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変わりゆく渋谷のこと

何の気なしにYahooニュースを見ていたら、こんな記事にエンカウントした。

以前の記事にも書いたが、僕は渋谷と横浜の間の東横間で育った。渋谷には父の会社がーいまでは引き継いでわたしたちの会社になっているがーあったのも相まって親しみを持っていた。
音楽好きの僕は、当時世界一の品揃えと言われていた渋谷のTSUTAYAでCDを1日レンタルの格安料金で借りて、その足で父の事務所によって、CDをリッピングして、返却しにまたTSUTAYAに行くということをよくやっていた。
年若い方のために、(というとだいぶ歳を取った気分になりますね)念のために解説しておくと、リッピングというのはCDをコピーして音楽ファイルにする行為のこと。なのだが、当時はiPhoneもアンドロイドはなく、iPodという今で言うミュージックアプリ専用機というか、音楽ファイルを持ち運べるものすらまだなかったので、「そのファイルをCDに焼くところ」までを指している人が多かった。
今では考えられない手間をかけて、音楽に「ありつける」ことができていた。apple music や spotify などのサブスク月会費より高いレンタル料金を払っていたのだがら、隔世の感がある。

急にこんな昔話を持ち出して、何が言いたいのかといいうと、音楽を手に入れるためにすることがこれだけ変わるのだから、いろいろなことが変わるということ。
渋谷の街並みも、10年、いや5年前と比べても様変わりした。
東急百貨店も宮下公園もなくなり、駅直結のショッピングビルが、雨後の筍のようにーというのは違うかー建っていて、5年前からタイムスリップさせられたら途方にくれるだろうというのは言い過ぎか。

そんな中で何十年も前から変わらないのが、冒頭の記事にある「百軒店」あたりのエリアである。

麗郷、ムルギー、ライオン、喜楽、森本、はやし。言わずと知れた名店が根こそぎ奪われるのであろうか。あるいは小綺麗なビルの中に入店するなんてこともあるのだろうか。

都市開発でやっかいなのは、「街並みは一度失われると、往事の姿を思い出すのが難しい」ところにあると思う。近所の家屋やビルが取り壊されて、更地になっているのを見ると、毎日のように見ていたはずの、その風景がなんだったのか思い出せないという経験をしたことがある人も多いだろう。

思い起こすのは、下北沢の再開発のこと。だれもが下北の良さが失われることを懸念していたが、いまではすっかり受け入れられている。少なくとも、下北にあまり縁のない僕には、そのように見える。
もっというと、以前の風景がすっとは思い出せない。

渋谷にしても、下北と同じように、街並みが失われてしまえば受け入れてしまうのかなと思っていた。

先日、宮下公園の跡地にできた MIYASHITA PARK に行く機会があった。渋谷のとある会社のパンフレットを作ったときには、昔の宮下公園で撮影をした。
当時は、ホームレスの方々の根城となっていて、公園の撮影許可だけでなく、そんな住人の方々にもお目溢しいただく必要があり、差し入れのようなものを持っていくこともあった。

そんな昔の姿とは似ても似つかない MIYASHITA PARK で、不意にそのときのーホームレスの方々とのやりとりがー光景がフラッシュバックした。
失われたものが、ありありと迫ってくる感覚があり、しばらく動けなくなってしまった。

僕は東横間で育ち、今も拠点は東京だからなのか、根本的に郷愁のようなものがなく、また、その成り立ちも理解できていない。
「田舎に帰ってやりなおす」というようなセリフに、「田舎の方が仕事もないし、大変なのでは」と無粋なことを思ってしまう人間である。
そんな僕が、あのおぞましいーと個人的には思っているーMIYASHITA PARKで、郷愁の一旦が理解できたような気がした。
街の記憶というのは、ときに人の心を温め、生きる活力のようなものをもたらすのだろう。

もう変わり果ててしまった渋谷であるが、願わくは、その記憶の一旦を残すような再開発を期待したい。それから僕のような人間に「郷愁」のなんたるかを教えてくれた渋谷に感謝したい。
人々の記憶や、そのときどきの想いをとどめるために、何か僕たちにもできることはないかと思案している。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。


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