見出し画像

源氏物語 現代語訳 帚木その3

 今ご披露いたしました二つの話から云えますのは、若い頃の心ですら、出過ぎたところのある女というのはかなり胡散臭く信用ならないと感じられたということです。歳を重ねるにつれ、その思いは強くなることでしょう。貴方がたも、きっとお心の赴くままに、手折れば零れ落ちる萩の露、拾えば消え去ってしまう玉笹の霰等々、色っぽくてか弱い浮気心が見え隠れする恋愛ばかりに血道をあげられることでしょう。なぁに七年も経てば身に沁みてお解りになられるはずです。不肖私のご忠告を活用なされて、呉々もしなしなとしなだれかかってくるような浮かれ女にはご用心ください。そのうち過ちをおこし、相手の男の度量が狭いなどとよからぬ噂を立てられるのが落ちですから。」そう左馬頭が戒めます。例によって中将は深く頷きます。源氏の君はと申せば、にやりとなされ、なるほどそういうものかとお思いになられておられるご様子。「どちらにせよ格好つかないみっともない打ち明け話ではあるね」と一同どっと笑われました。

 続いて中将が「では私が愚か者の話をお聞かせいたしましょう」と語り始めました、「ひと頃、誰にも気取られぬよう出逢った女で、すぐにでも結婚出来そうな気配を色濃く漂わせていましたから、これは長く関係を続けてゆけそうだなと思っておりましたが、馴れ親しんでくるにつれ情が湧き愛しさが募るようになりまして、絶え絶えの間柄ながらも忘れがたい存在でした、そうなってきますと女の側もこちらを頼るような素振りを見せ始めたのです。頼るということは反面恨みに思うことも出てくるだろうなと内心解っておりましたが、女は常に平静を装い、たとえ来訪が間遠になっても、つれない人だととも特段思わないようで、ただ朝に夕にきちんと身を処しているのが見て取れますのを可哀想に思い、せいぜい私を頼りにするよう云い聞かせたりもいたしておりました。すでに親はおらず、いたく心細げにしておりまして、私をただ一人の人と心に決めている様子が垣間見えるのも男心をくすぐるのでした。

 こんな風にのんびりとしたところに妙な安心感があり、すっかりご無沙汰しておりましたら、あろうことか私の妻の周辺より嘆かわしい無神経な言葉を、ひょんなついでにそっと耳打ちするようなことがあったらしいのです、もちろん後々に知ったことでしたが……。そんな不快な出来事があったなどとは露知らず、いつも心に留めてはおりましたが、文も遣らず長いこと放っておりましたので、ずいぶんと意気消沈したらしく、寄る辺なさが募ったのでしょう、幼児がおりましたので、想い剰った挙げ句、撫子の花を摘んで寄越してきました。」そこまで話しますと、中将は涙ぐまれました。

「その文にはなんと書かれていたのですか」と源氏の君がお訊ねになりましたら、「いえいえ、たいしたことは書いていませんでした。

山辺の家は荒れ果てても折々にこの子に情けをかけておくれ撫子の露よ

そう聞いてふと思い出し訪ねてみましたら、いつものように気さくに迎え入れてくれましたが、どうも顔色がすぐれません、荒れて露にまみれた庭をぼんやり眺めては虫の音に耳を傾けてそっと涙を落としておりました姿が、まるで昔物語のようだなぁと思ったものです。

色とりどりに咲く花の優劣はつけがたいものがありますが、それでもやはり撫子の花にまさるものはありませんよ

子供のことはひとまず置いておいて、まずは『塵をだに』の歌心に乗せて母親の心中を慮り優先しました。

塵を払う袖もこんなに涙に濡れてしまいました、常夏の異名をとる撫子の私にもいよいよ秋が到来したようです

そうさらりと云い、別段非道く恨みに想っている風でもありません、思わず知らず涙が零れ落ちても、照れくさそうに何かに紛らして隠そうとします、冷たさに気付いていると気取られることはとても辛く申し訳ない、そう思っている節があり、なんと御しやすい女だろうと、またしても放置しておりましたら、いつしか跡形もなく消え失せておりました。

 今もこの世に生き永らえておりましたらさぞや寄る辺ない身の上で流離っていることでしょう。見初めた頃に、鬱陶しいなと思うくらいにつきまとう素振りを見せてくれていれば、こんな風にあてどなくさ迷わせることもなかったでしょうに。ああまで絶え絶えにもならず、それ相応に遇してやり、長く続くいい関係を保てたことでしょう。あの撫子が妙に可憐だったので、どうにかして居所をつきとめたいと思うのですが、この期に及んでも耳寄りな情報はありません。これこそが先のお話にありました儚い女の好例と云えましょう。ことさらに感情を抑え隠し、薄情な仕打ちを恨んでいたことにも無頓着で、なんのかんのと云いながら関係を続けていたのも、ある意味私の虚しい片想いだったということですね。

 ひと頃と比べればずいぶん記憶も薄れてはきましたが、あちらはあちらで私を慕って胸が熱くなる夕暮れ時もあるかと思います。こういう関係が、どうしようもない結ばれぬ仲というやつでしょうね。

 そういうわけですから、さっきうかがった口うるさい女にしても、印象こそ鮮明ですから忘れがたいものはあるでしょうが、差し向かいでいれば何かと不愉快なこともあり、下手をすれば懲り懲りだと毛嫌いしてしまうこともあるんじゃないでしょうか。琴の巧みな女にしても、あからさまな好き心ははっきり云って罪です。かと云って今お話したじれったい女なども、一抹の疑わしさはぬぐえませんので、最終的にはこの女!と決めることは出来ませんよ。世の中なんてこんなものです。一人一人俎上にあげて比べてみたところで決め切れないのです。様々な女が話題にのぼりましたが、それぞれのいいとこだけを兼ね備えていて、悪いところは一切ない、こんな女がどこにいるでしょうか。かと云って吉祥天女に懸想したりすれば坊さん臭くて奇っ怪ですからこれまた薄ら寒い気がしますしねぇ……」そう云うと皆噴き出しました。

「時に式部のところにこそ耳寄りな話があるんじゃないかなぁ。ちょっと話してみなさい」と中将がせっつきます。「私共のような下の下の世界にお耳にいれるような話なんぞありはしません」とかわそうとしますので、頭の中将は「早く早く!」と催促なさいます、藤式部も考えあぐね記憶を辿り語り始めました、「私がまだ文章生でした頃の話でございますが、俗に云う頭のいい女の実例を目の当たりにいたしました。先ほど左馬頭のお話にもありましたが、公の事も相談にのってくれ、私事の処世の術についてもしっかりとした深い考えを持っており、学問の水準も、そこいらの博士の顔色なからしむるものがあり、何事につけても相手を黙らせてしまうほどのものを持っておりました。

 それと云うのも、私がさる博士の許に学問をするために通っておりました際、この先生にお嬢さんが大勢おられると耳にいたしまして、ふとした弾みで云い寄りましたところ、すかさず親ごさんが聞きつけ、盃を持ってきて「富家の娘は嫁しやすいが夫を軽んじる、貧家の娘は嫁し難いが両親によく仕える」等と白氏文集を引いたりしていましたが、私としては深入りする積もりはなく、たださすがに親の面目もありますからそこそこにお付き合いしておりましたところ、親ごさんがやたらと丁重にもてなしてくれるものです、朝起きての会話からして学ぶところが多々あり、役人としての心構えやなすべき事歩むべき道の数々を教えてくれます、そもそも手紙ひとつをとっても実に流麗に仮名の一文字も交えずいかにも説得力のある風に書いて寄越しますので、自ずと関係も途絶えず、女教師さながらにちょっとした詩文なんぞも教わりました、今もってその恩を忘れることはございませんが、一方で心を許した妻子と頼りにするのは、こちらがあまりに無学ゆえ一挙手一投足を見られ、恥じ入ってしまうこともままありました。貴方がたには、かようなきちきちとした小うるさいお節介焼きなんぞまったくもって不要でございましょうね。それに引き換え、取るに足りないつまらない女と重々分かっていながら、どういうわけか肌が合い、宿世の縁に導かれるままに流されてゆくこともございます、ほんに男というものはしょうもない生き物でございます。」そう呟きますので、ぜひ続きを話させようと、「それはまた興味深い女がいたものだねぇ。」とおだてて水を向けられましたら、式部も心得顔で鼻をぴくつかせて再び語り出しました。

 そんなわけで、ずいぶん長いこと逢っておりませんでしたが、ついでがあってふと立ち寄ってみますと、いつも逢っていた部屋には通してもらえず、あろうことか衝立越しに声だけで応対しようとします、ひょっとしてへそを曲げているのかな、阿呆臭い、ならばこの辺がいい潮時かもしれんと思いました、ところがこの頭でっかちの女史、そう易易と嫉妬をあらわにしたりいたしません、世の道理を汲み取って恨み言のひとつも申しませんでした。こうせっかちに大声で云うのです『ここ数ヶ月ばかり篤い風邪に患り耐えられず、熱々の薬草を服しましたため、まことに遺憾ながら臭くて臭くてとうてい対面は叶いません。面と向かってはおりませんが、何事かの雑用がございましたらこちらで承ります。』いかにも神妙にもっともらしく聞こえます。こう云われてしまうとこちらも返しようがありません。『わかりました』とだけ云い残し立ち去ろうとしましたところ、あまりに素っ気ないとでも思ったのでしょうか、『この香りが消えた頃にまたおいでくださいませ』と追い討ちをかけるかのように云いますので、聞かなかったことにするのも気が引けるものの、かと云って今更立ち止まるのもどうかと思い、逡巡しておりました間にも大蒜の臭いが押し寄せてきて往生してしまい、つい逃げ口上に、

蜘蛛の動きからして私が夕方にも訪ねてきそうだと判るはず、それを昼に来いとはちょっと水臭いじゃありませんか

何かの口実ですか、そう云い終わらぬうちに足早に駆け出しましたら、慌てて追いかけてこさせ、

逢うのが毎夜のことの仲でしたら昼間来たところで恥ずかしくもなんともないでしょうよ

さすがに頭の回転が早く、すぐさまこういう歌を寄越してまいりました。」そう淡々と申しますから、君達は呆れてしまい、「創作だろ」と笑い合われます。「何処にそんな女がいるかね。そうと気付かず鬼と向かい合っているようなものじゃないか。なんとおぞましい」と爪で弾く仕草をしてお祓いし、批評のしようがないじゃないかと式部を疎み、「もうちょっとましな話はないのか」と詰め寄られましたが、「これに勝る奇談はございません」と居直ります。

 左馬頭が引き取って「男、女を問わず誰しもが、品性下劣な者ほどほんの些細な手持ちの知識を事あらば何もかも見せ尽くそうと思うのは哀れなものですねぇ。そもそも三史や五経といった王道の学問にあまりに精通しておりますのも人として愛嬌がなさ過ぎますが、いくら女だからと云いましても、世間一般の公事にせよ私事にせよ、まったく知らぬ存ぜぬでは通りません。わざわざ学ぶまでもなく、頭の廻る女なら、耳や目に留まることも多々あるはずです。耳学問の漢字を走り書きしたり、女同士のやり取りにもかかわらず半分以上を漢字で埋めたりするのは、なんとも浅はかで、もう少し奥ゆかしくしていればいいのに、とついつい思ってしまいます。当の本人はそれ程意識してはいないのでしょうが、自然とごわついた読まれ方になりますし、ことさら感が強調されてしまいます。こういう類いのことは上流のご婦人にもしばしば見受けられます。

 歌詠みにしてからが、腕に自信のある女は、いつの間にやら歌に囚われてしまい、いきなり初句から曰くのある古歌を引用するなど、なにもそこまでせずともよいのにというほどの技巧を凝らして詠んでくる、ああいうのは実に興醒めです。定例の節会、例えば五月の端午の節句の催しに参加しようと急いでいる朝、頭がいっぱいで菖蒲にまつわる気の利いた一句さえ浮かばない時に、折悪しくその菖蒲の根について捏ね繰り廻した歌を詠んで寄越したり、重陽の節句の宴に、歌の難題に頭を抱え他のことに一切手が廻らないまさにその時、菊の露にかこつけた事を云ってきて、ただでさえ火急の用に追われているのにその上こちらの事情なぞお構いなしに面倒なことに関わらせる、なにもこんな折でなくとも、後々に落ち着いて見ればそこそこ味わいのある歌なのですが、時節をわきまえていないため注目されないままになってしまう、こんな風にこちらの事情を慮らず歌を詠みかけてくるのは、なまじ歌なんぞ詠まない女より劣って見えますね。

 何事につけても、どうしてそんなことをするのかしら、やらない方がいいんじゃないかしらん……、と迷った時に、時節柄の判断も出来ないような心の持ち主なら、いっそのこと格好つけたり通ぶったりしないのが得策でしょう。何もかも承知していても、敢えてそれを顔に出さないよう振る舞い、云いたいことがあってもひとつやふたつくらいは呑み込んでおくのがあるべき態度なんじゃないでしょうか。」等々云うのを耳になさりながら、源氏の君はただ一人の方のお姿を脳裏に浮かべておられます。あのお方こそ今の話にあったように足らないところも、又過ぎたようなところもおありでなく、またとおられぬ方との想いを強くされて胸がいっぱいになられてしまいます。とまぁこんな風に何処に落ち着くとも知れぬ談話は果てしなく続き、そのうち怪談話や四方山話に流れ、やがて夜明けを迎えられました。