現して見せてくれた。

わあ。これ立ち木なんだ、上から見てるんだ。なんて綺麗なんだろう。

この曲の最後のバースには、彼が見つけた救いが書かれている。既に持っていたものの中に見つけた、彼をいつでも守るお守りの文言。

そのバースを歌うとき、彼が陽の光の中に留まって、それをカメラが引いて見ている。

彼の行き先はどこへでも続いている。

曲が始まり、暗い立ち来の間を歩いて、

奥に陽だまりがある。

でもそのテラスには行き場がない。

再び暗い森に戻る。

森を通り抜けて、光を遮るもののないフィールドに至る。

ミニマルな構造と自然の光、植物を使って、音楽の世界が映像の中に見事に再現されていた。

最後に引いていくカメラに映る木々のシルエットが、「彼が今暗闇の中にいない」という絵を作る効果になっていた。

それを見ていたら、

彼が味わった苦悩は、全部ひっくり返って、彼を生かす美しい絵になるんだ。

暗闇は彼にたくさんの苦痛や苦悩や試練を与えたかもしれない。

それはある時点で、それはオセロが一気に全部ひっくりかえるみたいに、全部が彼を生かす財産に変わる。彼が、本当にたくさんの、人よりたくさんの、しんどい考えを多く持ってきたから、それは持ち切れないほどたくさんの宝石になる。彼が受け取ってきた全部の苦悩は、ひっくり返って彼を描く美しい絵の一部になって彼を生かす。

そういう気持ちでいっぱいになって、この曲を見終えた。


しかし、なんて空間の精度の高いものを…。

「ここに自分が調和する」と感じる、「造形」に対する理解を、この数年ですっかり得たんだなあ…。

ミュージアムは最初、彼の逃避先だったかもしれない。だから「逃避しよう」と思ったことまで、彼は味方につけたのだなあと分かる。

考えて見てくれ。ミュージアムで、キュレーターは、空間として成立することを最大に意識している。あのオブジェは適当にぽいぽいと置かれてはいない。あの配置が生むリズムが作る空気感があって、それは位置がずれれば消えてしまう。

彼はそこにいて、自分の部屋にいてくつろいでるみたいに見える。

他の人がどうか分からないけど、美術館は多少緊張するものじゃないだろうか。そっと入って、小さく息をして、足音を立てずに静かに眺め、理性的に作品に対峙する。わたしの大抵の場合はそうだ。

彼はこの精度の高い空間と、あるいは置かれた作品と、シンパシーを持つくらいに、空間や作品から何かを受け取るアンテナを、今自分の中にたくさん持っている。

少年の彼は、かつてそうじゃなかったはずだ。彼の好みはもっと別なものだった思う。

その変化の幅に、彼が自分をそう変えたことに、広く深く感受性を成長させたことに、「頭の良い人の頭の使い方はすごいな…」としみじみした。

それは、こういう風に、次第に作品に転化されていくのか…。


彼がきれいだと思う空間たち。

この緑の空間を見てたら、「ジミンくんが躍りたくなりそうだ」と思った。わたしがこの空間に入ったら踊りたくなると思う。ジミンくんがこういう空間で踊ることを、ソロ活動の一部に入れてくれたらすごく素敵だろうな…と思った。

つまり、意識の広がりを許してくれる空間。


なんだか沖縄の御嶽(うたき)のようだと思って。

光が、いくつも見える瞬間があるじゃない。いつも見ていて見えないもの。レンズを通してだけ見える光の玉など。

彼の仕事に「ライティング=光」は必要不可欠だけど、そのほとんどは人工の光だろう。

彼の光に対する感受性。

時々彼が載せる写真で、単なる光(自然光)に彼が感動しているのがよく分かる時がある。彼が愛する、自然光が与える情報の多様さ。複雑さ。自由にならなさ。グラデーション。そして何かをきれいに拭うような圧倒的なポジティビティ。恩恵。恩寵。

このオブジェの中を通るのが、産道のように見えた。

閉ざされているけど守られている。胎内のような。

そこでリセットされる何か。産まれ直す。御嶽の機能を、人が作品に模して、体験させる。味わせる。そしてわたしたちも、彼の歌と一緒に味わっている。


BTSのリーダーが、こういう人に育っていくと誰が想像できたかな…。


LE SSERAFIMのドキュメンタリー内で、HYBEの人が「ゆくゆくどういうアーティストになるのか」ということを問うていた。「あ、この会社はアイドルからアーティストにさせるつもりのプロデュースをしているのか」と思った。

それはとても人間思いだなあと思って見ていた。アイドルは何歳まで出来るものだろうかと考えたら、ある年齢より先、その人がこの業界に消費されてしまわずに食べていけるための、ある年齢より先のその人を生涯生かすものを、数年の間に身につけさせるのだという誠意。

アイドルからアーティストに、ぱきっとスイッチするか、やんわりと移行するか。どちらにしてもそれに伴って全てのスタッフが仕様を変えて行かなくてはならない。違いに対応して行かなくてはならない。

今回のRMくんのこのライブ作品は、顔が見えないくらいに暗いシーンが半数だったことで顕著だったと思う。素人感覚で、「アイドルの作品は顔が見えるのが大前提」なのかとわたしは思っていたから。彼の内側から生まれる情景を、映像の中に具体化したらこうなった。それを最大限、彼のイメージに近くなるように全てのスタッフが動く。カメラワークも頑張ってたと思う。「慣れない空間だよ〜」という心の声が少し聞こえてる気もしたけど。この特殊な構造で、自然光で、全部をきれいに絵に収めようとしたら、カメラマンはトランス状態じゃないと無理かもしんない。

本当は【Still Life】のMVがすごすぎて、そっちについて書こうと思ってPCを開いたのだった。

今回のRMくんの映像群はすごすぎる。


彼が閉じ込めてて見せてこなかったものに、すごく胸打たれてます。


それではまた!




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