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病室で迎えるつもりなんてなかった32歳の誕生日。心を平坦にするため書くnote。

今は、6月20日の20時。32歳の誕生日を迎える前日。

ほんとは、こんなnote書くつもりなんてなかったんだけどね。

入院して1ヶ月半。まだ行ったことなかった、院内の自動販売機にきてしまって、入院してから甘いものは絶ってたんだけど、なんとなくホットのカフェラテを買ってしまって。

それを飲みながら、ふと外を見たら、夕日が綺麗で、遠くの方に、栄えてるエリアの明かりや、行き交う車のライトが見えて。

そしたら、手前には、コロナの感染防止のための「面会中止」の張り紙がデカデカとあってさ。

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あと2ヶ月は、あそこには行けないというか、ここから出れないのか…と、妻や子供達と遊んだり出かけたりすることはもちろん、直接会うこともできないのか…と思ってしまった。

少し前に、どうにか最接近して、これだったしね。

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そしたら、感情の抑えがつかなくなって、涙が止まらなくなったので、これを書いている。書くことで落ち着くものってあるよね。


これ↓は、私の左膝を正面から見たレントゲン写真。赤いラインのところが折れていて、写ってるようにボルトとかで固定されてるんだけど、折れ方がまぁまぁやっかいらしい。

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術後、装具ってやつでガチガチに固定されてて、やっと90°曲がるようになって、20kgくらいの荷重ができるようになった。

自分の足で立てるようになるには、骨が復活するのを待ちつつ、固まって曲がらなくなってる筋を痛みに耐えつつ伸ばしつつ、自分の体も支えれないくらい落ちた筋力を取り戻す作業を地道にやっていくしかないらしい。

あと、2ヶ月くらいかかる。ネットが使えるから、子供とオンライン通話くらいは出来るとしても、本当に孤独。


そして、断片的に聞いてる、いろんな先生の話を繋げてみた限り、2ヶ月後に歩けるようになって退院したところで、長時間立って作業することは難しい、自転車に乗ることも難しい。

萎える気しかしないから聞いてないけど、多分、子供と走り回って遊ぶことも、しばらく無理そう。いやぁー、140kgまで太ったせいだったり、不注意が招いたわけだったりするから、自業自得なとこもあるけど、つらいわ、ほんとに。


救いといえば、10年前に亡くなった母が、生前にめちゃくちゃしっかり私に保険をかけてくれていたこと。そのおかげで、手出しでお金を出す必要がなく、ネット環境も完璧な個室を借りることができて、普通に仕事できてる。

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母は若い頃から首に腫瘍があって、年々、首から下に麻痺がでていって、↑この写真の頃は、ほぼ手足も動かない状態で車椅子生活だった。

数ヶ月だけど同じように車椅子生活をすることになり、母のありがたみを感じることになるとは。

あ、書いてたら、ちょっと落ち着いてきたのに、また泣きそうになってきたわ…。


32歳の誕生日。この歳になると…なのか、こんな状況だから…なのかはわからけど、「ここで心機一転!」とか「今年の目標は!」なんて強い感情は全くない。

日々、目の前にあることを1つずつ丁寧に、全力で本気でやること。もちろん成し遂げたいことはあるけれど、そのためには泥臭いことを日々積み上げるしかない。

「一喜一憂」は良いとして、「憂」に飲み込まれてちゃ時間はすぐ過ぎてっちゃうからね。

できるだけ気持ちを平坦に落ち着かせて、乗り越えるために、自分の持ち場で、そのとき出来ることをやるしかない。

今、私は、とてもモチベーション高く生きれている。何事も、自分ごとにできると楽しんで前のめりに頑張れる自分を本当に褒めたい。

家族とは離れてて妻や家族に助けてもらってばっかりだけど、今は日々のリハビリと、この状況でもできる仕事を1つずつ丁寧に。


とか書いてたら、消灯時間の21時半ですね。

書いたら、だいぶリセット出来たわ。明日をポジティブに迎えれそう。

最後まで読んでくれた皆様、ありがとう。

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