ぶじょほ男子

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「秋田愛を語る資格は無いと僕はおもっている」と言われた悲しみと小さな決意 〜んだども、秋田が好ぎだもの〜

 4月21日午前0時31分にX(旧twitter)にて、いわゆる「平成の大合併」前の秋田県旧69市町村名入りの地図を掲げて、「これ、ぜんぶ言える?言えない人は、秋田愛を語る資格はないと僕はおもっている。マジで。」(改行、行間は省略)とポストされた方がおられました。(2024.4/21.17:35の時点で6.5万表示と沢山の方が見ています。追記:21:00には10万表示を突破しています。再追記:4/22には当該ポストは削除さたようです)  地図は白地図ではなく、旧市町村名がす

    • 秋田の横手の花見団子が美味いなあって話。

       我々は日本人だ。日本人は桜が大好きだ。  桜が主題の詩歌は数えられない位あるし、百円玉には桜が刻まれているし、気の早い情報番組なんかは下手したら年明けから開花予想を伝えるし、それが3,4月にはピークを迎えると、来る日も来る日も桜が咲いただの散っただの言っている。  春の訪れを告げるように咲き、満開の美しさもつかの間に、儚く散っていくその様は、私達の琴線に触れるものがあるのだろう。  それほどまでに親しまれている桜である。日本で花、といえば桜のことであるのは言うまでもないこと

      • 秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記⑥

         前回の記事↓の続き  押し合いで熱気が高まってきた会場。    何かの合図があるでもなく、1本の梵天が鳥居をくぐろうと、参道正面に構える。  景気付けのように梵天唄を唄っている。この唄は、しかし、鳴り続く太鼓の音と、押し合いをしている若い衆の声に搔き消され、坂の上にいるこちらにはほとんど聞こえない。あいの手の「ハァ〜」という声がわずかに聞こえるくらいだ。  太鼓の音、押し合いの「ジョヤサ、ジョヤサ」の声、梵天唄が重なり合うこの空間が本当に心地よい。   梵天唄を唄った

        • 秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記⑤

           前回の記事↓の続き。   太鼓が、鳴り出す。  始まる!という喜びを、顔に出せずにはいられずに口元が緩む。  はじめのうち、太鼓は風流な雰囲気の拍子だ。  各団体も、その拍子に合わせるように、それぞれに力自慢が梵天(ぼんでん、と濁る)を片手で差し上げるなどしている。他の団体などいないも同然といったふうだ。  高く上げることに成功すれば、周りが拍手したり「フォー」という歓声をあげたりし、失敗したら、立て直すといった感じだ。  さがり、と呼ばれる布も垂れたままの梵天が多

        「秋田愛を語る資格は無いと僕はおもっている」と言われた悲しみと小さな決意 〜んだども、秋田が好ぎだもの〜

          秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記④

          前回の記事↓のつづき。  金澤八幡宮 一の鳥居 急坂上に立つ。  眼下にはドンと並んだ9本の梵天(ぼんでん、と濁る)  今や遅しと、押し合いの始まりを待つ。    自然と「早ぐやろで(早くやりましょう)」なんて口から出たりして。  長男はもう少し上にある遥拝殿のところでケツ滑りをして遊んでいる。初めてこの祭事を見ることになる彼には、まだ親父が何をそんなにも目を輝かせて待っているのかが分からないのだろう。 (今に目にモノ見せてやるわい)  なんて思ったりして更に待っている

          秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記④

          秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記③

          前回の記事↓の続き。  時刻は13:55。ついに、秋田県・金沢(かねざわ)の伝統行事、金沢の梵天(ぼんでん)のメイン会場(金澤八幡宮 一の鳥居)に立った。初めて長男にもこの祭事を見せられる喜びもある。  梵天は周辺で待機しているようでまだ姿を現さない。「雪遊びだよー」と誘った長男との約束を果たすべく、急坂をロープ伝いに登らせ、下までお尻で滑らせるなどして梵天を待った。  この遊びは、坂を下った先の道路が車両通行止めになり、坂道がしっかり踏み固められる「梵天の日」だけの年に

          秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記③

          秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記②

           前回の記事↓の続き。  実家にてお昼ご飯を食べながら、梵天(=ぼんでん、と濁る)奉納までの時間を待つ。  中学1年のとき以来、何年も、奉納する側として (参加する/しない)のどちらかだったので、観客としてお祭りに行くまでの時間をどう過ごしていいかがよく分からないまま、長男とテレビゲームなどをして時間を潰す。  小学生の頃、梵天の日は特別に午前授業だった。(当時は2/18固定開催だから平日の場合も多々あった。今は確か2/17の次の土曜日固定開催)  その頃は、昼食を食べた

          秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記②

          秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記①

           「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という有名な詩の1節がある。  冒頭のこの1節ばかり有名で、美しい故郷を偲ぶ詩かと勘違いされることも多いが、その後に「例え落ちぶれても帰る所じゃない」(意訳)と続くのだ、と長じてから知った。  作者の室生犀星はそう思って自分を励ましたのかも知れないけど、俺にとって故郷は、いつだって、飛んで帰りたい唯一無二の場所だ。  犀星の故郷は石川の金沢(かなざわ)、俺の故郷は秋田の金沢(かねざわ)。    三つ子の魂百までも、とはよく言ったもの。小さい

          秋田の冬祭り 金沢八幡宮梵天(金沢のぼんでん)観覧記①