「観測されること」の大切さをあらためて感じた話。

私の有料noteである↓

と↓


を、先日同じプラチナライターであるma人さんが、ご自身のブログで、このnoteのレビューを掲載してくださりました。本当にうれしかったです。
ブログはこちら↓

それ以降、大幅に値上げしたにもかかわらず、数部追加で売れてきています。同じプラチナライターからのお墨付きをいただけたことが功を奏した格好となったのかなと思い、感慨無量の面持ちです。


これを受けて、あらためて「やはり、ネット社会で生きる人間は観測されなければな」という思いを抱きました。


ネットには、もはや無限ともいえるほどの作品が公開されていると言っても過言ではないでしょう。絵、漫画、小説、音楽、動画など…。
それらの中には、有料で販売されているものも多数あると思います。


販売すること自体のハードルは、非常に低くなったとは思います。ネットにアクセスさえできれば、あとは売りたいものをある程度自由な値段で売りたいだけ売れる時代です。


そこは楽になったのは良いことだとは思いますが、肝心の「売れる」ということのハードルは、決して低くないでしょう。むしろ、カテゴリによっては競争過多、供給過剰で全く売れないことも往々にしてあります。


そんなとき、コンテンツのレベルの高さ、緻密さで売ろうとするのは間違ってはいないとは思うのですが、努力のわりに結果がなかなかついてこないのがつらいところだろうなと感じます。それは、商品が悪いというわけではなく、単に「観測されていない」ことが大きな原因である可能性もよくあるのではないかなと。


「この人面白いのにな」「これいいのに」というものがあっても、知名度が低ければ、内実のわりに現実が合わないというミスマッチが発生するのは、とても残念だしもったいない。


一時期、YouTubeで「炎上商法」が流行ったとき、首謀者のひとりだった某カリスマ系ユーチューバーは「いや、見られへんかったら意味ないやろ」という主旨の発言をしていました。炎上というのは諸刃の剣だし、周囲に迷惑がかかることもあるので、用いるべきではない手法だとは私は思います。ただ、「いや、見られへんかったら意味ないやろ」には賛同ですね。観測されなければ、どうにもならないのがネットであり、特に近年は観測されることを前提としてネットは動いていると思うのです。


私の場合だと、最初のエントリーではTwitterから購入して頂いた層と、検索からたどりついて購入して頂いた層の二つが存在していました。ここでも、Twitterをやっていなければ購入されなかった部数があることを想定すると、やはりエントリー前から私がプラチナライターとして知られていたということは大切なことだったなと思います。
そして、今回のご紹介。これにより、さらに横方向に観測されることとなったわけで、それが今回の追加売り上げに寄与したと捉えられます。


同時に、発信していくことの大切さも感じた一幕でした。今後も、Twitterもnoteもがんばるぞうっほい(?)

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