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もし明日自分がこの世界から消えるとしたら

「40歳を過ぎるとなかなか成長できなくなる」と聞きました。仕事が落ち着くころだし、これまで生きてきたやり方、性格の癖や習慣が染みついていて、同じことを繰り返すようになるからかもしれない。そして若い時と違って、あちゃーと思われていても誰もアドバイスや忠告をくれなくなるかもしれないですね。

傲慢で勘違いした大人にならないように気をつけなくては。そんな時、私は20年以上前にイタリアでただひたすら走っていた自分に戻ります。

23歳の夏、イタリアのミラノの石畳の小道を走っていました。

一人で歩いていたらとあるイタリア人男性に話しかけられました。途中で嫌な予感を感じ、私はその人から逃げるように走りだしたのです。道に迷って自分がどこにいるのかも分からない。

この時、私はイタリアとフランスに、ブランド用品の買い付けの仕事にきていました。要するに、ルイヴィトンとかグッチのバックを並行輸入で買ってくるバイトでした。
飛行機代も宿泊も食事もすべて会社が払ってくれて、おまけに日給もでるバイトで、面接2回を通過して取ったバイトでした。

「そんなおいしい話はない!白い粉を運ばされて日本に帰ってこれないかもしれないよ」とか友人に脅されて(親には詳細は内緒で)、はじめてやってきたヨーローッパ。

そんな事情もあって、怪しい人を振り切って逃げる怖さは、倍増されたのでした。

人生、サバイバルだ!

日本にいる大切な人たちを思い浮かべながらこう思いました。「このまま行方不明になって消えたとしても誰も助けにこれないだろうな」

自分の身一つで生き延びること、最後はこれが大切なんだ。いろいろなモノを抱えていたって、いざとなったら何の役にも立たない。

もし日本に無事に帰れたら、一瞬一瞬を大切に生きよう。



あれから20年以上経ちました。
今こうやってのほほんと生きているわけだから、無事に(バイト代ももらって)日本に帰ってこれたわけです。

この出来事はその後の私の人生で大きな意味を持つものになりました。何か心を乱されるようなことがあったときや小さなことに囚われているとき、この出来事が定点に戻してくれる。

未だに私はイタリアミラノの石畳を走っていた自分に戻れる。ただ生きるためにひたすらに走り続け、空を見ながら大切な人を思った23歳の私が自分の中にいます。何も持っていないただのシンプルな自分。

もし明日自分がこの世界から消えるとしたら、近くにいる人を大切にして、今できることを精一杯やりたい。くだらないプライドとか嫉妬とか、他人がどう思うかとか、そんなのもどうでもいい。小さなことにこだわって愚痴を言う自分じゃなくて、小さなことに感動できる自分でありたい。

思っているより人生はあっという間なんだ。
だから何よりも大切な人と温かい時間を過ごしたい。

みなさんも自分を定点に戻してくれる出来事ってありますか?


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